虐殺
最後辺りから変化してます
教会総本山七階第三実験室。
常には静謐を守り、静寂を保っているその場所にはその日の実験の重要性をかんがみて多くの高位の聖職者が部屋の中に籠っていた。
本来ならば例え何人いようと、彼らが高位の聖職者である限り、それが実験中であるならば尚更、実験に途中から干渉したりはしないのが暗黙の常識であるが、今現在、場は騒然として不文律はその場になかった。
理由は単純だ。本来ならば非物体存在である英霊を召喚しようとして、実体のある何者かが召喚されたのだから。
「なっ、き、貴様は一体何者だ?」
一人の聖職者が動揺し、唾を飛ばして動揺を映した甲高い声で叫ぶ。黒衣の人物の使った言語は現代の言葉と少々異なり、微妙にアクセントやら意味やらが語法として違ったのだが、教会は千年前からの古代語が必修となっているため、黒衣の人物の発言の意味が分かったものが叫んだのだ。
だが、黒装束は特に言語が通じたことを喜ぶでもなく、むしろ嫌そうに顔を顰める。
「人の名前を聞くときにはまず自分から名乗るという常識を知らないのか?」
「な、なにを――――――」
人を小馬鹿にしたような発言に、質問の形で叫んだ年かさの聖職者は顔を赤くして激昂する。その醜い肉の塊を見て、ガストはその人物が何者だったかを認識した。
「少し待っていただきたいグレゴリー大司祭。この実験の責任者は私です。故に何らかのアクシデントが起こったとしてもその対処の責任は私にあります。ここは任せていただきたい」
慌てて口をはさむガスト。こういう異常事態の時は彼のような愚鈍な人物は状況把握に邪魔である。責任を持つのは自分ということをちらつかせて、強引に口を封じた。
「い、いいだろう」
しばしの葛藤を経て、グレゴリーも取り繕った声で了承する。おそらくは見栄とか意地とかの下らない出来事に関することだろうと思ったのでさして意識を裂くことはせず「ありがとうございます」と心無く告げて、まずは黒衣の人物に意識を向ける。
黒衣の人物はキョロキョロとあちこちを見ていたが、ガストが視線を向けた途端にこちらを見定めるような瞳でガストを見つめる。その余裕すら感じられる凄味のある瞳は、ガストにかつてドラゴンと相対したときのような感覚に陥らせた。ここは礼節に則って行動する方がいい、と培った経験で判断し、ガストは乾いた唇を湿らせて挨拶から始めた。
「私は大陸聖教会特別聖職者古代研究部主任ガストと申します。よろしければそちらの名前を伺ってもよろしいでしょうか」
ガストは黒衣の男を刺激しないように殊更丁寧に話しかける。幸い、声は震えなかった。
「おお、丁寧な挨拶なんて久しぶりだな。そうだな俺のことはアゲハとでも呼んでくれ」
畏まるでもなく、気楽そうに、まるで隣人に話すほどの自然体で男は名乗る。
その答えで後ろがまたざわめきだし、グレゴリーが中心となって複数人が喚き始めるがそれを無視。ガストはまず言葉が通じたことに安堵する。
「ほほう、アゲハ殿ですか。失礼ながらあなたは一体何者ですか?」
思った以上に相手は態度が鷹揚なため、相手の出方を見るためにも少し挑発的な物言いをするが、相手の顔に怒りの色は見えない。
「さあ?俺は何者なのかを答えるのは難しいな。それは人間とは何かという質問に等しいな」
返ってきた随分とまた哲学的な回答に、分かっていてこのようなことを言う意地の悪さが感じられる。
とは言え、自分が人間――――――あるいは人族に属する何かであることは言葉の口調から読み取れる。
それも罠か。今の段階では判断できないが
「貴様、はぐらかすつもりか!」
考えを深めるガスト。その後ろでグレゴリーが叫ぶがその場の誰もが、そんな些事より目の前の男の正体を見逃さないために、彼の叫びを聞き流す。
「確かに、私もその問題を答えるのは出来ませんな。これは質問が悪かった。では、質問を変えましょう。あなたは異世界人、つまり、この世界とは違う世界の存在ですか? 」
謝罪してからの相手の胸襟を開かせてからの再びの質問、しかしアゲハは一切それに引っかかる様子もなく、顎に手を当て、「ふむ……」と考えに沈み、大して時間をかけず口を開く。
ガストがまず確認したのは、勇者であるかどうかでは無く、異世界人であるかどうかということ。
もし仮に相手が勇者であるかどうかを確認し、肯定された場合に一体どのような対応をすればいいのか全く予想がつかないからである。というかそもそも、目の前の相手が勇者なのかどうかを確認するのであれば、面識のある聖女に頼むことも不可能では無いと考えれば、むしろ確認すべきは隠される可能性もあるかもしれない異世界人の点だと判断したからだ。
「それはここに召喚された俺には明確な証拠を持って証明できないことであるが、一応その質問に対する回答は是、としておこうか、少なくとも俺が先ほどまでにいた場所はここではない」
なにやら含むものを感じる黒衣の男の肯定に、その場にいた聖職者たちは口々に話し合い、場は再び騒然となる。
「成功したのか?」「つまりは勇者の再来となるのか?」「いやまず事実確認をしなくては」「そんなことより教会への入信を勧めてはどうか?」等々本当に高位の聖職者なのか疑いたくなる愚鈍な思考を全員が晒している。
一応弁護するならば、彼らも魔術や聖術に精通しているものであるために、自分たちの目の前にあった魔術陣が実体では無く霊的存在の召喚であったことがしっかりと分かっているため、実体を持つ者が召喚されたということに常にも増して混乱しているとも見ることができる。だからと言って、そもそも信者数十万を超える教会の上層部がコレかと呆れる気持ちも強かったが。
そうやって呆れてしばらくたっても騒ぎ続ける後ろの司祭たちに「実験の邪魔だ」とすぐにでも怒鳴りつけたい気分をおしこめて、ひとまずは騒ぎを鎮めようとガストは口を開く。
しかし言葉が形をとる前にその場に響いた金切り声に崩されてしまう。
「その男の語ることは嘘だ!! その男からは伝説に語られる同じ異世界を渡ったであろう経歴をもつ勇者様とは違い、魔力などほとんど感じられないではないではないか!!」
またも、グレゴリーが叫ぶ。しかし、その叫びには先ほどとは違い、いくらかの波紋を周囲の人々に与えたようだ。何人かが「ふむ」だの「確かに」と言っているのが聞き取れ、ざわめきもだんだんとひそひそとした嫌なものに変わっていく。
その反応を見て、ガストは歯噛みする気持ちでいっぱいだったが何も言えない。なぜなら彼とて無茶な調査を何度も繰り返し様々な土地において修羅場を数多く潜り抜けてきた身だ。その中には相手の魔力を正確に測る術を身につけなくてはならなかったこともあり、ガスト自身がいの一番に目の前のアゲハと名乗る男の魔力量を把握できていた。
おおよそ、魔力を鍛えたことの無い一般成年男性の八分の一。それがアゲハから感じられる魔圧からはかられた魔力の総量だ。
ガスト自身は異世界人=勇者とは思っていない。それは異世界人は魔力を大量に保持しているものが全てであるという考えではないということであるが、その考えを共有している人物は多くない。いや、むしろ大半が異世界人は伝説に語られる勇者のように魔力に優れたある種の超人であるといった考えを抱いている。そしてそれは、教会の上層部にもいえるのだ。
もし、アゲハが魔力の少ないことで、本当に異世界人だったとしてもこのまま説得力のある証拠なりなんなりを出すことをして、立証できないというのならば、つまりそれは実験の失敗を意味し、今後自分たちは研究を行うことも厳しくなるだろう。
それにそもそも、そんな魔力の少ない人物が勇者であるはずもないと、立証の機会すら奪われることになりかねない。
そんな最悪の展開を避けるための打開案を必死にめぐらせ焦りのあまり拳を握りしめるも、彼の手に力が入り、爪が手のひらに食い込むだけだった。
「おいおい、そっちから呼んでおいて「お前は偽物だ」だと。ずいぶんといい御身分だな」
そんな中のアゲハの全く空気を読まない挑発の色を多分に含んだ発言に場は一気に加熱し、雲行きがいきなり怪しくなる。
「くっ。こやつ我らをバカにしおって」
「所詮こいつは勇者ではない! 勇者を騙る偽物だ! 捕えてしまえ!」
グレゴリーと比較的近い立ち位置にある二人の大司祭も先ほどからのアゲハの挑発的な態度に触発されたのか、はたまた自分のちっぽけなプライドを貶されたのがお気に召さなかったのか、その勢いに感化された聖職者たちは一斉にアゲハを取り囲み、捕縛用の魔術の使用を準備する。
その場の勢い、というのもあるだろうが、少なくとも目の前に現れた人物が不審であるという点では全員の意思が一致したらしく、比較的まともな司祭達も捕縛の魔術を編み始めた。だが、この人数がそれだけの魔術を掛ければ、いかに捕縛用といえども絞殺してしまうことになりかねない。
それに気づかない時点で、全員がこの場の異様な雰囲気に呑みこまれていたともいえるかもしれない。
「ま、まってくれ。まだ実験の途中だ。実験の邪魔をしないでくれ」
ガストも体を張って、彼らとアゲハの間に両手を広げて説得を試みるも
「ふん、どうせ貴様もこの男とグルなのだろう?」
「後で審議にかけてやるわ。黙ってみているがいい」
グレゴリーとその他取り巻きに悪意を持って発言の意図を捻じ曲げられてしまう。結果ガストの声は無視されて、弟子でもある他の職員に端っこへと寄せられる。ガストが拘束されたのを見て、彼らはここまで一切の動きを見せないアゲハに、一斉に“捕縛”の術式を起動する。
その瞬間、
数々の修羅場を潜り抜けてきたことで、敵をひたすら観察するように鍛えられたガストの瞳は、アゲハの口が弧を描くのを認め、
それを見たことで磨かれた第六感が恐ろしい危機感と危険に警鐘をガンガンと打ち鳴らし、とっさに左右の弟子ごと倒れ込むようにして身を伏せた。
「「「捕縛!!!」」」
そして聖職者たちの魔法はアゲハが真に何者かを知らないままに発動し、
「“返”」
アゲハの一言とともにその場に地獄がつくられた。
血が噴き出し、臓物が散らばり、苦鳴がそこいらから響いてくる。
彼らの体には捕縛の魔術による白い鎖にも似た形状の魔力が体に巻き付いて締め上げて、絞殺された者もいれば、強すぎる拘束に身体が耐え切れず肉片だけになった者もいる、
伏せていた目の前に転がってきた強引に千切られた断面図を見せるグレゴリーの生首を見て、顔を顰めるガスト。
気の弱い者なら気をうしなってしまうであろう凄惨な光景の中、直前に伏せていたガストは、今はただ茫然と目の前の惨劇を見ることしかできない。
今、目の前で起こった惨劇は何なのか?
目の前のアゲハと名乗る男は一体何をしたのか?
いやそもそも、
自分は一体何を召喚したのか―――――――?
いくつもの疑問が脳裏をよぎり、その危険から一刻も早くここから逃げ出すべきだと本能が叫ぶ。
だが彼の思考は次々と起こり続ける理解不能の現実に動きを錆びつかせ、脳はそのせいで体を命令を出すことさえ忘れたようだ。
「俺が何をやったのか理解できない、どうしてこんなことになったのか、目の前の存在は一体何者なのかって顔してるな。あんた」
つい今しがた、この光景を作り出した悪魔はずいぶんと愉しそうにニタニタと笑いながら話しかけてくる。
最初、穏やかでありながら知性を感じさせると思っていた黒目黒髪の中性的な風貌は、今やガストの目には、地獄の悪鬼としてのおぞましさと不吉さを感じさせるものでしかない。最初に感じられた竜にも匹敵するようなあの威圧感が敵意を混ぜて放たれているせいか、辺りには不気味な空気の振動がはしり始めている。
隣では、倒れていた弟子たちもあまりの光景に嘔吐とし、気絶して倒れている。ガストが未だに建っているのは、彼が数々の強者と邂逅した経験があったからでしかなく、その経験で鍛え上げられた彼の胆力をもってしてさえ、指一本動かせない。
そんな恐怖の対象が、一歩、また一歩とこちらに向かってくる。
「なに、簡単なことだ。あれだけ魔術が密集すれば、それに押しのけられた魔力は乱気流を作るに決まってる。そこを自分の魔力で捉えて、ついでに魔術を十倍に増幅して返した。それだけのことだ。まあ、捕縛の力が強くなりすぎて何人かはひしゃげちまったみたいだけどな。」
あくまでも軽くそう告げる悪魔。その口調はガストの研究心に火をつけ、一時、恐怖で凍り付いていた思考を働かせ始める。
現象としては確かに彼の言った通りだろう。目の前の彼は嘘をつくような気配を出していない。もはや、自分の命は相手の指先三寸。こちらに嘘をつく理由もない。だが――――――
「貴様どうやって複数人との魔力の一斉同調を行った……」
そうなのだ。一般に相手の魔法の基盤である魔力の構造式に同調して無効化する術は確かに存在する。そういう仙術は何度か見てきたし、理論的にも解体した経験がある。しかしそれは個人が単一の魔法に対してのみ行えるものであったはずだ。理論的にもありえない。
「あ。もしかして仙術を見たことあるのか? 今の時代でも残ってるとは思わなかった。でもその様子だとまだまだ初級のものだけしか知らなかったみたいだな」
何の思惑もない、あっさりとした言葉にガストは愕然とさせられる。
「し、初級だと!?」
こちらの驚愕など知ったことじゃないというようにあくまで軽く、悪魔は言葉をつなぐ。
「あの技は個人の複数魔法の同時対応、複数人の単一魔法への対応、複数人による複合魔法の順に技の難易度が上昇するし、理屈も手法も異なってるんだよ。」
アゲハの言う情報はガストが、仙人の里に行ったときには教えてもらえなかったものだ。
「なんだと……今まで聞いたこともないぞそんな話」
信じられない、と呆然とした様子で口から漏らすガスト。
「そりゃどこだって敵対勢力には情報を全部は教えないだろ」
まるで仙術について知らないのが可笑しいのか、それとも、すべての技を教えてくれていただろうという思い込みを馬鹿にしたのか、にやにや笑いは継続しっぱなしだ。
「となると貴様は、仙人の弟子か! 異世界人というのは嘘でここにいるものを狙ったのか!」
ガストはアゲハの漏らす少ない情報から、自分を助ける一手となる情報を推理し、ぶつけようと足掻く。もし、アゲハが仙人の関係者であるならば、教会との協力関係から、命は助かるかもしれないという淡い期待とともにアゲハに指を向ける。
それを聞いて、アゲハは一瞬キョトンとした表情になり、直後、爆笑する。
「何がおかしい!!」
しばらくたっても笑いをやめない様子に、顔を赤くして、ガストは叫ぶ。
「だ、だって相手が仙術使ったからってすぐに仙人の弟子って判断するってどんだけ短絡な思考回路してるんだよ。第一、仙人は俗世に関わりをもたないじゃないか」
笑いを堪えながら話すアゲハの意見には一理あり、自分がいかに緊張で視野狭窄が起こっているのかを自覚することになったガストは何も言えない。
しかし、ここで止まれば死ぬだけだと声を上げる。
「だが何故! お前は仙術を使えるのだ!仙術を使えるのは仙人の関係者しかいないというのに」
「そんなもんは自分で考えるこったな。まあ、最もお前にゃ考える時間なんざのこっちゃいないが」
「なにを!」
途端増大したアゲハの魔圧にガストは声を出せなくなる。
いつの間にか彼はその狂相を浮かべ、足を止めている。
その手には黒い剣。
「まさかまさか勇者の真実を知るために勇者の霊の召喚なんていう術式を行った奴を俺が見逃すとでも? 冗談は大概にしてくれ。いくらその術式が発動しないと分かっていても、勇者について調べようとされるのはあまり好きじゃねえんだ。ついでに言えば、そもそも俺は敵対した相手を見逃すほどに優しくねえしな」
その尋常じゃない殺意に今までにない命の危険を感じ、ガストは命乞いに必死に口を開く。
「ま、まってくれ。君は異世界人でもなく仙術を使えるこちらの世界の人物なのだろう? どこの物かは知らないが、私ならば――――」
どうにか協力の態勢を整えられる。そう言おうとして声が途中から出なくなる。
ガストは本人も気付かぬうちに首を裂かれ声帯ごと斬られたため、言葉を発せなくなっていた。無論、それはアゲハを名乗る黒衣の人物の持つ黒い剣によるもので、切れ味の良さを示す様に、首からは斬られた一瞬後に血が噴水のように噴き出した。
「正直、俺もそうだったらいいのにな、とは思うけどな。残念ながら千年前、異世界から召喚されたのは俺だったよ」
様子を一変して寂寥感を感じさせる姿でそう漏らすアゲハ。
それの声を聴いて、薄れゆく意識の中、ガストは気づく。
それではまるで――――――
「じゃあな」
どこか慈しみも感じさせるような声がガストに届いたとき、その場には搾取しかしなかった屑の死体と、研究半ばの研究者の死体だけが残った。
次である程度種明かし