子供の選択
千秋の唐突な言葉を聞いた子供の反応は、警戒と敵愾心と殺意の視線だった。
その視線を受けた千秋はこの状況下でも全く折れていない子供の様子に深い満足とともに口の端を上げる。
無表情な彼が、顔の一部分のみを不敵に歪ませている様子は恐ろしく不気味であり、彼の白い肌と黒い髪という容姿と合まって、周りにいた彼の表情を見た少年たちは、何やら言いしれない狂的な雰囲気を感じて無意識のうちに足を一歩退く。しかし、そんな有象無象など千秋の意識の端にも乗らない。ただ触れたらどうしようもなく壊す、そんな気配だけを纏い、威容だけで道を開けさせる。
自分に触れたらただではおかないといった雰囲気は、裏育ちの少年達にも恐ろしいくらいにびりびりと肌を粟立てて伝ってくる。怯えと恐怖の視線を一身に受けながら、千秋は暗い愉悦を顔ににじませ、後ろの少年たちに視線を向けた。
馬鹿三人は彼の視線を受けてさらに一歩と後方に下がっていく。実に分かりやすい雑魚の典型的特徴だ。
だが、雑魚だからといって手加減の余地はない。人は、誰かを貶める時に貶められる覚悟をするべきなのだ。
自分の中の手加減という心の制限が外れたことを確認しながら、再び視線を子供に戻し、子供の様子を観察していく。
この子供の反応は今まで敵しかいなかったという証左に他ならない。実際に子供の着ている衣服は着替えがないのか、多少サイズも小さく何より傍から見ればボロボロである事が見下ろすほどの距離からでも一目瞭然だ。体の端々に日頃から暴力を振るわれているためか青痣が浮かび、肉はほとんどなく骨と皮ばかりが目立つ。
そんな死にそうな様子の子供が、しかしギラギラとした生に執着した目でこちらを睨む。その姿はまさにこちらに召喚されて何度も戦わされた自分と同じだった。
子供が助けてくれそうな第三者である自分すらも、今は敵とみなしていることを見ると、ますます自分の面影に重なり、どうにも千秋は昔のことを思い出してしてしまう。
「お、おいあんた。これは町の住人である俺たちの問題なんだ。ひっこんでろ!!」
そうやって考えを深めているところに、無粋にも馬鹿の内、主犯格っぽい平均的な体格の少年がこちらに叫んできた、腰をひけながらも強気に言ったところまでは感嘆するが、相手が悪い。勇気は賞賛されるが、蛮勇は嘲笑されるだけだ。
いつの間にか押さえ付けられていた子供の前まで来ていた千秋は、既に主犯三人に手が届く場所にいる。主犯の内、声を掛けてきた少年を何も言わずにじっと見つめる。
「な、なんだよ……やる気かよ? こっちは三――――――」
とりあえずグダグダ囀っているゴミの排除に向けて一歩踏み出す千秋。
自分の軽く握った右手の裏拳を軽く持ち上げ、少年の顎にわずかに当てる。衝撃を頭が揺れるように通し、意識を問答無用で刈り取る。
結果、呻き声も上げることを許されず、少年一号は昏倒して頭から後ろに大の字に倒れこんだ。
何か強い一撃で倒されたのではなく、本当に軽い挙動で、勢いもなくあっさりと倒された少年をしばらくポカンと見て、ようやく残りの馬鹿二人が騒ぎ出す。
「てめえ!」
「いきなり何を!」
あまりにも遅い反応。もしこれが彼のいた戦場であれば、軽く百回は死んでいる。弱い者いじめなどでは無く、本当に喧嘩慣れしていれば、五十回死ぬくらいの速さでは反応できただろう。ただ、それも何の意味もないが。
ただ弱者をいたぶり、それに醜い優越感を感じて満足することしかできないせせこましい器。そんな分かり切ったことを再確認させられ、反応するだけ無駄だと千秋はそちらを見もしない。それが彼らの気に障った。
無言で拳を握り、大振りの拳でとびかかってくる二人。
千秋はロクにそちらを見ず右腕を無造作に伸ばす。先に飛んできたノッポの右腕を掴み、左手で相手の右肘に支え、逆関節を極める。そのまま体を反転させ左肩に相手の腕を固定、自分が回転した勢いと相手が向かってきた勢いを利用し、その勢いを利用して前方に背負い投げの様な要領で投げ、頭から落とす。
頭が割れない程度に勢いを調整し、ゴンッと鈍い音がノッポの頭と石畳との間で響かせる。ノッポが意識を失ったのを腕が力を失った様子から確認。
次いで、自分が反転したことで目標を見失い、空振りして突き出されたままのデブの右腕を掴んで、そのまま背中の方にひねりあげて極める。そして、痛みで爪先立ちになったデブの足元を払い、後ろ首を片手で掴んで、前方の地面に顔面を容赦なくぶつける。
呻くことすらなく、鮮やかに馬鹿を昏倒させた千秋。後から向かってきた少年二人を無視し、最初に飛びかかってきた少年の隣へ移動、無防備な脇腹を蹴る。
たったのそれだけで魔法のように少年の意識を戻させ、その激痛から「ぐ」と唸って意識を取り戻した少年の腹を、起き上がれないように足で踏みつける。
「おい、さっきのネックレスを出せ」
上から目線で命令したが、どうやら昏倒から復活した少年は自分の立場を理解できなかったらしい。
「は? なんだよお前。いきなり何俺に足を乗っけてやがる。さっさと俺から足をどけぐああああああ」
命令を聞かない駄犬には痛みによる調教が必要だと、足を下方にずらして素直に従わない犬の局部を踏みつける。もちろん体重をめいいっぱいかけて潰すような勢いで。
「うるせえよ。俺はお前に興味がない。お前の持ってるネックレスに興味があるんだ。さっさとネックレスを出しな。そうすれば足をどけてやる」
「お前こんなこっぐううううううう!?」
まだまだこちらに反抗的なので、そのままぐりぐりと踏みにじることにする。
多分、脳天を貫くような激痛だろう。
「なあ。今、俺はお前の貧相なものを潰すこともできるわけだ。俺は優しいからな。もしお前が潰されたくないんだったらさっさとネックレスを出せばこれ以上は”踏まない”ことを約束してやるよ。さっさと渡せ、別に人体の急所はそこだけじゃない、次は目がいいか?」
大仰に手を広げて、どっちがいい? と尋ねる千秋。
「な、なあ、あんたそこらへんで……」
「外野は沈んでろ」
先ほどは何もしなかった集団の無関係な取りまきたちの内、一人の少年が何やら言ってきたが、全く意に介さず一瞥して殺気を向ける。話しかけてきた少年は向けられた殺気に泡を吹いて気絶し、そのまま地面に倒れ込んだ。
最早周囲にいた少年達も限界だ。これ以上災厄のような千秋の気まぐれに巻き込まれない様に全力で方々へと逃げ出した。
さっさと渡さないなら、本当に自分は潰される。手下だと思っていた少年たちが全員に逃げ、なおかつ自分が冷酷非道な相手に踏み潰されようとしていると分かると、少年はあっさりとへし折れた。
先ほど懐に入れていた金のネックレスを何度か引っ張り出すのに失敗しながら、震えた手でこちらに差し出してくる。
「わ、わかった。ほら、これ……」
震える声で差し出されたネックレスを千秋は受け取り、
「ありがとよ」
そう告げて、股間を足がかすむほどの全力で蹴りあげる。
少年はそのまま吹っ飛んだが、あまりの激痛に意識も失えないようで、ひたすら意味をなさない声で唸って蹲っている。両腕は股間の辺りを抑えているが、狙い過たず蹴ったので多分潰れているだろう。
「踏むのをやめた俺って優しい!」と言わんばかりの晴れやかな表情で呻く少年を遠くから見る千秋。戦闘時には必ず相手の心を徹底的に折る悪癖が顔を出しているのかもしれないとは思ったが、それはもともとなのであんまり気にしなかった。
そんな中、ネックレスを受け取った千秋は後ろから自分の右手にめがけて飛びかかってくる気配を背中に感じ、ニヤリと口元を歪める。
それは先ほどまで暴行を受けていて、倒れこんでいたはずの茶髪の子供だった。
「残念だが、それじゃあ取り返すのは無理だな」
千秋はそれだけ言って、一直線に千秋の右手に向かって飛びかかってくる子供の体が空中にいるところで、右腕を奇妙に影を残して動かす。奇怪な、人間などの視覚に頼る生き物の目をごまかす様に動かした腕の動きが、子供の距離感を狂わせ、目標を見失って重心が宙に上がった子供の腕をあっさりと掴む。
そしてそのまま左手一本で子供の貧相な体を縦に回転させた。高速の投げに受け身も取れず、子供が背中から地面に落ちて肺から空気を吐き出した。
直前で引っ張ったためにダメージはそこまでないが、足を子供の胸元辺りにある体の重心に置いて、体が起き上がらないように抑えつける。
「ぐううううう」
ひたすらに唸り、敵意の視線をぶつけて足を引っ掻いてくる子供。しかし残念なことに貧相な子供の抵抗程度では装備に傷は付かず、足は痛みを感じない。
「まるで野生の獣だな。くっくっく」
じたばたとあばれる子供を軽く抑え、いくら子供が足掻いても微動だにしない。次第にそのことに気付いたのか、子供は強い視線で睨みつけてくるだけになった。
これならば少しは話を聞くかもしれないと、千秋は子供に顔のしわが判別できるくらいに身をかがませ、顔を近づける。
「おい、野生のガキンチョ。いいか? 俺は決して強くない。いや、むしろ弱い部類に入る」
子供は、何を言っているのか分からない、といった困惑の表情を浮かべた。それも当然、千秋の身長は百七十センチほどとさして大きくもない体格でありながら、あっという間に三人を沈め、息をつかせる暇もなく意識を奪ったのはこの男だったのだから。
悪鬼の化身かとでも思われるような暴虐をしておいて、それで自分を強くないというのは少々どころでは無い違和感を感じる。
「まあそう不思議がらずにきけよ。別に俺は自分が弱いなんざ思っちゃいねえんだ。ただ、俺の筋力とかいった身体能力そのものは実際に獣人や魔人と比べたら子供みたいなもんだし、魔力量も普通の奴と比べたらありえないくらい少ない。そんな奴を強いなんて言わないだろう?」
千秋のいうことは一から十まで真実である。彼の肉体的なスペック自体はそんなに高くない。というか平均よりはかなり下だろう。ただ、自分にすら一切容赦しない戦い方と自分の安全も省みない危険な術式を躊躇いなく使えることこそが、彼の強さの根幹にあったのだから。
実際に、今の千秋が起動している式神の術式は、一歩間違えれば廃人になるリスクを犯して新しく術式を創ったものだ。今は容易く扱っているが、初期にこれを発動しようとして、暴走させたのも一度や二度じゃない。
「だが、俺は今まで生死をかけた戦いにおいて、他種族やほかの人族に負けたことがない。これが一体なぜかわかるか?」
千秋のわざとらしい語り口調に子供は返事をしない。だが、別に返事を期待しているわけでもない。子供の奥底に、千秋の言葉を刻み込んでしまえばいい。その綺麗な双眼の中の拒絶の光が、千秋のことを認める方向に変われば、その瞬間に彼の勝ちなのだ。
そしてその方法に、実際に見せて、言葉を投げかける以上に効果的なものは無い。反抗心を抑え込んでしまう事など、今の彼でも朝飯前だ。
「技術だ」
千秋は断言した。
「俺は今まで独自に戦い方というものを研究し、その中で最も効果的な技を最大限、効果的につかったからこそ死ななかった。心が折れようが、気力が無くなろうが、敵は同じ生き物だ。歩いて正しく剣を振れば、どんな生き物でも斬れるのは必然。たとえ俺自身に戦いの才能がなかったとしても、その事実だけは揺らがねえ」
彼はそこで、自身の戦歴を思い出す。
最初に覇王と会って、自分の身柄を返すことを約束させたこと
自分の肉体に魔術の元の魔力が存在しなくて、使えるように自分を改造したこと
教会という一大勢力と潰し合いをしたこと
仙人の里で、殺されそうになりながら魔力の操作をものにしたこと
魔導王との魔術決戦を行ったこと
獣王と友邦を結ぶために一騎打ちを受けたこと
海で海魔の退治に窒息しかけたこと
竜の暴れたところで撤退戦を行ったこと
悪魔大公の憤怒とやりあったこと
不死王の執拗な削り合いを勝ち残ったこと
魔王を殺害したこと
どれも大して才能の無かった彼が、多くことを学んで、予測して、失って、魂を削るようにして勝利を収めてきた戦いだった。
「いいか? 勝負は水物だ。何度やった相手で、何度勝っていようと一度の勝負において、初めから勝敗は誰にも分からない」
だが、
「技を極めた奴ならば、きわめてない相手に対し、百度やっても百回勝てる。一回であれば、何があろうと勝つ。少なくとも俺はそういうことができるようになった」
逆に言えば、そういうことが出来なければ千秋は今頃生きてはいない。素手で竜の鱗を砕けてさえなお、世界にはその拳を砕いてくる強者だっているのだ。
「今、お前が俺からネックレスを奪い返そうとしても、俺が百分の一でも本気になればお前は俺の影にすら触れられない」
全く躊躇うことなく断言する。実際、子供が不意打ちで魔術を使ってきたとしても、千秋は何一つ焦らずにただの体術と魔力操作だけで凌ぎ切れるだけの確証があった。
子供は悔しそうに唇を噛む。千秋の確信を持った断言から、虚言の色を感じられなかったのだろう。危険な環境で育った者ほど、そういう気配には敏感だ。
「だが、俺の百分の一ほどの実力の持ち主なんてのはざらにいる。もしそいつらが本気でなくとも、おまえのネックレスを欲しがればたちまちにお前の形見は奪われるだろう」
だからこれは返さない、と子供に言った。
そして足を離し、未だ地面に転がったままの子供に対し、手を差し伸べて、しっかりと聞こえるように言葉を告げる。
「ついてこい。もしお前がこれを取り返したいのならそのための技を教えてやる。お前が強くなれば俺から奪い返せるだろう」
千秋がそう言って伸ばした手を、子供はその綺麗な目で呆然と見つめたまま動かない。敵意では無く、差し出された手を前にして戸惑ってどうしていいのか分からないといった様子だ。
千秋はこの時点で、子供が選ぶまで待つつもりだった。例え一昼夜でも彼にとっては活動に支障が無いし、そもそもこんなところで見捨てるという選択肢が彼の中から消えた以上、子供を拾うことは彼の中で半ば確定していた。
後必要なのは、子供の意思だけである。こればっかりは洗脳でもしないとどうしようもないために、そんな汚い手段を使う気の無かった千秋はゆっくりと待ち続けようと思ったのだ。
だが、そんな彼の思惑を壊してくれる無粋な輩が二人。
「貴様には無抵抗の住民に暴力をふるった犯罪者として一緒に来てもらう!」
子供のことを賭けの種にしていた気持ち悪い顔の衛士たちだ。続く言葉を聞く限りでは、何やら法律に触れるとかなんとか何やら面倒な事を言ってきているが、そもそも聞く気もないので聞き流す。
というか、先ほどまで暴力を加えられていた子供の時は見ないふりで、三人の少年達を潰した自分のことは拘束しようとするらしい。大方、うっぷん晴らしついでの賭けが潰れたことを恨んでいるのだろう。
先ほどから放っていた殺気も衛士達までは向けていなかったので、彼らも実力差が分かっていなかったらしい。最早見逃すのも面倒かつ、拾おうとしている子供を前にして衛士程度におもねるのも説得力が失われるので、さっさと倒すことを選択する。
「賭けが成立しなかったからか?」
「っ!?この!!」
嘲笑とともに聞いてみると、あっけないほどにのってきた。衛士が挑発に乗りやすいなど基礎から見直せといいたくなったが、敵の不備は喜びこそすれ、同情するのはただの増長だろう。
そのまま一人は左腰に掛けていた長剣を抜いてこちらへ向けようとし、もう一人は待機中であったらしい”捕縛”の魔術を発動する。
千秋は魔術に対し、指向性をもたず内部に乱回転を発生させることにより魔術の構造式を崩壊させる効果を持った魔力の圧縮弾を捕縛の魔術へと放ち、発動を阻害。剣を向けてきた衛士の方は、素早く手の甲を強打して剣を取り落させる。
「なっ!」
「うっ!」
あっけなく腕がしびれて剣を取り落したことに衛士が驚く隙に、剣を持っていた方の肩を両腕で掴み、足払いをかける。そのままの流れで相手の両足首に無理な負荷をかけて壊し折り、もう片方の腕も掴んでひねり折った。
崩れ落ちる衛士の横をすり抜けて、未だ対処できていないもう一人の衛士の方にふらっと近づく。相手が接近してきた千秋に反応する前にわき腹に一撃入れ、いくつかの肋骨を持っていくと同時に、苦痛に腹を抱え込んで下がった頭に、跳ねあげるようにした膝蹴りをぶつけて通路の端にふっとばす。
衛士として致命的なように体を破壊された二人の苦痛の叫びもなんのその。そのまま交通の邪魔にならないように残った方の衛士も蹴り飛ばし、ついでのように金品も掠め取っておく。
そもそもここまで素行の悪い衛士達だ。確実に日頃の行いからよくは思われていないだろうし、今回身体を結構的確に壊したので、仮に治療の魔術が千秋を置いて進歩しているとかでない限り、彼らは行動に軽度の障害を抱えるだろう。つまり、金と職の両方を同時に失う事が予想できたので、さらに苦しむようにと考えた結果の略奪行動である。
千秋がどちらかといえば、物を取っている方が長いような戦闘を終え、立ち上がって振り返ってみると既に子供は立ち上がっていた。
「それも、俺は使えるようになる?」
フラフラの足をして、受けたダメージで朦朧としていることなど感じさせず、茶髪の子供は強気の視線をそのまま千秋に向けて話しかけてきた。その瞳には、深い不安と困惑、それに疑念が浮かんでいたが、拒絶の色は無くなっていた。
どうやら、少しは言葉が届いたらしい。果たしてそれが千秋の思ったように伝わったかは不明だが。
「ああ」
短く答えた千秋。
「じゃあ決めた、取り敢えずあんたについていく」
子供は軽くそう言って、千秋の方へと歩いてきた。その異彩を放つ瞳を千秋の瞳と合わせ、今度は自分から口を開いた。
「俺はリル。ただのリルだ。あんたの名前は?」
「神田千秋。千秋と呼べ」
その日、千秋はリルという弟子ができた。