響鈴と言寿
鬱陶しい定期考査も終え、待つは楽しい夏休み。日陰を求め木に寄るが、暑さから逃れるだけの力はなかった。近くのコンビニにて買い求めたクーリッシュも、あっと言う間に丁度いい柔らかさになる。自分の分だけにしておいて良かった、としみじみ思う。
時計を見れば、待つこと五十分。コンビニで涼んでいたのでそう苦ではないのだが、そろそろかと思い出て来てからがキツかった。
二年はこの日、長々と学年集会をしていた。内容は知らないが、自分も二年になればわかるだろう。
萎んでいくクーリッシュに別れを惜しむ。さよならクーリッシュ。君のことは忘れない。
そんな馬鹿なことをしているときに、久しぶりな顔は訪れた。
「圭ちゃんやーん!」
ベビーピンクのパラソルを差し、こちらに走り寄る女の子。暑い夏であるせいか、露出は大きい。
「おー、寿里ぃ」
ズ、という音はクーリッシュがなくなった音。特に感動もなく言えば、寿里は気にすることなく喋りかけて来る。
「どないしたん、こんなとこでー。炎天下外にいるなんて圭ちゃんらしないで?」
「そだなぁ。俺少し変わったかも」
クーリッシュを畳み、コンビニの袋に仕舞う。口を縛って、捨てる準備をした。
「聞いてるでー? 蝙解散の件」
「半年も前の話じゃんかよ」
蝙は、中二の梅雨に圭介が組織したグループ。中三の冬に解散したことは、色々なところに衝撃を与えた。
「今は……何やったっけ。何かにくっついてるらしいなぁ」
弾んでいた寿里の声が、少し静かに落ちる。
「香坂の……『狂咲』……やったっけ」
それは、ひどく。妖艶な笑み。
「らしない……いや、それが圭ちゃん……なんかな」
声をかけるのを戸惑う程の変化。突然その笑みが浮かんだように、その笑みは突然消え去る。
「噂をすれば?」
言いながら振り返る寿里の視線の先には、狂咲。それとその、相方。
「あ、玲さん……お疲れさまっす」
「ん。そちらは?」
玲の視線は当然の如く寿里へいく。惜し気もなく出された足や、豊満な胸にいかない辺りが玲らしい。相方しのぶの視線は、その豊満な胸にいきがちだったが。
「私は和達 寿里。圭ちゃんとは旧知やねん」
少しパラソルを上げ、長身の玲に顔を見せる。先の妖艶な笑みは、欠片もない。
「狂咲と……桜花。デキとるっちゅーんもあながち嘘やないねんな」
一変して、またも浮かぶ妖艶な笑み。豹変ぶりに玲が驚きを見せる。
「ま、立ち話もなんやしー、blancでも行かへん? 奢ったるから」
コロコロ変わる表情は、有無を言わせない圧力があった。
黒いわけではない。 計算高いのだ。
「行く」
答えたのはしのぶで、単純に奢りに釣られた様子。変なところで庶民派だ。
「ほな決まりやな!」
楽しそうに高い声を上げ、先頭を歩き出す。
圭介は玲の様子を伺ったが、玲は特に気にすることなく寿里に続いていた。 正確に言うと、寿里に続くしのぶに続いていた。
「どしたのしのぶちゃん? いつも俺がお茶しよ言ってもスルーするのに?」
しのぶに並んだ玲が問う。それは圭介も思っていたことだ。
元々しのぶはお嬢である。微妙な庶民派思考は持つが、奢りにつられることはあまりない。
「バカね。……blancなら行くわよ。あそこのケーキバカウマなのよ。高いから奢りじゃなきゃ行かないけど」
「それ、いつも俺が割勘要求してるみたいじゃね?」
平和な二人のコントを見ながら、圭介は考える。
考えてもわからない。
わかったことなどないのだ、寿里の思考など。
涼しい店内に入り、頭が冷やされる。止まった圭介の思考が、動き始めた。
「サーロインステーキ二百グラム。Bセットでスープとライス」
「今のナシでアイスティ四つ」
窓際の席にて店員に告げる。注文は以上、と寿里に打ち切られた。
「奢ってくれるんじゃなかったんスかぁ?」
「何でもええとは言っとらんで?」
奥の窓側に座った寿里のいい笑みに、その正面に座ったしのぶが沈んだ。 曰く、詐欺だ。
「まー……にしても、久しぶりやんなぁ、圭ちゃん」
頼んだアイスティが来るのも待たず、、寿里は話を始める。口調は優しく、ただ懐かしむようだった。
「最後会ったのが蝙解散前だから……八ヶ月くらい?」
「せやね。圭ちゃん、また背ぇ伸びたんやない?」
隣同士に座っているため、互いに目を合わさずに話をする二人。玲は若干居心地が悪そうだ。
「そーだ。寿里、お二人のこと知ってるみたいだったけど?」
それを察したか、圭介は話を振る。寿里が一瞬目を細めた。
「有名や。香板に不良はいーひんかった。それが急に出て来おったんやからなぁ」
細められた目はすぐに戻り、寿里はまた笑顔で話し出す。
「前から香板は自衛の術を持っとった。せやけど、決して自分からは動かんかった」
しのぶの手が、強ばる。引き締まる雰囲気に、丁度アイスティを持ってきたウェイターが手を震わせる。
「香板の生徒は妙や。私らにはわからん方法で、私の優位に立とうとしとる」
玲の目が、鋭さを帯びる。圭介の目が、驚きを抱く。足早に立ち去るウェイターに愛想を振りまく余裕もなくしていた。
「そんなんが出て来とんのに、静観するわけないやろ」
緊張が場を満たした。
特殊学級を有する香板学園。 寿里の言う『わからない方法』は、特殊クラス・V組生徒が持つ能力を指すのだろう。なるべく知られて欲しくない事実に近づかれ、三人はそれぞれ思考を廻らせた。
「ま、どーやったってわからへんのはわかっとる。やから、私らは警戒しとるだけや」
三人の緊張を察し、寿里は口調を和らげる。宥めるためのそれにも、しのぶだけは警戒を解かない。
「『わからないのはわかってる』? どういう意味」
問うは強い声。玲は落ち着かせようとしたが、心中を察して引き下がった。
しのぶは学園中央に近い。学園を守る一族の者なのだから。そのため今も、寿里を計ろうと必死なのだ。
「……もう何年も前から探っとった言うことや。私らができてから、ずっと調べとったらしいで?」
「『できてから』? 何なの。あたしらにわかるように話しなさい!」
理解できない寿里の言い方に激昂するしのぶ。大声を出したために注目が集まる。
「あんた一体何さまや。あんた如きが私に指図できる思とるんか?」
最早宥めることもせず、寿里は言い返す。突然始まった口論に店内が騒めいた。立ち上がる寿里を圭介が止めようとしたが、寿里はそれを振り切った。
「私は蠎〈朱〉の第四位――『言寿』寿里や。 偽物なんぞには従わん!」
一気に強張るは、圭介の表情。しのぶも怪訝な顔をしたが、更に言葉を重ねようと口を開いた。
「待って、しのぶさん」
それを止めたのは、圭介。
「聞いてない……。寿里、蠎だったの?」
「当たり前や。滅多に言わん。……足引っ張りにはなりたないからなぁ」
二人の声が下がる。状況が読めずにいたしのぶは、玲に促されて静かに座った。
「私は喧嘩なんてしたことない。……そんな私を守ってくれる蠎の……力に、私はなりたい」
同じように静かに、寿里も座った。店内の人も安心したらしく、騒めきは少し治まった。
「『蠎』……? 聞いたことはあるが、そんな驚くことなのか?」
圭介の驚きを察して玲が問う。寿里はまた眉間に皺を寄せたが、玲は都合良くそれをスルーした。
「幅広い学年が集まるグループです。……名の知れたのばかりが集まります」
簡単に圭介が述べる。適当な相槌を打って、玲は少しだけ笑った。
「喧嘩売ろうとか、考えん方がええで」
しかしそれはすぐに崩される。
「あたしらは、あんたらを裁く機会を待っとる。興味本位で喧嘩売ってみぃ。――終わるで」
低く、静かに寿里は囁いた。一瞬笑顔を崩した玲は、間をあけて笑みを深くする。
「終わんねぇよ? 俺たちはなァ?」
同意を求めれば、しのぶが頷いた。圭介も間をおいて、頷く。
「そっちこそ、あまり調子乗っちゃ嫌だよ? ――君とは喧嘩したくないから」
ギリ、と寿里は唇を噛んだ。
「ナメんのも大概にしぃ!」
派手な音をあげ寿里が立ち上がる。グラスが揺れて、危うく倒れそうだった。
「昔馴染みのよしみで戻したろ思たったのに、 やっぱ圭ちゃんも偽物側か!」
隣同士に座った寿里と圭介。横目で圭介に鋭く睨む寿里は、明らかな怒りを見せていた。
「もう仲間とは思わん! もうこっちに、あんたの仲間はおらん!」
素早くパラソルを手に取って、寿里は伝票を掴む。
「あんたとの縁も! ここまでや!」
最後に絶縁宣言を残して、席を離れて行った。
「寿里!」
圭介が呼び止める。けれど、寿里は止まらない。
「…………っ」
止まってくれない。それを、察した。
「ごめん」
だから、一番言いたいことを口にした。
これが寿里に届いたかどうかはわからない。
けれど、言えたのだからそれでいい。
「……お騒がせしました」
店内の人に対するものと思いきや、それは玲としのぶに対するもの。圭介の視線が明らかに二人へ向いていた。
「感情の起伏が激しい女だね」
吐き捨てるかのようにしのぶが言う。玲は何もなかったかのように、平然としている。
「別にいいんだろ? あれを、失ってもさ?」
玲からかけられた、確認の問い。一拍目を丸くして、圭介は柔らかく笑う。
「ええ。俺は、俺の――居場所を見つけたから」
幼いころから探した居場所。今それは、ここにある。
「そーかよ。そりゃあ……よかった」
笑う、笑う碧の花と。ともに歩むは、響く鈴。
寄り添う黒に、支えられ。 往く道何処へ。 続くのか。
青い空に差すは、薄いピンク色のパラソル。 それに影をもらう寿里の表情は、どことなく暗い。
オーキッドの携帯を取り出しプッシュする。歩きながらも耳に当て、コール音を聞く。
『――――』
「孝?」
数秒後、相手の名を呼んだ。
「うん、寿里」
携帯なら主以外ないだろうに、本人確認をする。これも、他人の携帯でも簡単に取ってしまう蠎の気質故だ。
「圭ちゃんに、会ったよ」
報告するは、先のこと。偶然の接触であったが、丁度良いものだったのだ。
「そう。琴也が組んでたコ」
聞かれたのか、圭介の説明をする。上がった琴也と組んでいたのが過去系なのは、実際それが過去のことだからだ。
「あっち側だよ。居場所、なんだって」
向こうから来る問いに短く返していく。
「いいよ。構わない」
断ずる。影のある顔からは、表情も読み取れない。
「潰そう、『香』を。――圭ちゃんもろとも」
紡がれる、その言は。
虚無か、嘘か、真実か。