プロローグ
それは千年以上前のこと、今では当時の資料も少なく、長命種の中にも最早生き証人が少ない、神代とも称されるほどに昔の時代。世界には四つの大陸が存在した。
最も広大な面積を占め、惑星の表面の三分の一を占めたことで、多くの食物に溢れ、繁殖力に長けた人族と獣人族、そして広大な範囲を住みかとする竜族が住んだ”キロ大陸”
四大陸の中で最も小さく、だが小さくとも自然が最も豊富であり、その霊格が高かったが故に自然と共生のできた妖精族と精霊族、そしてエルフが繁栄した”ケルクス大陸”
生物にとって最も過酷であり、であると同時にあらゆる鉱物資源を埋蔵したが故に、生物種の中でも最も異質とされる無機族が多く宿った”グラム大陸”
気候の変動の最も激しく、その環境に適応することを目指したが故に、強靭かつ多様な生物である魔族、巨人族、鬼族、吸血族、不死族、豚族がそれぞれ鎬を削りあっていた”コー大陸”
それぞれに大陸に合わせて根づいていた種族は、その姿形に大きな差異を持ちながら、海にすむ魚人、人魚などの協力を経て、互いに足りないものを交易しながらそれぞれの大陸ごとに過ごしていた。
しかしある時、惑星の表面で離れていた四大陸は、何の因果か、世界級の魔力変動による災害で、大陸の地盤ごと海流に流される。多くの者がそれに気づき、地響きのなる世界ではまともに暮らせないとどうにかしようと努力したが、それらの健闘虚しく、やがて大陸は一つの巨大な大陸を形成する。
世界で唯一の陸地であり、後に”カート大陸”と名付けられ、現代までつづく島を除いた唯一の世界の陸地がこの時世界に誕生した。
ただ、それはそれぞれの大陸に住む生き物たちにとって祝福すべきことでは無かった。むしろ、多くの存在がその誕生を恨んだといえる。何故ならカート大陸はその誕生の直後から、土地の鳴動、天候の急変、火山の噴火といった災害などからの様々な二次被害が発生していたからだ。無論のこと、それぞれの大陸の種族が、それらによる被害を食い止め、異なる生物同士の争いを避けるために協力をし合ったのは言うまでもない。
四つの大陸はかつてはそれぞれ独立してはいても、新大陸誕生以前から船舶や海族のおかげで交流のあった大陸同士。彼らが歴史上類を見ないほどの協力をしたこともあって、この問題は平和裏に何事もなく収束するように見えた。
しかし、大方の予想と期待を裏切り、事態は収束はしなかった。
その数年前から始まっていた気まぐれな魔力変動により、たった二種族、人族、魔族だけが既に人口爆発の状態になり、食料と土地が足らない状態で大変動を迎えてしまったのだ。
どうしても食料が足りず、飢えて死ぬ村など当たり前。子供を売りに出してもなお足りず、都市ですらほとんど食料がなくて大混乱が起き、更には一部の地域では同族を殺して食べるほどの事例すらも発生したといわれている。そんな被害を受けていた二つの種族がまともな思考を残しているわけもなく、飢えて苦しみ抜いた末に、食料のあるところから奪うといった結論に達するのはそう遅いことでは無かった。
そもそもが、大変動で災害をこうむっていた時期に、余剰の食料があった場所などなく、自然、あらゆる種族が生存競争として争っていく。その中でも、特に数の多かった人族と魔族に関しては更に激しい戦争が起きた。
千の魔族、万の人が倒れ、友好や、同盟を結んでいた他の種族もそれらの余波に巻き込んで、大陸にはあらゆる生き物の屍山血河がつくられた。
子を亡くした親が戦い、親を亡くした子が戦い、時に友を、時に敵を失って、かつて盟友として共にある事を誓ったはずの者達さえも食らい合って争い合い。誰もが不幸の悲鳴を上げながら、しかし戦争は止まらない。
どこかで誰かが喝采を叫べば、どこかで誰かが悲鳴を上げる。
あまりの自身の所業に生きることを諦めた者から脱落し、隣り合う隣人すらも信じられないままに小規模な大量の集団が増え、国家はまともに機能しなかった。
地上には地獄がつくられ、一度でも憎しみの連鎖にはまったものは決して元の生活を思い出すことはできない。
そんな中、誰もが救いと、終焉と、復讐と、安寧を求めた。
そんな災害が起こってからしばらくして、ある程度人口に対する食糧が確保できるようになったころには、どの生き物も大陸統合の時期の十分の一まで割り込んだ。特に被害の大きかったのは人族と魔族だったが、最も争い続けた集団なのだからそれも当然のことといえよう。
そして争いが一段落すると、今度は誰もが安全な場所と憎い相手への復讐を求め始める。
仕方ないとは分かっていた。自分の大切な人間も、奪い、奪われてしまったことも、すべてが状況として誰も解決できない天災だったのだと。
ただ、感情は納得しない。集まった者達は自分の罪悪感を塗りつぶすためにも様々な欺瞞で真実を覆い、何の悪もなかった戦いは、一方的に相手が悪かったのだと結論付け、最終的には嘘を吐いたものまでもが、地獄のような現実に耐え切れず、嘘を真実として認識していく。
そんな中、最も殺し殺され会った種族であった人族と魔族が、再び戦争を始めるのは簡単なことだった。
戦乱の時代が再び来る。前の戦争の時に子供だった者達が戦えるほどに時代が近かったせいなのか、それとも真実を知る世代がすでに発言権を失ってほとんどいなくなるほどに時代が遠かったせいなのか、理由は未だに分からない。しかし、確実に言えることは、この時代の戦争は、生存も何もかけてない、本当にただ、どちらも主張を持たない憎しみだけの戦いだったといえる。
個人個人が生きたいという衝動に任せた戦争では無く、大きな集団同士が互いの集団の為に勝利し、敵を滅ぼしたいと思うだけの虐殺。故にその存在は必然であった。
魔族という強大な個を自身の圧倒的な力と才覚でまとめあげ、魔族を栄光へ導いた魔王。
人という群を特徴とする生物の中で一つの個人としてその実力が突出し、人を救い人類に希望を示した勇者。
相反する願望しかし同じ方向を向いた願望の果てに現れた、互いに英雄の資質を持つ両者の存在が、さらに戦争を加速させる。その勢いが世界中にばらまかれ、ついに他の種族も完全に戦禍に巻き込まれようかという中で、魔族と人以外の全種族の頂点を仲介人とした恒久の停戦協定が発動し、ようやく戦争は収束への道筋が見えた。
その後、一年の年月をかけて、勇者と魔王が互いの集団の膿を出し、残った民衆をまとめるのだった。
血を流しすぎた両種族のお互いへの贖罪と恒久の平和の象徴として、魔王と勇者は一つの象徴をつくることにする。四大陸の接合点、”清らかな鏡面”と当時名付けられていた場所に、魔王は彼女に従った数多の強者の力を借り、勇者は旅の中で得た知己を利用して世界の強者に協力を求め、ついに大陸の中央に七十二階層聖絶結界を形成する。それを残して種族の互いへのけじめとして、最もお互いの種族を殺した二人はそのまま姿を消す。
そしてそれを中心として聖女が聖都を建設し、現代に続く教会の総本山となった。
この後、世界は過ちを見つめなおし始めることになる。
歴史書 ~大陸創成初期における教会の始点~ 著 聖女ウルティマ・カートライト
序章より抜粋
白い世界。一面に白以外が存在せず、そのせいか上下も左右も存在があやふやになり、遠近感も何もかも狂ってしまうようなそんな世界。
否。
上下も左右も位相すらも存在しないが故に白以外の存在しない世界で、唯一、黒の装束を纏った男が一人いた。
年の頃は十六、七といったところか。男というには長い肩まで届く長髪と平均的な身長が彼を少し性別の違いから遠ざけ、同時にその身から溢れる気配が人らしさから隔絶しているような、そんな印象を与える人物。
「アーサーの血統は二十八代目くらいだな。ウルとサラはいまだに現役、こっちのはくろすけが竜族の中心で調律を守ってて……ということは、一度話をつけるにはくろすけと話すことになるのか。面倒な。……げっ、グノーエルまだ生きてる。そろそろ五百年は過ぎてんだから成仏しろよ……」
ぶつぶつと呟く姿は、どっからどう見ても不審者そのものなのだが、あいにくとそこには男以外の存在はない。故に男は何の心配も警戒もせずにぶつぶつと考えを口から垂れ流しにしている。
虚空に視線を向け、宙に浮かんだまま話し続ける男――――神田千秋―――――は他に視線を向けて、中空に浮かぶ不可視の何かを動かす。
大体は愉快そうに、時折いやそうな顔で、それを操作する。微妙に目を凝らせば、白の世界の内に、白の色が糸のように混ざりあっては解けているようにも見えなくはない。
ふと、その動かしていた指が止まる。
「へぇ……。またやってんのかこんな実験。これはちょっと壊しとかないと気が済まないかな」
先ほどまでの気の抜けた姿からは想像も出来ない殺気をにじませ、千秋は独白する。
彼の指は自制の賜物か、震えることは無かったが、それでも抑えきれない何かが空間の白を侵食し始める。
「いいよいいよ暇だったし。出るにしてもいいタイミングだ。好き勝手搾取してるんだ。当然覚悟は出来てるだろう。”解放”」
どこか作り物めいた口調の後の千秋の最後の言葉に、一面の白の世界はあっけなく歪み、千秋はその歪みのヘリに足をかけて外へと跳躍する。
後に残るはずの歪みはすぐに閉じられ、そこはまさに白のみの空間となった。
こうして、異世界人であり、千年封印されていた大戦時の勇者、神田千秋が世に放たれた。