4.大雨小雨
「お嬢様は小動物のようなお方です」
新米メイドのミリアムはそう告げながら、お茶とクッキーを配膳する。
「ふむ、もう2歳にもなられたのだ。エリー様には貴族として、しっかりしてもらわんといかんのだがのう……」
儂はティーカップに口をつけると、そっと目を閉じた。
エリー様は、歩き始めてからというもの屋敷のあちこちを見て回っておられるようだが、誰かが近付くと逃げ出し、最後には泣き出してしまうのだ。とくに儂が近付こうものなら、逃げるも何もなく、最初から大音声で泣き出してしまう始末である。ゆゆしき事態だ。
「ハロルド様のお顔が怖いだけでは?」
「そんなわけがあるか! 儂はいつも笑顔でエリー様に接しておる!!!」
鏡に向かって自慢のヒゲと少々白くなってきた髪を整え、笑顔の練習を始める。
家宰としてアレン様の所で働き始めて3年になるが、このダンディ具合に衰えは無い。
そして日課のポージング。今日も筋肉が美しい。
ミリアムよ。いつも儂を見つめておるようだが、残念ながら儂は妻子持ちだから期待には応えてやれんのだ、解ってくれ! まあ、今のナンバーワンはエリーお嬢様なのだがな!!!
そんな甘い空間をぶち壊すように、軍務担当家令であるトーマスが慌てて室内に飛び込んできた。
「ハロルド様、南の町で火災が発生しました! 住民は順次避難しておりますが、水魔法を扱える魔術師はレベルが低く、延焼は避けられません!」
「なんじゃと!? 儂も出る! 周囲の建物を打ち壊してでも、なんとか鎮火させよ!」
テルネラント領は、どちらかと言えば魔法より武術を中心とした軍構成をしており、統率はとれているが災害対応能力としては他領に少々劣る所があった。
なに、魔法が無ければ筋肉を使えば良い。延焼を防ぐなら、周りの可燃物を片付けて、バケツリレーで水をぶっかければ良いのだ。壊れた住居など、鍛えた筋肉で再建すれば万事解決というものよ。
儂が颯爽と部屋から出た瞬間、ドアの陰から足にしがみつく小さな影があり、勢いがついていたのではね飛ばしてしまった。
「……エリー様だ……」
なんたる不覚! 事もあろうにお嬢様を蹴り飛ばすとは……。いつもにも増して大号泣ではないか!
「申し訳ございませんエリー様。お詫びは火事が鎮火しましてから、必ずや!」
儂は慌ててメイドのミリアムを呼んでエリー様を任せると、トーマスを連れて屋敷から飛び出した。
ミリアムは儂をじっと見つめているようだが、なに、心配はいらんさ。直ぐに火を消して戻ってくる! 最愛のお嬢様の下へな!!!
◇
ぶええええ! やっぱり家宰のハロルドさんは怖すぎですー! 突然蹴られたですー! 2歳児だろうが容赦無いですー!
あ、今私がハロルドさんの執務室を訪ねたのは、お出かけを止めるためだったりします。
私はいつも通り、暇つぶしに自室で偵察魔法を使って領地内を見て回っていたわけですよ。そしたら南の町で、モクモクと煙が立ってるじゃないですか。
巡回兵の皆さんは避難誘導とかしてるんですけど、騎士の皆さんが出してる水の魔法が弱くて、鎮火しそうにないの。町の皆さんが井戸からバケツリレーしてる水の方がまだ効いてるよ。
そこで私がお手伝いしようと思った次第ですよ。
領主の娘として、領内の皆さんにはご迷惑かけてばっかりじゃないですか。このままでは1人で暮らせるまで成長する前に、ギロチンにでもかけられるに違いありません。生き延びるために、少しでも心象を良くしておきたいわけです。
魔法で水をぶっかければいいわけですが、いきなり何も無い空間からじょばーっと水が出てきたら、皆さんは怖がって私を処刑しに来ることでしょう。
なので、自然現象に見えるように雨を降らせることにしました!
仕掛けは簡単。空間魔法でゲートを開き、南方の湿気たっぷりな空気を領内上空の冷たい空気に触れさせるだけ。
空気が転移して来たとして、それが見える人はまずいません。魔力を視認できるような高位の魔術師さんなら怪しむかもしれないけど、遥か上空の微妙な魔力を観察してるような暇人はそのレベルにいないと思います。だから安全。
で、お空の上にゲートを繋げた途端、軍人家令のトーマスさん乱入ですよ。家宰であるハロルドさんにヘルプ要請に来たと、ピンとわかりましたね。
家宰といえば、領主であるお父さんがいない時の領内政治のトップですし、現場に直行するだろうと。
だから止めに行ったのですよ。
……大豪雨が来るからって……。
30分後、メイドのミリアムさんが、いつもの冷たい目でずぶ濡れになったハロルドさんを呆れたように見ていました。ハロルドさんが何か言いに私のところに来たってことらしいんだけど、私は怖くてミリアムさんにしがみつきながら泣いてたから、よく覚えてないです。