第105話 今頃気付いてももう遅い
三カ所目の街まるごと亡命作戦が終わってから少し経ったあとの話。
ケリー姉弟からもらった情報を元に、富裕層を除いて小さな村単位での移住を何度も繰り返した。
その結果、この街の住民は優に千五百人を超えている。
人が増えたことにより、手狭になってきているこの街。
この地域は肥えた土地のせいか野菜も果物も育つらしい。
魔石の採掘や、管理された農業。
生活に必要なものはジータの街から仕入れているので不足するものはない。
移住してきたものの中には地魔法が使える者もいるので、伊織が付きっ切りでやる必要も少なくなってきていた。
人々の明るい表情の絶えないいい街になってきていたアールグレイ。
もう小国といってもおかしくないだろう。
そのため、ここより南にあった村跡の再開発も着手が始まっていた。
商人たちによるジータの街からの交易も盛んになってきて、街道の整備も始まっていた。
重税に怯えることのなくなった元領主は、各地区の長としてうまくまとめてくれている。
移住してきた人々も豊富な仕事にありつけたせいか、フレイヤードにいた頃より安定した生活を送れるようになってきている。
高地にあるパームヒルドはそろそろ寒くなる時期に入る。
この世界も一か月三○日、一二か月で回っているようだ。
今は一〇月で来月には雪も降ってくるらしい。
吐く息が白くなって寒さが増してきた感じもする。
伊織とセレンとマールの三人はアールヒルド家に呼び出されていた。
もちろん目の前にいるのはコゼットとロゼッタである。
ロゼッタは少しそわそわした感じで落ち着かないでいるみたいだ。
コゼットはしてやったり顔で落ち着いている。
そのコゼットが伊織に向かって。
「イオリちゃん。あのね、落ち着いて聞いてね」
義母になるコゼットから伊織ちゃんと呼ばれることはもう仕方ないと思っている。
そう呼ばれること自体は伊織にだって嬉しくないわけではないのだ。
「はい。急に呼び出されたので何かあったのかと思いましたが」
「そうなのよ、大変なことがあったのよ」
マールがコゼットに対して呆れたような表情をする。
「母さんが落ち着いたら?」
まったくもってその通り。
伊織たちは落ち着いて話を聞いているのだ。
「そうだったわ。いけないわね」
ひとつ深呼吸をするコゼット。
本来であればマールかセレンにに対しての話なのだろうが、伊織に対して真剣な眼差しを向ける。
「あのね。まだ内々の話なんだけど、フレイヤードから正式に謝罪があるみたいなのよ。あちらの王家からの申し入れらしくて、過去に攻め込んだ部分を含めてのものらしいわ」
それを聞いた伊織は言葉を失う。
セレンとマールも口を半開きにして呆然としている。
コゼットはロゼッタと目を合わせ、苦笑いをしながら伊織たちを見守っていた。
伊織はなんとかで気を持ち直して。
「なぜこんなことになったんですか?」
コゼットが伊織に何かを言おうとしたが、ロゼッタがそれを手で遮る。
「あのね。イオリさん」
ロゼッタも伊織にとっては義母になる女性なのだ。
優しい眼差しで伊織を見ながら話し始めるロゼッタ。
「はい」
「今回の行動はあなたが考えたことなんでしょう? セレネードやマールディアが考えつくような方法じゃないわ。容赦ないというかなんというか……」
「いえ、セレンが中心になって──」
コゼットがそれに続いた。
「イオリちゃん、謙遜をし過ぎると嫌味になっちゃうわよ」
ジト目で伊織を見るコゼット。
「はい、すみません。俺が考えました」
「やっぱりね。あのねイオリちゃん。やりすぎちゃったのよ」
やりすぎたという言葉に驚く伊織。
「えっ」
コゼットは手を組んでテーブルの上に置くと。
「あちらの国民を移住させて国力を削ぐという、今回のことは心躍るほど楽しい作戦だったのね」
「はい」
「でもね、私が知っている限りでは、フレイヤードの総人口は三千人に満たないのよ。そこでイオリちゃんが移住させたのはおおよそ千五百人にまでなるわ」
後ろ手に頭をかきながら、気まずそうに返事をする伊織。
「あー……」
「今残っているのは富裕層を中心とする商家や衛兵と貴族たち。農業や生産に携わる労働者階級の人々はいないに等しいわね。そのような状態で国が運営できると思うかしら?」
「──無理、ですね」
「そう。破たん寸前だったのね。あちらの王家が気付いたときにはもう遅かったのよ。そうしたらもうごめんなさいしかできないわ。そうでしょ? イオリちゃん」
「はい」
「ありがとう。お母さん嬉しくて昨日は眠れなかったの。積年に及ぶ恨みつらみ。何もできないでいた悔しさがね、一気に晴れてしまったのよ」
コゼットは立ち上がって伊織の側に来ると、伊織を抱いて頬にキスをした。
「あら、コゼット。貴女だけの息子じゃないのよ、イオリさんは。私の息子でもあるのよ」
そういうとロゼッタも立ち上がり、コゼットを引きはがして伊織を後ろから抱いた。
「ありがとう、イオリさん。私も嬉しくてたまらないのよ。貴族として受けた屈辱から、悔しさから開放されたわ」
ロゼッタも伊織の頬にキスをする。
鈍い伊織でも気付いてしまった、コゼットもロゼッタも香水をつけていないのだ。
セレンとマールから聞いていたのだろう。
伊織はそのあたりの気遣いが凄く嬉しかった。
「本当にこの国の男連中は国王を含めて役に立たないのね。イオリちゃんと娘たちだけでここまでしてしまったのに」
「えぇ、私たちの旦那さまにも見習ってほしいものだわ」
セレンもマールも母親が喜んでいるのを見て、自分のことのように嬉しく思っていた。
もちろん伊織は苦笑することしかできなかったが。
コゼットとロゼッタが自分の席に戻ったところでロゼッタが話を再開する。
「今後の予定ですけどね、セレネード」
「はい、お母さま」
マールは母さん、セレンはお母さまと呼ぶようだ。
「あなたには特使としてフレイヤードへ行ってもらおうと思っているのです。そのときはもちろん、イオリさんとマールちゃんを護衛につけますからね」
コゼットがこれに続く。
「こちらの親書はもう送ってあるのよ。あとはあちらの王家の対応次第なのよね」
コゼットが言うには。
フレイヤード王国国王からの正式な謝罪の要求。
教会からの文化財盗難疑惑がかかっている第一王女の身柄引渡を要求。
フレイヤードが侵攻してきたときの損害金を金貨二万枚を要求し、もしそれができなければ王家の解体を要求する。
この三点だと聞いた。
文化財というのは勇者召喚の魔石のことだろう。
「わかりました、お母さま」
セレンは二つ返事でロゼッタに返事をする。
こうして対フレイヤードの一件は最後の局面を迎えることになった。
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