除霊士・木嶋蒼子
少女の名は、木嶋蒼子という。
男子高校生の一般平均身長とほぼ同じ高さ、スラりとした凹凸の少ない体型、鋭い目つき、一本のゴムで無造作に結んだ腰まで届く長い髪、と、中性的な印象を与えてくる雰囲気を放っている、そんな少女。
そんな少女が一人、梅雨入り間近のジメジメとした空気の中、保健室から教室へと戻るための廊下を、静かに歩いていた。
「……はぁ……」
静かな廊下に響く、女の子のようなため息。前述の見た目に反したその声は、彼女が間違いのない少女であることを表し、同時に、まだまだ子供であることを示してきている。
「…………はぁ……」
二度目のため息。静まり返った廊下でのその音は、妙に響いて聞こえてきた。
廊下に彼女のため息以外の音が無い理由……それは今が、授業の真っ只中だから。
だからこそ、彼女の気も重くなっている。
授業中の教室に戻らなければいけないという、想像しただけも注目を浴びてしまうことが分かる出来事が、すぐ目の前で控えているから。
そのせいで、自然と足取りも重くなっている。
(全く……少しマシになってきたって聞いた途端、教室に返すなんて……どういう神経してんだか……)
仮病を使うべきだったかな、なんてニュアンスを含みつつ、心の中で愚痴を漏らす。
別に、授業に戻るのがイヤという訳ではない。
ただ、このタイミングで授業に戻った時、注目を浴びてしまうのがイヤなだけ。
注目を浴びること自体はどうということもないのだが……授業中の教室のドアを開いた時の、あの独特な好奇な視線。
ソレが、イヤなだけだ。
けれども、決して授業をサボろうとはしない。考えはするけれど、実行には移さない。
根っこ“だけ”が真面目で、家の手伝いに関する事以外全てに臆病な彼女だから、考えたとしても行動は出来ないのだ。
だから、せめてもの逃げと、自分に言い訳が出来るという臆病な理由から、少しでも注目を浴びる時間を遅らせるかのように、いつもの彼女からは考えられないほど遅い足取りで、今は教室へと向かっている。
もしこれが、授業終わりまであと少しならば、てきとうに人気の無いところをうろちょろして、授業が終わるまで待っていただろう。仕方が無かった、と自分への言い訳を欲する彼女の心も埋められる。
だが現実は、授業が始まってすぐ。
これではうろちょろしているところで他の教師に見つかってしまうだろう。そうなっては即説教コース行きだ。
(う~ん……なんとか注目されることなく授業に戻れないものか……あの妙な気まずさがある視線の集中さえどうにかなれば、平然と授業に戻るんだけどなぁ……)
なんて思案を続けながら、ゆっくりと歩を進めている。止める度胸も無いから、芋虫よりも遅い速度で、進め続けている。
(もう皆あたしのことなんか幽霊みたいに見えなきゃ良いのに……ってそれだと独り手にドアが開く光景を皆が見ることになるのか……ああでも、あたしにさえ視線が集まってないんならそれでもいっか……。……まぁ、そんな方法なんて無いんだけど)
思考がズレてきていることにも気付かずそんなことを考えていると……とうとう階段前に辿り着いてしまった。後はこの階段を四階まで上がり、三組の教室へと戻るだけ。スゴロクでいうと、後は六の目でゴールが出来るような状況だ。とはいっても、彼女は一しか出し続けないのだろうが。
(ゆっくり階段を上ってれば良い案が思いつく! ……はずもないか)
「………………はぁ……」
再三のため息は目の前の階段にまで響き、自分よりも早く上の階へと昇っていった。
「…………」
と、何となく、吹き抜けとなっている玄関ホールへと視線を向ける。
校舎の中央付近にある目の前の廊下の、すぐ隣。事務室分の距離を開けて広がる、だだっ広いその場所。
もちろん、何も無い。ただ校門をくぐってすぐの、校舎の前にある自動ドアをくぐってすぐの、外来者受付兼警備室の前に広がる、割と大き目のホールがあるだけ。ここよりもさらに、声を響かせそうな空間が、そこには広がっていた。
(このまま出て行って家に帰る……なんてこと出来る度胸があったら、授業サボってるか……)
なんて、ちょっとした自虐を頭の中でしていると――
グチャッ……!
――大きな肉が潰れるような音が、固いスイカが叩き割れるような音と混じり、静まり返った廊下に、閑散としていた玄関ホールを中心に、彼女のため息以上の音で、響き渡った。
「っ……!」
息を呑む。声が出ない。呼吸が苦しくなる。止まりそうになる。
あまりにも現実離れしている出来事が目の前に起きたせいで息が詰まり、突然の呼吸停止に伴って目の前が真っ暗になってくる。
クラクラしてくる。立っているのも辛くなる。頭を鷲づかみにされて揺さぶられているような気持ち悪さが襲い掛かってくる。膝をついて倒れてしまいそうになる。
けれども――
「きゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ーーーーーーーーーーーーーーーー……!」
――悲鳴を上げ、無理矢理己の呼吸を取り戻させ、それら己を包む全ての不快感を、払いのける。
頭の中に詰まりそうになったものを、全て吐き出す。
声として、一気に吐き出す。
パニックを増長させるためではなく、パニックを沈めるために、失くすために、悲鳴を上げて喪失させる。
「…………」
そうして……そうして、通常の悲鳴とは違う、己を落ち着けるための悲鳴を上げたあと、状況を把握するために、周囲を見渡す。
玄関ホールの全容が見えないこの位置の壁にまで血飛沫が付いているのを見つけながら、玄関ホールへと歩を進める。
「……っ!」
思わず、人間だった物体を見てしまい、視線を逸らす。
中央に落ちてきた、既に死んでいることが分かる元人間から、目を背ける。
フィクションの世界では確実に見れない、ノンフィクションの世界だからこそ見えてしまった、鮮血を飛び散らせた一つの死体。“ソレ”を視界を外しつつ、さらに一歩前へと進み、自分の悲鳴で騒ぎが広がっている上の階の廊下を、身を乗り出すようにして見上げる。
瞬間――
「うわあぁぁぁ!!」
――外来者受付兼警備室から出てきた男性事務員の、情けない悲鳴が耳をついた。
けれども、彼女がそちらを向くことは無い。
死体へと視線を向けたまま、怯えるような足取りで、後ずさるようにして出てきた部屋へと戻り、警察と救急車へと電話をかけ始めたその男性を、見ることは無い。
「…………」
ただ静かに、ただ呆然としながらも、上の階を見つめ続ける。
授業を行っていた教師や、廊下へと溢れてきていた生徒達が見ている中、彼女が落ちてきたであろう階を見つめ続ける。小さな女子の悲鳴が響いてくる中、小さな男子の驚愕の声が響いてくる中、ある一点を凝視し続ける。
幽霊のようにスゥッと消えた、男の子がいた場所を。
おそらくは、彼女にしか見えていないであろう、男の子が消えた箇所を。
(あれは……)
感じたことがある気配に、眉を顰める。自分の地元から感じたことのあるその気配に、違和感を覚える。
この学校から地下鉄を乗り継ぎ一時間も掛かる、そんな遠い地元の場所から感じていた気配を、ココで感じたことに、妙な胸騒ぎを実感する。
(たまに地域の見回りをする時に感じる気配……どういうこと……?)
その考えに答えが出たのは、それからしばらくしてからだった。
◇ ◇ ◇
除霊士。
簡潔に言ってしまえば、テレビ等でよく観る霊媒師や霊能力者と一緒のようなもの。
だが、大きく違う点が一つある。
それは、幽霊を殺すことに特化されている、と言った点。
霊媒師は、霊と対話をし、成仏させようとする。
霊能力者は、霊を視て、追い払おうとする。
そして除霊士は、霊を問答無用で、殺そうとする。
これこそが、それぞれに名称に対しての、大きく違う一点。
もちろん他にも、霊媒師や霊能力者との違いはある。
その代表点として、除霊士のみが、国の正式機関として認められているということ。世間には公表されていない、されることはない、裏の警察組織として、認識されているということ。
その証拠に、除霊士が国営機関として設立されてから、世間での心霊現象は減少の一途を辿っている。
ある一定の期間を境に、心霊写真などが減り始め、心霊番組が悉く無くなっていった……その原因は、除霊士にあったのだ。