鎧なんて、脱ぎ捨ててしまいなさいよ
制服を着崩さないのは、もうある種のポリシーで、私をまとう鎧のようなものだった。
第一ボタンまで閉められたワイシャツに、しっかりと締められたネクタイ、肩パット入れ過ぎじゃないかと思うくらい重いブレザーもちゃんと着て、スカートは膝を覆い隠す長さ。
「……どうしたの、それ」
朝、いつも通りに起きて、いつも通りに胃を労るようにお味噌汁や果物だけを食べて、いつも通りに制服を着て、いつも通りに家を出て学校に来るはずだった。
と言うか、制服を着るところまでは、本当にいつも通りだったのだ。
「違うの」
「いや、何が」
「だから違うの」
「主語がないのよ、国語五のくせに」
学校に着くなり投げ掛けられた言葉に、私は首を振って答えたが、彼女はその答えで良しとはしない。
終いには私の成績まで持ち出して来る。
国語が五だからって、常に正確な日本語が使えると思ったら大間違いなのだ。
学校に着いた――教室に着いた私には、いつも通りの部分が一つ欠けていた。
その一つ欠けただけでも、私にとっては大問題であり、目の前の彼女にとってもおかしいことなのだろう。
じゃなかったら、挨拶もそこそこに、どうした、なんて聞いてこない。
今日の天気は雨。
雨の日は気圧がどうので頭痛がするから、正直好きじゃない。
更に言えば、傘の使い方も決して上手いわけではないので好きじゃない。
今まで何本の傘を壊してきたのか分からないところ。
「中学生が、チャリで激走して水掛けてきた」
どさり、と鞄を自分の席へ置く。
私の前の席の彼女は、椅子を横向きにして座りながら私の話を聞いている。
残念ながら私は小中高と近場の学校を選んでいるし、時間に焦ることもなく過ごしているので、自転車に乗って学校に来るなんて経験はない。
今朝の登校を思い出しても、特にその中学生を怒鳴る気にもならないけれど。
水を掛けられたことに私は驚いたけれど、向こうも向こうで水を掛けてしまったことに驚いていた。
その後本気で泣きそうな顔をして、謝り倒しながらタオルやらハンカチやらを出してきたので、大丈夫大丈夫と言って学校へ向かわせたが。
チャリで激走していたのは、きっと急いでいたからだろうし、タオルやらハンカチやらも借りると後が面倒だったし。
そもそも水を掛けられたのは、スカートだけだから、保健室に借りに行けば直ぐに出してくれた。
いつもよりも短い膝上スカートをな。
「似合わないわけじゃないけど、違和感はあるわね」
「知ってる」
鞄とは別に持っていた紙袋を、机の横に掛ける。
中身は勿論濡れて履けなくなったスカートだ。
水を吸って重かったので絞ったが、結局のところ乾いていないし、色は違うしで履けるわけもない。
今日に限ってタイツでもニーハイでもなく、普通のソックスのせいで、更に足元がスカスカする。
女装やら何やらでスカートを履かされる男子は、こんな気分なのだろうか。
「校則にもこんなスカートダメって書いてたよね」
「一応、低身長の部類に入るのにね」
微妙に話が噛み合っていない上に、サラリと貶められた気がしなくもない。
履きなれない長さのスカートの裾を指先で弄る私に、面白いものでも見つけたような顔をしている彼女。
普段から早めの時間に登校しているから、今はいいけれど、この後にも同じような反応をされるとなると、何とも居心地が悪い。
好奇の目に晒されるのは好きじゃないのだ。
――誰だってそうだろうけれど。
「おー、相変わらず早いな」
ガラリッ、と扉の開く音と一緒に飛び込んで来た声に、私も彼女も視線を向ける。
そこには私の隣の席で、彼女の斜め後ろの席のクラスメイトがいて、ひらりと手を上げた。
「アンタもね」
「この雨じゃ朝練にも限界があるだろ」
はっはっはっ、と大袈裟に笑うクラスメイトに対して、彼女は自分から聞いたのに、大して興味のなさそうな反応。
運動部は大変だな、と思いながら彼を見上げていると、彼女が軽く首を傾けていた。
どうしたの、と声を掛けるより先に「今日の現代文の課題、やってきた?」と言い出す彼女。
そういえば昨日授業でそんなことを言っていたな。
ぼんやりと内容を思い出していると、目の前の彼があからさまに視線を逸らして「あー、あれなぁ」と言い淀む。
割と簡単な方だったけれど、それはあくまでも私の感覚であって、彼の感覚とはまた違うだろう。
彼女の場合は平均して全ての教科の成績がいいから、また違う感覚を持っているだろうし。
そんなことを考えていたら、彼女が頬杖をついたまま私を見て「終わった?」と問い掛ける。
当然彼も私を見た。
「終わったけど……」
「マジで?!見せてもらってもいい?」
「うん。確かロッカーの中に……」
笑みを貼り付けている彼女に気付かずに、彼の言葉のままに立ち上がり、教科書などを詰め込んでいるロッカーに向かう。
その瞬間に「ふはっ」と吹き出す彼女の声と「えっ?」と漏らす彼の声が重なる。
ふわりと揺れるスカートの裾に、自分のロッカーに掛けていた手を止め、振り返った。
大きく見開かれた彼の目は、私ではなく私の履いているスカート――もしくは足に向けられている。
「あー、と、イメチェン?」
「違う!!!」
勢い良くスカートを押さえ付けて言えば、彼は面食らったように上半身を逸らす。
足がスースーして気持ちが悪い。
下着が見えるくらいに短くして、足を出している他の子達の気持ちが分からない。
彼の横では、彼女がケラケラと笑う。
目の縁に涙を溜めて大笑いしているところを見ると、どう考えても狙って課題の話を出したのだろう。
気付かなかった私も私だけれど。
見られるのは好きじゃない。
だから着崩さない制服が、私にとっての鎧でもあり、一つのポリシーなのだ。
それがこんな形で崩されるなんて、誰が想像する。
黒いソックスと濃紺色のスカートの間から覗く肌色を見つめながら、彼はほのかに頬を染め口を開く。
「スゲェ、いい」
何が、なんて聞く必要もない。
ただのセクハラ発言だ。
顔に熱が持っていかれる私を見て、彼女はお腹を抱えて声を上げ笑い出す。
一体誰のせいだと思ってる、なんて言葉よりも先に、雨音すらもかき消す私の悲鳴が上がったのは言うまでもない。