第23話 本格的な病院
葉月はマールから教わった鍛錬方法を毎日欠かさずに続けている。
勇者と聖女。
名称が違うだけで伊織と同等の補正が発揮されてもおかしくはない。
日に日に魔力量は上がっていき、一週間が過ぎた頃には魔力の枯渇がなくなるほどになった。
ある朝、伊織に言われた一言で葉月の時間が動き出すことになる。
「葉月姉さん。病院作らない?」
伊織は葉月の注文通りの機材を作っていた。
その横にはあれこれ注文を出している葉月がいた。
もちろん、自分の言葉が墓穴を掘ることになるとは思っていなかったのだ。
自分の手だけでは足りなくなってきた伊織は、ナタリアに金物関係の制作を手伝ってもらっている。
営業の開始は明日の昼を予定しているので、もう時間がないからだった。
注射器の再現はなんとかなりそうだったが、ゴムやビニールの必要な点滴の機材などは難しい。
ガラスの加工は伊織がなんとかできたが、銀製の注射針や金属加工の必要なものは全てナタリアに甘えることになった。
店舗は伊織とナタリアの工房の二階を使うことになった。
部屋の改築は伊織が魔法で一気にやってしまったが、機材だけは一から作らなくてはいけない。
この世界にはないものが殆どだったからだ。
ほぼ徹夜状態でなんとか間に合わせた伊織。
終わったときには魔力は余裕だったのだが、精神的に疲れてベッドで唸っていた。
さすがの伊織でも精神的な疲弊は回復できない。
葉月は病院の開設のために忙しいため、セリーヌが伊織に膝枕をしていた。
領主の秘書という激務をこなしていたセリーヌは、この町にはいなくてなならない人になっている。
ちょっと天然の入ったセレンは必ず無理をするので、セリーヌが裏から支えているからだった。
「さすがに疲れたわ。んー、いい匂いだー」
「はいはい。イオリさん、お疲れ様」
セリーヌだって疲れているはずなのだが、こうしているだけでストレスも発散できているようだ。
最近になってなのだが、セリーヌに養子縁組の話が出ていた。
ロゼッタがヨールと話をして、自分の養女にすることに決めたからだった。
ヨールもそれに同意して、近いうちにそうするよう動いているらしい。
セリーヌ・アールヒルドになるということ。
セリーヌもセレンを姉のように慕っていたことから、ヨールと話をして同意したということだ。
いずれ伊織と結婚する際、アールヒルド、クレイヒルドと対立する貴族に何も言わせないため。
そうしたほうがいいというヨールとロゼッタの親心だったそうだ。
「はい、あーんしてくれるかな?」
「あーん」
母親に抱かれた小さな男の子を診ている葉月。
病院が開設されて数日が経った。
この世界にも風邪の原因になるものがあるらしい。
ここのところ寒くなってきたパームヒルド。
今の時期になると、風邪と同じ症状を訴える人が増えるらしい。
この世界にも薬は存在するが、総合感冒薬などはないのだ。
元の世界で言うところの漢方薬に近いものが薬効のある植物などから作られているそうだ。
治癒魔法は外傷を治したり、体力を補助したりするのが一般的な使われ方である。
病気の治療は、対処療法と薬で今までなんとかしてきたそうだ。
なので、病院という施設は正確には存在しなかった。
葉月の始めたのがこの世界では最初のものなのだ。
「んー。お風邪ひいちゃってるみたいね」
葉月は男の子の額に自分の額をくっつける。
「お熱もちょっとあるみたいね。ちょっとだけ動かないでね」
葉月は男の子の首に触ると、喉の炎症を和らげるようにイメージして魔力を流した。
「……これで少し楽になるはずね。どうかしら?」
「うん。おのどいたくなくなったよー」
「いい子ね。ではお母さま。このお薬を瓶についてる小さいコップ半分だけ、食後に飲ませてあげてください。甘いお薬だからお子さんでも大丈夫ですから」
伊織に作ってもらった薬用の瓶に、薬草と砂糖などで甘く作ったシロップを入れてある。
「よかったわね。先生にありがとうしなさいね」
「うん。せんせー、ありがとー」
「はい。お大事にしてくださいね」
母子が診察室から出ていくと、椅子の背もたれに背中を預けて軽く背伸びをする葉月。
「ハヅキ先生。これで午前中は終わりですね」
「そう。ありがとう、メリーナさん。あなたも休んでくださいね」
「はい。ではまた午後に」
この病院はまだ人手が足りない。
看護師も色々教えないと難しい仕事なので、まだ一人しかいなかった。
メリーナと呼ばれた女性看護師は、実はヨールの店、ビスクドールズで働いていた一人だった。
ヨールからの頼みで預かることになったのだ。
ビスクドールズを早期に娼館から変えたいと思っていたヨール。
最近だが、娼館を高級クラブへとシフトすることを始めたのだ。
そんな話をギルド経由で聞いたとき、経験者であった葉月が技術指導のためビスクドールズを訪れていた。
そんなときセリーヌから昼の仕事に移りたいお姉さんがいると、葉月に相談があったのだ。
中にはお酒を飲むのが苦手な女性もいたのだ。
メリーナは元々ビスクドールズのナンバーワンだった。
人当たりがよく、優しい女性だったので、そのメリーなを葉月が看護師として雇うこととなった。
元々貴族や商人などを相手にしていた彼女、受け答えなどは教える必要もなかった。
色々と勉強しながら手伝ってもらっているが、葉月も満足しているみたいだ。
午前中の受診が終わるのに合わせて、伊織が迎えにきていた。
「葉月姉さんそろそろ行く?」
「そうね。お願いできるかしら、伊織ちゃん」
ヴンッ
伊織は葉月を連れてガゼット伯邸へ転移する。
予定を伝えておいたので、ケリーが出迎えてくれる。
「ケリーさん、その後調子はどうかしら?」
「はい。今のところ大丈夫です。孤児院を手伝っていますので、軽い運動なっているせいか身体の調子はいいと思います」
ケリーの寝室へ着くと、葉月はケリーをベッドに寝かせた。
ケリーのお腹に手をあてた。
こうするとお腹の中の音が聞こえるんだという。
葉月は最近この方法が使えるようになったとか。
勇者補正に劣らず、聖女補正も半端ないのかもしれない。
「変な心音も聞こえないわね。順調だとおもうわ。ところで、ケリーさん」
「はい、ハヅキ先生」
「本当に赤ちゃんの性別知ってしまっていいのね?」
「はい。ぜひお願いします」
葉月はケリーのお腹を透視していく。
服、皮膚、脂肪層の順で一層、また一層と。
「あら。伊織ちゃんと同じように可愛らしいのがついているわ」
「葉月姉さん。ここでは俺はシノだって……えっ? 俺と同じとか……」
ちょっとへこんだ伊織をよそに。
「ハヅキ先生、イオリさんと同じということは」
「えぇ。あなたに似た、可愛らしい男の子ですね」
「そうですか。男の子ですか。跡取りを産むことができるなんて、夢みたいです。あなた、そこにいるんでしょう? 私に似た、可愛い男の子ですって」
「そうか! そうなのかぁああああ!」
ガゼットの大声が部屋の外から聞こえてきた。
「あなた、わかったんだから満足でしょう? 仕事に戻ってください」
「はい、ケリーさん」
入ろうとしていたガゼットは回れ右をしてまた帰っていった。
見事なまでの敷き具合に感心してしまった伊織。
「では、私は午後の診察があるので戻りますね」
「はい、ハヅキ先生。ありがとうございました」
「ケリーさん。お大事に」
ベッドに座ってそのまま挨拶をするケリーを残し、伊織たちは転移していった。
ヴンッ
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