第10話 縁で片付けていいのだろうか?
伊織は負けたと思った。
目の前の女性は自分よりただ2歳年上だけでなく、国を民を背負っている。
伊織の知識で言えば、公爵とは成り上がりでなければ王家の血筋だったはず。
危険を冒してまで敵対国へ渡り、情報を集めてくる。
私怨のみで警察官僚になろうとしていた、自分と違った。
凄く恥ずかしかった。
武器屋のおかみさんと言葉は違えど、同じことを言ってくる。
勇者であるという事実をまだ認識していない伊織と違い、自分の立ち位置を弁えている大人の女性だった。
自分は好きで勇者になった訳ではない、そしてあのような黒い王女に力を貸さないでよかった。
でもただ逃げてきたという事実も、また正解なのである。
あの街で偶然目に入った馬車に乗り込み。
偶然後ろ盾を受け。
偶然コボルトを壊滅に追い込んだ。
本当に偶然なのだろうか。
しかし、作為的なものは全く感じない。
これは、セレンの言う【縁】なのだろうか。
考えれば考える程、頭が絡まっていく伊織だった。
「お兄ちゃん、宿予約してきたから案内するね。お姉ちゃん、お話し終わった?」
「えぇ、もう大丈夫よ。イオリさん、明日都合のよろしい時間に寄ってもらえるかしら?」
「はい、わかりました。ミルラちゃん、案内お願いできるかな?」
「はい、あ、これ着替えだよ。高いものじゃないから。明日、服を選んだら一緒に会計してくれたらいいよ」
「うん、ありがとう」
伊織はミルラから、着替えの入った袋を受け取る。
「じゃ、お姉ちゃんいってくるね」
「はい、いってらっしゃい。イオリさんもお疲れさまでした」
「はい、では」
伊織はミルラの後ろをついて行く。
ギルドとは反対側へ向かい、十軒ほど行った場所にその宿屋はあった。
「お兄ちゃん、ここだよ」
そう言うと、先に入っていき、受付の女性と話をしている。
「さっき予約したネード商会ですけど、チェックインよろしいですか?」
不思議なほどに聞き覚えのある単語が飛び出してくる。
「はい、大丈夫よ、ミルラちゃん」
「そんな、ちょっと仕事っぽく言ってみたかったのに……」
「すみません。泊まるの俺なんですけど、一泊幾らなんでしょう?」
「はい、一泊夕食付で銅貨五〇枚になります」
おかしい、そんなに安いわけがない。
そう思った伊織。
「顔に出ていますよ、そんなに安いはずがないって」
「あ、いえ……」
しまった、表情を作るのを忘れていたと慌てる伊織。
「ネード商会さんには仕入れ面でお世話になっているので、ほんの少しお安くしてるんですよ。本来であれば銅貨七〇枚なんですけど、連泊の可能性があると言うことで五〇枚にさせてもらいました」
「では、十日分ということで銀貨五枚でよろしいですね?」
「はい、ではギルドカードがございましたらお願いします。宿帳への記入もそれで終わりますので」
伊織はギルドカードを渡す。
受付の女性は、読み取り装置へかけるとカードを返してくる。
「はい、受付は終わりました。これからお部屋へご案内しますね」
「じゃ、お兄ちゃんまた明日ね」
「ありがとうね、ミルラちゃん」
「はーい」
たたたた……
走っていってしまったミルラ。
「では、こちらです」
「ところで、風呂ってあるんでしょうか?」
「はい、大浴場になりますがございますよ」
「よかった」
階段を上がって二階へ、そして一番手前の部屋を案内される。
「こちらの部屋になります。このカードを預けますので、ドアの横の読み取り装置にカードをかざしてください」
伊織は受け取ったカードをかざすと。
カチッ
鍵が開いたようだ。
「鍵を閉めるときも、同じようにカードでお願いします。お風呂ですが、この先の階段を下りて一階の一番奥になります。貴重品などは、お部屋へ置いて、カードでの施錠を忘れないでください。カードはカウンターで預かりますので、お風呂の前にお寄りくださいね」
そう言って、会釈をして戻っていく受付の女性。
ドアを開けると、小ざっぱりした部屋でワンルームマンションくらいの広さだろうか。
刀をベッドに立てかけて、部屋を出て施錠をする。
カチッ
ドアが開かないのを確認して、着替えの入った袋を持ってカウンターへ行く。
「はい、カードをお預かりしますね。お風呂が終わりましたら、食事はこの階に食堂がありますのでそちらでお願いします」
「はい」
風呂場に着いた伊織はボロボロになった服を脱ぐ。
スマートフォンを着替えの入った袋へ入れてロッカーへ入れ、鍵を閉める。
これ、絶対前の勇者が伝えたんだろう。
ゴムのついた鍵を足首に付け、風呂場へ入っていく。
そこには、大きな浴槽がある、やはり日本人じゃないとこの発想は無理だろう。
まるで銭湯のようだった。
石鹸も、手ぬぐいも用意されている。
流石にシャンプーは再現できなかったんだろう。
獣臭い身体を洗って、湯で流し、頭も洗って浴槽に浸かる。
「ふぅ……風呂はやっぱりこうじゃなくちゃな……」
水を足すことなく、皮膚の表面がチリチリするくらいの熱さ。
じわっと疲れが抜けていくような、そんな気がする。
これで富士山の絵でも書いてあれば完璧なんだろうけど。
あとは、銭湯定番のフルーツ牛乳、しかしそんなものはある訳がない。
「せめて冷たく冷えた牛乳が飲みたいな……」
やっと頭が落ち着いてきた気がした。
自分はどれだけ強くなれたんだろうか。
(ステータスオープン)
氏 名:イオリ
年 齢:二十
レベル:一〇
H P:三〇五/三〇五
M P:一一五/一一五
STR:二一五
DEX:二〇〇
スキル:剣術 レベル四
魔 法:治癒魔法 レベル二 火魔法 レベル三
ユニークスキル:超回復 レベル二
称号:勇者
(STRっていうのは多分筋力。DEXは敏捷性なんだろうな、倍以上になってる。牢屋の鉄格子を焼き切ったときので、火魔法が上がった。剣術もあれだけ斬りまくれば上がるんだろう。ユニークスキルって上がるのか…HPは体力、いや、生命力なんだろう。攻撃を受けると上がるってことなのか? MPはあれだ。魔法をあまり使ってないから上がりが悪いんだろうな)
他人のステータスを見たことがないから、どこからが人間離れした状態なのかが解らない。
(明日は依頼内容を見て、この世界で他人が嫌がりそうな物がなんなのか考えてみよう)
ライフワークとなっていたこの考え方。
小学校のクラス委員から始まって、他人が躊躇するものを進んで片付ける。
これをやるのが普通だと思って育った。
自分がやらなくてもいいだろう、この考え方は伊織にはない。
他人が嫌がることを率先して片付けることで【何故やらないんだ?】という苛立ちから解放される。
そう、結局は自分の為なのであった。
自己中心的な考え方が、自然と他人の為になっていた。
だから他人の為に何かをしようという考え方はしないのである。
実に矛盾した性格だろう、素直じゃないのである。
伊織は湯船から出ると、脱衣場で着替えの袋を開ける。
黒いスエットの上下のような、そんな感じのものだった。
サイズはぴったり。
ただ困ったことがあった。
下着の替えがないのである。
明日なんとかしようと思う伊織だった。
(さすがにノーパンだとスースーするよな……)
ゴムではなく、内側から紐で締め付けるタイプのズボン。
ずり落ちないように気を付ける伊織だった。
頭を用意されているタオルで拭く。
袋の中からスマートフォンを取り出して、電源を入れる。
(さすがに圏外だよな、そりゃそうだ。でも最新の太陽光発電式だからいざとなれば充電はできるな。あの激戦の中よく壊れなかったもんだ……)
スマートフォンをボケットに放り込む。
汚れてボロボロになった日本の名残のある服を、着替えの入っていた袋に突っ込む。
(あ、財布どうしよう。ま、いいか)
財布もポケットに突っ込むと、伊織は脱衣場を出ていく。
カウンターへ歩いていくと、そこには受付をしてくれた女性がいた。
「イオリさん、お帰りなさい。さっぱりしたみたいですね。はい、カードをお返しします」
「あ、ありがとうございます。すみませんが、これ処分してもらえますか?」
ボロボロになった服だったものを渡す。
「わかりました、こちらで処分させてもらいますね」
その後、食堂へ行き、夕食を食べた伊織。
(まぁ美味かったよな。ポトフみたいな煮込みとパンだけだったけど。やっぱり米の飯が恋しいよな…)
部屋に戻り、ベッドへ身体を投げる。
精神的に疲弊していたのだろうか、目をつむるとそのまま意識が遠くなっていった。
読んでいただきまして、ありがとうございます。