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第29話 行先と気絶

 その日伊織の工房のリビングにマールとメルリードが来ていた。

 テーブルに広げられた地図にはパームヒルドを中心として、近隣諸国が書かれているかなり大きなものだった。

 地図の横には酒の入ったグラスが置いてあるのはお約束として、それを飲みながら話は進んでいくのだった。

「マール、この国と同盟関係にある国って?」

「恥ずかしい話、いい関係を結べているのはメルリードさんの国、リーブエルムだけなんです」

「なんでそんなことに?」

「先生が片付けてくれたオークの一件ですね。あれがあったために、この国は守ることだけに集中しすぎて、国交を結んで他国と取引する余裕がなかったんです」

 伊織のおかげか、最近やっとリーブエルムとの交易が始まったばかりなのだ。

 リーブエルムからは穀物や果物を、パームヒルドからは魔石を使った工業製品などを交易品として商人が行き来するようになったと聞く。

「ママからも最近手紙が届いたのよ。生活に潤いが出始めたって喜んでたわね。もちろん、イオリさんが作ってくれたママの像、あれも評判がいいの。でも、違った意味で催促されてるのよ」

「どんな?」

「孫の顔はいつになるのかしら? って」

「あー。それは授かりものっていうじゃない」

「授かるも何も、私まだ──」

「と、ところで、敵対国は存在するのかな?」

 伊織はとにかく誤魔化した。

 墓穴を掘る前に、いやもう掘ってしまっているのだが、話を元に戻すことにする。

 マールはメルリードが少し不憫に思った。

「そうですね、表立って敵対している国はありません。ですが、かなり前から不穏な話しか出ないここ、リトラルド国。それとガゼット叔父さんの領地の遥か北、ミデンホルム王国がちょっと心配ですね」

 伊織はメルリードから前に聞いた話を思い出す。

「メルさん。リトラルドって前にクーデターがあったって国だったよね」

「そうね。リトラルドはあたしの国でも危険視してるの。一番魔の森に近いということと、これ言ってもいいのかしら?」

「ん?」

「イオリさん。怒らないで聞いてね」

「うん」

「奴隷制度があるの」

「そっか。うん、大丈夫。あとは、ミデンホルムか」

「そうですね先生。あそこは前にいた好戦派の貴族が亡命した国でもありますから」

「うん。ガゼットさんに恨みを持っていてもおかしくないからね」

「それは仕方ないと思います。もしケリーさんが私だったら先生はどうしてましたか?」

「うん。多分斬ってた、いや、斬らないと駄目だろう。でも、俺に出来るのか、いや、ガゼットさんと約束したんだ。大切なものを守るためには、非情にならなきゃ駄目だって……」

 ナーバスになっている伊織の手をメルリードは優しく握る。

「イオリさんは優しいから。パパのときだって斬らなかったじゃない。あのときは切られても当たり前だったのよ」

「あれは、うん。斬れなかった。メルさんが本気だったのに、俺は何してるんだろう」

 マールも伊織に近づいて手を握る。

「あのね、先生。もしかして、先生のいた国って、そういうことを忌避していたんじゃないんですか?」

「うん。正当防衛と過剰防衛ってあってね。正当防衛ってのは自分が殺されるかもしれないというとき、誤って殺してしまったときに適用される。過剰防衛ってのは、相手がどれだけ悪くても、やり過ぎてしまうとこっちが悪くなるときがあって、そんなときに適用されるんだ。それを決めるのは、裁判官という人がいてね。現場を見ていないのに、状況や提出された証拠を元に判断するんだ。悪くない人も罪に問われることがあったし、悪い人でも罪に問われないことがある。法律っていう矛盾したルールに雁字搦めにされた国だったんだ」

 マールとメルリードは伊織の苦悩がなんとなく解ってきた。

 そういう複雑な世界で生きてきたのだ。

「ちなみにね、俺が住んでいたところは一夫一婦制が普通で、今みたいな状況は正直慣れていないんだ。別にメルさんやマールを蔑ろにしているわけじゃないんだ。本当にごめん」

「いいの。先生が悩むことじゃないのは知ってるの。私もセリーヌちゃんが羨ましくて、自分の気持ちだけを優先してたときがあったの。だから、ごめんなさい」

「あたしもだね。ごめんねイオリさん」

「うん、湿っぽくしてごめん。飲もう、酒がもったいないよ」

「そうね。飲みましょう」

「先生。あれ作ってもらえますか?」

「うん、ちょっと待ってね」

 伊織は前に作ったカクテルもどきを作ってマールに渡す。

「はい、マール」

「ありがと、先生」

「とにかく、ガゼット伯領の北、ミデンホルムから見てこようか」

「はい」

「そうだね」

「じゃ、今後の予定が決まったことと、メルさんマールともっと仲良くなれますようにということで、乾杯」

「なんかおかしいけど、乾杯」

「はい。先生」


 翌朝早く、伊織はミデンホルム行きの件を伝えるために、セレンの部屋へ来ていた。

 その話の途中、セレンの一言で伊織は困ってしまった。

「そういえばイオリさん。その髪の色、大丈夫でしょうか?」

「あ、そうだった。もう一度染めるしかないのかな……」

 そんなとき、右手の人差し指あたりから黒い靄が出てくる。

 すぐに実体化したクァールがそこにいた。

「……我お腹空いてる。お前、魔力よこす。我、その髪黒くする」

「クァール、できるの?」

 クァールが伊織の頭へ移動して髪を触ると、根元の黒い部分が広がっていき、あっという間に毛先まで黒くなった。

「イオリさん、一瞬で黒髪になりましたよ。最初に会ったときと同じ綺麗な……」

「おぉ」

「……あ、ここも」

 伊織の眉毛に触ると、瞬時に黒くなった。

 クァールは一瞬で伊織の手に移動すると人差し指を咥えた。

「……いただきます」

 じゅるじゅるじゅる

「あ、ありが──」

「……お腹いっぱい。ごちそうさま」

 クァールは満足そうにお腹を擦ったあと、指輪に戻っていった。

 その場に残る黒髪になった伊織は、もちろん気絶していた。

 セレンは倒れていた伊織の腕を肩に回してなんとか抱き起した。

 そのまま自分のベッドへ連れて行き、やっとの思いで寝かせることができた。

「……ふぅ。さっきの子が話に聞いていた闇の精霊のクァールちゃんなのね」

 セレンは当たりを見回して、聞き耳を立てる。

「今、イオリさんと二人きりなのよね。この機を逃すと勿体ないかも……」

 セレンはなるべく音を立てないようにして、自室のドアの鍵を閉める。

 カ、チャリ

 そのまま伊織の横へ座り、服のボタンとベルトを緩めると苦しそうにしていた伊織の顔を優しく撫でる。

 徐々に伊織の表情が穏やかになっていく。

 喉を鳴らして生唾を飲み込んだセレン。

 ゆっくりと自分の唇を伊織の唇に重ねていく。

「んっ……」

 伊織の唇の柔らかさを堪能しているとき。

『セレン姉さん。先生、そっちにいってませんか?』

 マールが呼びかけてきた。

『えっ。し、知らないわよ』

 伊織を探していたようだったが、とぼけることにしたセレン。

『おかしいなー。わかりました、他探してみます』

「……ふぅ。なんでこんなタイミングで」

 コンコンコン

「セレネード様、おはようございます」

 今度はオリヴィアだった。

「セレネード様。あれ? セレネード様? おかしいですわ。クラウディア、構わないからドアをこじ開けてしまいなさい。何かあったら大変です」

「はい。今すぐに」

「ちょっと、待って。待ってってば」

 セレンはさすがに慌ててドアを開けた。

「ご無事でしたか。このオリヴィア心配いたしました。お身体の具合がよろしくないのかと思ってしまいまし……て?」

 オリヴィアはベッドに寝ていた伊織を見て慌てた。

「クラウディア、こちらへ誰も近づけてはなりません。いいですね?」

「はい。姉ちゃん」

 オリヴィアだけ中に入るとセレンをジト目で見ていた。

「あの、ね。オリヴィア。これには深いわけがあって」

「はい。大丈夫ですよ。お子を授かるた──」

「違うのよ!」

 身振り手振りを交えてオリヴィアに事細かく説明したセレン。

「なるほど、勘違いしてすみませんでした。具合を悪くされたのは旦那様の方でしたか……」

「やっとわかってくれたのね……」

「いつものお仕事の方は私たちで片付けておきますので、セレネード様は旦那様へ着いていてあげてください」

「ありがとう。そうさせてもらうわね」

「ただし!」

「はい」

「旦那様の体力を無駄に消費するようなことはお慎みくださいね」

 目が笑っていなかった。

「はい、わかりました」

「では失礼いたします」

 綺麗な所作で礼をすると、部屋から出て行ったオリヴィア。

 セレンは、諦めて真面目に看病をするしことにした。


沢山のブックマーク、ご評価ありがとうございます。

これからも頑張りますので、よろしくお願いします。


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