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プロローグ その1

 この物語の主人公、篠崎伊織(しのざきいおり)は地方の大学に通う二十歳であった。

 警察官僚の一人息子として生を受け、厳しく育てられる。

 警察庁長官であった祖父は宮本武蔵を崇拝していた。

 そのせいか、父親の名前は武蔵、そしてその息子の名前も伊織と付けられた。

 幼少のころから、伊織は剣術を無理やり習わされ、学校の送り迎えは黒塗りの車。

他人(ひと)を見たら泥棒と思え】

 そういわれて続けて育った。

 そんな偏った教育により、簡単には人を信用しない疑り深い性格に育ってしまった。

 いい方を変えると、信用、信頼に対する極度の人見知り。

 その反面、家族や家人にはとても優しい子だった。

 家人による送り迎えのせいで寄り道もできず、休日は家庭教師による勉強。

 疑り深い人見知りな性格もあって、表面上の付き合いの友人は沢山いたが、一緒に遊ぶような心を許せる友達はいなかった。

【他人が嫌がってやりたがらない、敬遠されることがあったとする。そのようなことがあるなら、お前が進んでやれ。人の上に立って人を使えるようになれ】

 父親からそういう育て方をされてきた伊織。

 遊ぶ時間も与えられず勉強ばかりしていた為、成績も良く、中高と生徒会長を務めていた。

 表面上いい人を演じ、心の奥では人を信用しない、そんな少年だった。

 他人を信用しないからこそ、何事も自分でやることになる。

 他人が自分より先頭に立つのも好きではない、負けず嫌いな性格。

 人当たりの良い、負けず嫌いの人見知り。

 実に性質の悪い性格だった。

 高校を出て、実家から通いきれる範囲の場所でしか進学を許されなかった。

 そのため地元の国立大学を受けて、そして受かった。

 祖父からは国会議員などを多く出した大学に行けと言われたが、現役で受かる自信がなかった為、国家公務員1種試験に合格することを条件に地元の大学へ行くことを許された。

 社交的で人当たりのいい伊織だったため、大学でもそれなりにやっていけた。

 入学から半年ほど休学していた伊織は、単位を取るのがやっとだった。

 付き合いでサークル活動をするような余裕もなく、アルバイトをする必要こともなかったため、異性との出会いは殆どなかった。

 見た目も良く学内で告白されたりもしたが、全て断ってしまっている。

 それはそうだろう、人を信用しないのだから、異性だって同様だ。

(このままだと、俺も親父みたいに見合いをして、もう恋なんてすることなく結婚するんだろうな……)



 伊織は幼少中高まで一貫の学校に通っていた。

 そこは高等部までは男子部と女子部に分かれていた。

 男子部、女子部の場所も遠く、交流はほぼ無きに等しい。

 女性と言えば、母親と親族くらいしか面識もない生活だった。

 伊織が小学六年生の冬。

 元旦に親族の集まりがあった。

 正月と伊織が中等部へ上がる祝いも兼ねて、少しばかり賑やかに行われた。

 篠崎家の長男であり、次期当主でもある伊織の挨拶の順番になった。

「親族のみなさま、僕は来年中等部へ上がります。さらに勉学に励み心身ともに鍛えること。篠崎家の長男として、期待に背かぬよう努力していくことをお約束します」

 伊織が頭を上げると、当主である父の新年の挨拶でひとまず解散となった。

 毎年行われているこの集まりだったが、今年は少しおかしい。

 伊織が部屋に戻ろうとすると、父にまだ座っているようにと止められた。

 そこに残ったのは伊織の父と伊織。

 そして毎年顔を合わせる年配の男性と横に座る女の子だった。

 その女の子は振袖を着て、黒髪で前髪が眉で揃えられている。

 まるで日本人形のような女の子だった。

 そんな子が大きな目をして、伊織のことを興味津々に見ている。

「伊織」

「はい、父さん」

「この子がお前の許嫁になる、本郷小夜子(ほんごうさよこ)さんだ」

「はい」

 前日に聞かされていたので驚くことはなかった。

 可愛いとは思ったが伊織にはさほど興味がなかった。

「小夜子、挨拶しなさい」

 小夜子と呼ばれた女の子が三つ指をついて挨拶を始める。

「はい、お父さん。伊織さんと同じ中等部に上がります、本郷小夜子と申します。ふつつかものですが、よろしくお願いします」

(今の挨拶って、お嫁にきたときのやつじゃないのか?)

 不思議に思う伊織だったが、実に淡々と紹介されるだけ。

 毎週末に伊織に家に来ることを伝えられ、伊織もそれを了解する。

「父さんたちは、仕事の話があるから小夜子さんと部屋で話をしているといい」

「はい、父さん」

「小夜子、伊織君と一緒にいっておいで」

「はい、お父さん」

 伊織は立ち上がり、無言で小夜子に手を差し出す。

 小夜子は嬉しそうに伊織の手を握り、後をついていく。

 廊下に出る2人。

 伊織は父の目が届かない場所になると、小夜子から手を離す。

 無言で前を歩く伊織。

 2階の伊織の部屋に着くと、襖を開けて小夜子を招き入れる。

 座布団を敷き、それを指さす伊織。

 小夜子が座ると、伊織は踵を返し、机に向かって本を読み始めた。

「そこに勝手に座っててくれるかな」

「あの、伊織…君」

「なに」

「少しお話ししてもいい?」

 伊織は振り向かず返事をする。

「いいよ」

「あのね、伊織ちゃんって呼んでもいい?」

「勝手にすれば」

 嬉しそうな表情のまま、伊織の横にちょこんと座る小夜子。

「ねぇ伊織ちゃん。何読んでるの?」

「……」

「ねぇ、伊織ちゃんってば」

「ちょっと静かにしてくれないかな」

「だって、伊織ちゃんのお父さま、話していいって言ってたでしょ?」

「してるじゃないか」

「それはそうだけど…。五輪書(ごりんのしょ)、そんな難しいの読んでるんだ」

「うん」

 小夜子は休むことなく伊織に話しかけている。

 伊織は小夜子を気にすることなく、生返事で返している。

「伊織ちゃん、いつまでそのページ読んでるの?」

「難しいんだよ」

「何でそんなの読んでるの?」

「難しくても読めって言われてるし、読まないと負けた気がして嫌なんだよ」

 伊織は眉間に皺を寄せながらも読み続けていた。

 ある程度時間が経つと、小夜子の父が呼びに来て小夜子は帰っていく。

「伊織ちゃん、また日曜に来るね」

「うん」

「またね」



 毎週のように小夜子が伊織の部屋へやってくる。

 伊織は別に嫌な顔をする訳でもないが、相変わらず小夜子が一方的に話し、生返事で返す。

 そんなやりとりが続いていった。

「伊織ちゃん、今日は何読んでるの?」

「宮本武蔵って小説。前のより難しくないけど」

 表紙だけ見せてそう言い返す伊織。

 小夜子は伊織の顔に触り、眉間を擦る。

 伊織は手で払うこともなく、無視して読み続けている。

「そんな固い小説ばかり読むから眉間に皺が寄ってしまうのよ」

「そんなの僕の勝手じゃないか」

 小夜子は持ってきた巾着袋から一冊の本を出す。

 伊織の手から本を取り上げ、その本を伊織に見せる。

「ほら、これ貸してあげる。読んでみて」

「なんだよこれ。〔私の勇者になって〕って変な本だな。こんなの読んでるから学年で1位になれないんだよ」

「いいじゃない。ほら騙されたと思って読んでみてよ。来週感想聞かせてね」

 その本を渡したあとは、また一方的に話しかけて帰っていった小夜子。

 伊織だって漫画とかを読んでみたかったとは思っている。

 しかし、父は許してはくれない。

 こんな本見つかったら怒られるに決まっている。

 仕方なく同じサイズの紙をブックカバーのようにつけ直し、偽装してみる。

 本棚へ隠し、その場は放置することにする。


 別に小夜子のことは嫌いではなかった。

 ただ男子校と同じ環境の学校に通う伊織にはどう接したらいいかわからない。

 その夜、思い出したかのようにその本を手に取る伊織。

 親が寝静まった時間に読み始める。

 その話は、異世界に落ちた少年が勇者になり、お姫様と恋をする。

 そんな話だった。

 漫画を読むことが出来なかった伊織には、刺激が強く面白い話だった。

 休まず一気に読み終わり、本棚に隠してその日は眠る。

 次の日の夜も、また読み返しては一人でニヤニヤして楽しんでいた。



 週末に小夜子が来たとき、伊織は読んでいないかのように本を返した。

 失敗した。

 カバーをかけたまま小夜子に渡したのである。

 コピー用紙を被せていたため、指先の脂が染みついていたのに小夜子は気付いた。

「伊織ちゃん【俺を勇者って呼ぶな!】って笑っちゃうよね」

「【呼ばないでくれ】だろう……あっ」

「やっぱり読んでくれたんだ」

「うるさいな、読めって言われたから読んだだけだって。続きあるんでしょ、貸してよ」

「素直じゃないわね。そう言うと思って、持ってきたのよ」

 そうして少しづつ小夜子のペースに巻き込まれていく伊織。

 自然と2人は仲が良くなっていく。

 小夜子は前から伊織を知っていた。

 自分が伊織の許嫁になると小学5年のときに聞かせされていたというのもあった。

 毎年の正月、父親についてきては伊織の顔を見て知っていた。

 中性的な顔をした伊織は、小夜子から見ても可愛らしく毎年見ていて写真までもらって隠し持っていたと聞く。

 伊織はその話を聞いて照れるが、それがまた小夜子の琴線に触れたのだろう。

「ねぇ伊織ちゃん」

「ん?」

「許嫁ってさ、将来私、お嫁さんになるんだよね」

「そうだね」

「伊織ちゃんは私のこと好き?」

「嫌いじゃない」

「じゃ、恋人にしてくれる?」

「別にいいよ」

「私嬉しい!」

 小夜子は伊織に抱き着いて、伊織の唇に触れるだけのキスをした。

「な、な、なにするんだよ」

「嬉しかったから。私のファーストキス。嫌だった?」

「別に」

 そう言いながらも顔が赤くなっていく伊織。

 嬉しくないわけがないのだ。

 放っておけばそうなる将来が約束されていたが、言葉に出して約束するとまた嬉しさが違った。

 伊織は小夜子のことが好きだ。

 いつも明るく、伊織のことを包んでくれる。

 母親に甘えることが許されなかった伊織にとって、小夜子はなくてはならない存在になっていく。


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