第24話 爆発セレンさん
伊織はセリーヌから最近セレンの機嫌が悪いと聞いた。
どうしたのだろうと、昼前からセレンの様子を見に来ていた。
リビングのある二階の奥が今はセレンの執務室になっている。
「イオリさん!」
「は、はい」
「毎日、朝から晩まで仕事、仕事、仕事仕事仕事……もう嫌です! セリーヌが手伝ってくれていなければ、とっくにパンクしてますよ」
「はい!」
「商人だった時はまだよかったんです。でも、領主の仕事がこんなに多いなんて、おかしいですよ」
「はい!」
「イオリさんが後先考えないで移住させるから、なんて言えませんけど。お父さまはいったいどうやってこんなに仕事をこなしているのかしら? 確かにお父さまは頭はものすごくいいのだけれど……」
横で控えていたセリーヌがぼそっと呟く。
「お姉さん。私に助手がいたら楽になると思うんですけど……」
「それよ! 早々にお母さまにセリーヌの養子縁組を進めてもらえば、セリーヌに侍女を付けられるじゃないの!」
善は急げと伊織を急かしてロゼッタの元へセリーヌを連れて行くことになった。
「お母様!」
バンっとドアを開けるセレン。
そこにはたまたま父、ビルディアがロゼッタと一緒に固まっていた。
「お、お、お、お帰り、セレン」
「お父さま、久しぶりです。お母さま、お父さまと仲がよろしいのはいいのですが、時と場所を選んでください」
「セ、セレネード。ど、どういうことかしら?」
伊織とセリーヌは見て見ないふりをして、後ろを向いていた。
そう、ビルディアとロゼッタは今にもキスをしようとしていたからだった。
「今はまだ公務の時間だと思いますが? いちゃつくのは寝室だけにしてください」
「ごめんなさい、セレネード……」
「僕も迂闊だったよ、すまないね……」
立つ瀬なしのセレンの両親。
気まずい思いの伊織とセリーヌ。
一人だけぷりぷりと機嫌の悪いセレン。
微妙な空気の流れているアールヒルド家の一間だった。
気を取り直して、正面にロゼッタ、その右にビルディア。
セレンの左側にはセリーヌ、右側には伊織が座った。
「イオリ君は初めましてだね。僕がセレンの父、ビルディアだよ」
とても物腰の柔らかいビルディア。
「はい。初めまして、伊織です。セレンさんにはお世話になっています」
ビルディアは伊織の目を見て軽く肩を竦める。
まるで、お互い大変だね、と言わんばかりの優しい眼差し。
伊織も軽く目を閉じて、ビルディアを見て苦笑いをした。
伊織にとってビルディアのような優しい感じの男性は生まれて初めてであった。
この人が義理の父になる。
けっして悪い気分ではなかった。
そんなほのぼのとした空気を斬り割いたのはセレンの一言だった。
「お父さま、お母さま。もう私は限界です!」
バンっとテーブルを叩いて大声を上げたセレン。
いつもの穏やかなセレンからは考えられないほど切羽詰まっている感じがする。
「──ど、どうしたのかしら? セレネード」
額に脂汗でも流れそうな感じのちょっと怯えた表情で、娘の気迫に飲まれてかけているロゼッタ。
「毎日、仕事仕事仕事、寝ても覚めても仕事ばかり。お父さま、お母さまを見ていてもこれだけ忙しいとは思えません。なぜ私ばかりこんなに忙しい毎日を送らなくてはいけないんですか? もう限界です。イオリさんと婚約する前もしてからも、デートひとつしてもらえないんですよ!」
「お姉さん。落ち着いて」
セリーヌはセレンの手を握って宥めようとする。
「──はぁはぁ。ごめんなさい、セリーヌ。ありがとう、もう大丈夫よ」
ビルディアが申し訳なさそうな顔でセレンを見る。
「全部僕が悪いんだ。男の子が出来なかったからセレンに負担ばかりかけてしまって」
「俺が、セレンの気持ちをもっとわかってあげられていたら、こんなになるまで……ごめんなさい、セレン」
伊織もここは謝るしかないと思った。
「いえ、お父さまもイオリさんも悪くないんです。でも、お母さま」
「は、はい」
話を急に振られたロゼッタは背筋を正してセレンの顔を見る。
「とにかく、もう私一人では限界なんです。セリーヌに手伝ってもらえているから破たんしないようなものなんです。かといって、領主の仕事ということもあって、一般の人に手伝ってもらうわけにはいきません」「確かにそうね」
「なので、今すぐセリーヌの養子縁組を決めてください。お父さまも異存はないのでしょう?」
「うん。僕もセリーヌちゃんを迎えるにあたっての異存はないよ」
「そうすれば、この屋敷からセリーヌに侍女をつけられるんです」
ロゼッタとビルディアはお互い目配せをする。
「わかったわ。セリーヌちゃんは今この場から私たちの娘になります。今日これからビルと一緒に周知に回るわ」
「ありがとうございます。お母さま」
セレンの表情がやっと穏やかになってきた。
「セリーヌちゃん。今日から僕とロゼッタが君の両親になるからね。よろしく頼むね」
「は、はい。よろしくお願いします。お父さま、お母さま」
「私からもよろしくね。ロゼッタちゃん」
セリーヌは嬉しそうに笑っていた。
「では、私も今回は遠慮しないでオリヴィアを連れて帰りますね。オリヴィアいるんでしょ?」
キィッ
ドアを開けて入ってきた一人の小柄な女性。
「セレネード様、やっと連れていってくれるのですね。このオリヴィア、死ぬ気で頑張りますので!」
そこでロゼッタが少し慌てた。
「ちょっとまって、セレネード。急に侍女長のオリヴィアを連れていくなんて困るわ」
「いいえ待ちません。これまで我慢してたんです。今日こそ連れて帰ります。そうね、セリーヌにはクラウディアがいいかしら。オリヴィア、連れてきてくれるかしら?」
「はい、セレネード様」
「ちょっと。クラウディアまで連れていくなんて、困るわよ」
「元々私付の侍女じゃないですか。今まで一緒にいなかったのがおかしかったんです」
「それはそうだけど……」
「仕方ないよ、ロゼッタ」
「わかったわよ……」
伊織はそんなに有能な女性たちなんだろうか、と思った。
タタタタ……
バンッ!
勢いよくドアが開いた。
「セレネード様。お呼びにあずかり参上したしました」
セレンの前に片膝をついて頭を垂れている女性。
「ディア。よく来てくれたわね。申し訳ないけど、今日からあなたの主人は私の妹になったセリーヌだから、よろしくお願いね」
クラウディアはその場に立ち上がり、セリーヌに近寄るとセリーヌの前で片膝をついた。
「はい。このクラウディア、一命を賭してセリーヌ様をお守りいたします」
白い歯を見せてにかっと笑ったクラウディア。
「は、はい。よろしくお願いします。クラウディアさん」
すくっと立ち上がったクラウディア。
その身長は伊織とあまり変わらないように見える。
もしかしたら、踵の高い靴を履けば越してしまうかもしれない。
「セリーヌ様、僕のことはディアとお呼びください」
「は、はい。ディアさん」
「ディア、です。さんなんていりませんから」
「はい……」
勢いに押されたセリーヌ。
「駄目でしょう、ディア。セリーヌ様が怯えていますよ」
「あ、ごめん。姉ちゃん」
「姉ちゃんじゃありません。それに謝るのはセリーヌ様でしょう?」
「はい、驚かせてすみませんでした。セリーヌ様」
謝っているとはいえ、白い歯がキラリと光るくらいの豪快な笑顔。
「これでやっと私も少し楽になるかもしれません。ではイオリさん、帰りましょうか?」
「は、はい」
伊織は席を立って、セレンの手を取って立たせる。
「では、娘たちをよろしく頼むね。イオリ君」
「はい、お義父さん。お義母さん、今日はこれで失礼しますね」
「嬉しいな。僕に息子ができたみたいで」
「でしょう。いい子なのよ、イオリさんは」
アールヒルド家の屋敷を出ると、目の前には馬車が一台停めてあった。
その馬車に伊織とセレンが手伝って、オリヴィアとクラウディアの荷物を積んでいった。
荷物が積み終わると、馬車に全員乗ったとこを確認した伊織は、そのままアールグレイへ転移する。
これでセレンの負担が少しでも減ってくれればいいな、と伊織は思ったのだった。
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