10.回復魔法で無双しました!
「ああ、脱臼だね……ほれっ!」
ゴキンと肩から音がして、野太い悲鳴が上がる。
「キャロルさん、湿布を貼ってよく冷やしてあげてください。次の人!」
私はフレッド医官からの指示を受け、湿布を患者の肩にペタリと貼り、そのまま処置室から追い出す。
軍という機関は、有事の際にはもちろんだが、平常時でも頻繁に怪我をする。訓練が激し過ぎて日に10〜20人は新患が発生し、魔物狩りでも同じく1日に10人くらい怪我をして帰ってくる。
そういう意味では、医務室は毎日戦場であると思っていい。
「俺の本業は内科なんだがなあ……なんで外科仕事が多い、軍なんかに来たんだろう……」
「本田先生が軍に居たからでしょう? 愚痴ってないで、早く片付けてください!」
「キャロちゃん、片付けろはねーよ!」
フレッド先生がグズグズ言い始めたので、背中をぱぁんと叩いて気合を入れる。診察室に入ってきた駄犬獣人兵は、勝手に私の猫耳をもふってきたので、肘関節をキメておいた。ああ、仕事が増えない程度には加減してるから大丈夫。呻いていようが大丈夫。いいね?
看護師の重要な仕事の1つとして、医師のメンタル管理というのがある。
医師という職業は、大なり小なり「何かやらかしたらどうしよう?」という不安が、他の職種に比べて大きい傾向がある。生き死にを扱ってるんだから、当然といえば当然。
だからこそ、しばしば萎縮したり調子に乗ったりするわけだが、そこをコントロールするのが医療補助をしている看護師の仕事でもあるというわけだ。
まあ、それ以前に目の前の患者をとっとと処置しないと、こっちの身が保たないわけだが。
「ほら、セクハラしてるとたんこぶ増えるよっ! 治療が終わったら、さっさと修練場に戻った戻ったぁ!」
セクハラ駄犬兵は、頭を木刀で殴られた感じにぽっこりたんこぶができていたので、フレッド先生の指示に従って、これまた湿布を貼り付けた。
膏薬が頭の毛に張り付くですって? 大丈夫です。ここにはハサミという文明の利器があります。そう、だいじょうぶです。
基本的に訓練中の怪我の治療なんて、炎症は冷やして治す、傷がでかけりゃ縫う、くらいなものです。よっぽどひどい怪我でもなければ、回復魔法なんかは使わない。痛めつけてから自己回復する過程で筋力や生命力が増えてくるから、治療行為は添えるだけ。鍛えるとはそういうこと。
私は軍の基礎力向上のため、心を鬼にしているだけなんです。ええ、そうなんですとも。
軍内では、回復魔法は骨折やら出血多量などの怪我で動けなくなった人にも使うけど、だいたいは一般の病人を相手に使うことになります。このテルネラント領では公共事業の1つとして、所得の低い人限定で無料での回復魔法治療を一般に開放しており、私たち西北軍もだが、領主軍、東南軍の各医療部が、それぞれの地区の病人を毎日50人を限度として予約受け入れをしている。
軍内の患者を診終わったら、今度は一般人の診療開始である。こちらは怪我より病気がメインであるため、内科志望のフレッド先生はだいたいここから復活する。
「はーい、一般診療開始しますよー! 受付番号1番のかたー……ほへ!?」
いつも診察室前に押し合いへし合いしている患者の大群の代わりに、騎士団長様がどこかのお嬢様の手を引き摺ってやって来ました。これは騎士団に届けなければいけない事案なのでしょうか? あ、ここが既に騎士団施設でしたね。
それにしても、この爽やかな回復魔法の気配は、あのお嬢様の仕業でしょうか? 団長は確か細やかな魔法は苦手だったはずだから、患者の群れを散らした犯人ではないでしょうし。
……って、だんちょー! 幼女の魔力であの人数に回復魔法かけたら、間違いなく枯渇して死にますって! なんで放置してんの!!!???
「ちょ……! 大丈夫!?」
目の前の幼女が大量の回復魔法を使ったという状況に考えが至った瞬間、私は幼女のバイタルチェックに入っていた。
◇
マックス騎士団長さんに引き摺られてやってきたのは、医療棟と呼ばれる建物でした。
なるほど、一般人の受け入れと入院といった機能を考えると、機密がある軍本部棟とは分けておかないといけないわけですか。そりゃそうですね。
この施設では、5人の魔術医官が交代で、外来やら入院やら魔物狩り従軍やらの仕事をこなしているそうです。
フレッド先生は、だいたい午前に外来、午後に病棟周りというシフトになっているらしく、私は外来の待合室に連れて来られました。
うわあ、待合室のどこもかしこも、『いつまで待たせやがるんだ』オーラ出しまくりです。
前世の病院事情と同じですね。私はこれが怖くて、病院への就職は真っ先に切り捨てました。
しかしよく見ると、病人や怪我人は魔力の流れが澱んでますねー。
待ち時間はヒマですし、ちょっとイタズラしてみましょうか。
「お兄ちゃん、お腹痛い?」
待合室内で1番優しそうなお兄さんに話しかけてみました。お腹の魔力循環が悪いので、たぶん冷やして下痢してる感じです。
「ああ、痛くてもうぐったりだよ……って、団長!? おはようございます!」
お兄さんは、私の隣のマックスさんに気付いて、病院内だというのに勢いよく敬礼し、ゲンコツもらってました。
「ったく、一般の患者さんに迷惑だろ! で、エリー様、コイツが何か?」
私はマックスさんの耳にこそこそ内緒話をした。
「たぶんここに居る患者さん、ちょっとした回復魔法ですぐに治ります。試してみたいので、ご許可をいただこうと思いまして」
「ああ、構いませんよ。医療部の奴らの負担が減ってありがたいです。我々の待ち時間も減るでしょう?」
団長さん直々にお許しが出ました。なら遊ぼう。
「痛いの痛いの飛んでいけー」
お兄さんのヘソ下あたりに右手をあてがい、【回復魔術】で正常な魔力の流れのラインを作ると、お腹がだんだん温かくなってきました。
次第に腸が動いてきたのか、中のガスが動いてゴロゴロと音がしました。
後は何回かトイレで出す物を出したら、お腹を温かくして寝れば治るくらいに回復しました。
……この治療内容、前世でよく調剤してた漢方薬の『真武湯』の理屈に似てるなーと思います。意外と魔法と中国医学って親和性高いのかもしれないです。
最初のお兄さん以外は離れた所からやってみたけど、案外大丈夫でした。
「あれ、ダルいの治った?」
「なんか腰の痛み引いてきたのう……帰るか」
「病院に来たらなんか咳が止まった。清潔な空気を吸うだけで、案外治るもんだな」
待合室の風邪やら腰痛やらの患者50名ほどに、こっそり【回復魔術】の実験をしたら、皆さんだいぶ良くなったみたいで、あれよあれよという間に元気良く帰って行きました。
営業妨害かもしれないけど、ごめんなさい。成り行きでやっちゃいました、すみません。
公共事業だから、特に利益出してるわけじゃないという点だけは救いだけど。
しかしまあ、やっとフレッド先生と話せるわー。待ち時間長すぎるでしょー。
最初の患者を呼ぶ声が聞こえたので行ってみると、診察室のドアのところで、先生と看護師さんがぽかーんとこっち見てました。マックスさんの方を見ると、こちらはなんかドヤ顔をしてました。
うん、お仕事荒らしごめんなさい。
「おう、フレッド。お客さん連れて来てるぜ」
「……お邪魔します……」
今更というようにご挨拶をすると、看護師さんがえらい勢いで飛んできました。
「ちょ……! 大丈夫!?」
なんだか重症患者を診るように、熱や脈をチェックされだしたんですけど、なんでまた? 伝染病患者でもいました? やばいこわい。
なんかフレッド先生も魂が抜けたようになってるし、お邪魔確定みたいなんで帰りますね? だめですか? ひょっとして隔離だったりするんですかー!?
私が看護師さんのバイタルチェックから無事解放されたのは、実に10分後のことでした。