第一話 羽根のような聖剣、鉛のような現実
「はっ、はっ、はっ……っ!」
喉の奥から鉄の味がする。
呼吸をするたびに、肺が焼き付くような熱さを訴えていた。
視界がチカチカと明滅し、こめかみの辺りで不快な脈動が警鐘を鳴らしている。それは魔力欠乏特有の、脳を直接紙やすりで削られるような不快感だった。
俺、アルトの立ち位置は、戦場の最後尾。
岩陰に身を潜めながら、前衛で華麗に舞う三人の姿を必死に見つめ続けている。
「オラァ! 遅い遅い遅い! 俺の剣速についてこれるかよ!」
戦場の中心で、金色の髪をなびかせて絶叫するのは、勇者グレンだ。
Sランクパーティー『光の剣』のリーダーであり、若くして王都の剣術大会を制覇した天才。
彼の手には、身の丈ほどもある巨大な両手剣――聖剣『グラン・レオハート』が握られている。
白銀と黄金の合金で作られたその剣は、刀身の厚みだけで十センチはある鉄塊だ。
伝説の鍛冶師が、高密度の『星屑鋼』を圧縮して鍛え上げた至高の一振り。
その重量、実に五〇〇キログラム。
本来であれば、人間の筋力で振り回すことなど不可能な質量兵器だ。
だが、グレンはその巨剣を、まるで木の枝でも振るうかのように片手で軽々と旋回させている。
「グレン、右から『アーク・ドラゴン』のブレスが来るわよ! 防御を!」
鋭い声で指示を飛ばすのは、聖女のエリス。
彼女が纏っている法衣は、一見すると薄手のシルクに見えるが、その実態は『ミスリル銀糸』と『聖獣の革』を何層にも重ねて織り上げた、対魔法防御特化の重装甲だ。
見た目の優雅さに反して、その総重量はフルプレートアーマーを凌駕する八〇キログラム近い。
「分かってる! ヴァルガス、援護しろ!」
「指図するな、単細胞。……《氷結の槍》!」
後方から無数の氷の槍を放つのは、魔導士のヴァルガス。
彼が手にしている杖もまた、異常な代物だ。
先端に巨大な魔石『賢者の瞳』を嵌め込み、杖の柄自体が魔力伝導率の高い超重量金属『黒魔鋼』で作られている。
杖一本で、成人男性二人分の重さがある一二〇キログラム。
戦場を飛び交う彼らの装備は、どれもこれもが常軌を逸した「重さ」を持っている。
常人なら一歩踏み出すことすらままならない重量を身に纏い、彼らは飛ぶように駆け、舞うように敵を切り刻む。
なぜ、そんなことが可能なのか。
彼らのステータスが高いから? 筋力がSランクだから?
違う。断じて違う。
「くっ……ぐぅ……!」
俺が、支えているからだ。
俺のユニークスキル【重力支配】が、彼らの装備にかかる重力を極限まで――九十九パーセント以上、軽減しているからだ。
俺は歯を食いしばり、岩陰から右手を突き出したまま、意識を極限まで集中させる。
対象は三つ。グレンの聖剣と鎧、エリスの法衣と装飾品、ヴァルガスの杖とローブ。
総重量、およそ八〇〇キログラム。
そのすべての「重さ」という概念を、俺の魔力で塗り替えている。
五〇〇キロの聖剣を、五〇〇グラムの羽ペン程度の重さに。
八〇キロの法衣を、夏服のシャツ程度の重さに。
一二〇キロの杖を、指揮棒程度の重さに。
維持し続けなければならない。一瞬でも気を抜けば、その瞬間に彼らは自重で潰れ、ドラゴンの爪の餌食になる。
戦闘中、激しく動き回る彼らの座標を常に捕捉し、重力操作の座標をコンマ一秒単位で更新し続ける。
それは針の穴に糸を通し続けるような、繊細かつ膨大な精神摩耗を強いる作業だった。
「らぁぁぁぁッ! これでぇ! 終わりだぁぁッ!」
グレンが跳躍した。
高さ十メートル。俺が彼の身体そのものの重力も半減させたことで、あり得ないほどの跳躍力を生み出している。
空中で身体を捻り、遠心力を乗せた聖剣の一撃が、アーク・ドラゴンの脳天に叩き込まれた。
ズドォォォォォン!!
轟音と共に、ドラゴンの巨体が地に伏す。
土煙が舞い上がり、ダンジョンの壁が震えた。
「はぁ……はぁ……」
敵の消滅を確認した瞬間、俺は糸が切れたようにその場へ膝をついた。
視界がぐらりと揺れる。
魔力(MP)の残量は、今の戦闘でカツカツまで削られていた。
俺のスキルは強力だが、その分、燃費が最悪だ。
三人のSランク装備の常時軽量化に加え、戦闘時の機動補助。これをダンジョンに入ってから数時間、休みなく続けているのだ。
「へっ、ざっとこんなもんか」
土煙の中から、グレンが悠然と歩いてくる。
聖剣を肩に担ぎ、汗ひとつかいていない涼しい顔だ。
エリスとヴァルガスも、余裕の表情でそれに続く。
「さすがはグレン。あのドラゴンを一撃なんて、また腕を上げたわね」
「ふん、当然だ。俺の剣速は神速だからな。ドラゴンの動体視力じゃ追いきれなかったようだ」
グレンは得意げに鼻を鳴らし、自分の筋肉を見せつけるようにポーズを取った。
俺はふらつく足で立ち上がり、彼らの元へ歩み寄る。
まずは無事を確認し、ドロップアイテムの回収をしなければならない。それが「荷物持ち」である俺の、表向きの仕事だからだ。
「お疲れ様、みんな。怪我は……」
「おい、アルト」
俺の労いの言葉を遮るように、グレンが冷たい声で名前を呼んだ。
見上げると、そこには侮蔑と苛立ちを含んだ瞳があった。
「てめぇ、いつまでそこでゼーゼー言ってんだ? 見苦しいぞ」
「……え?」
「たかが荷物持ちが、なんで俺たちより疲れてるんだよ。後ろで隠れて見てただけだろうが」
グレンの言葉に、エリスが「くすっ」と口元を隠して笑う。
ヴァルガスは興味なさそうに眼鏡の位置を直しながら、冷淡に言い放った。
「MPの管理もできない無能は困りますね。私たちは命懸けで魔法を使っているというのに、君はただ歩いているだけでその様だ」
違う。
俺は反論しようとした。
君たちが軽々と振るっているその武器の重さを、誰が肩代わりしていると思っているんだ、と。
だが、乾いた喉からはヒューヒューという掠れた音しか出なかった。
以前、説明したことはある。
俺のスキルが、君たちの装備を軽くしているんだと。
だが彼らは、それを鼻で笑い飛ばした。
『はぁ? 俺の筋力が上がったから軽く感じるに決まってんだろ』
『私の魔法で身体強化してるのよ。手柄を横取りしないでくれる?』
『重力魔法? そんな高等魔法、君のような落ちこぼれが使えるわけがない。せいぜい、鞄の中身を整理する収納スキル程度でしょう』
彼らにとって、自分たちが強くなったのは「自分たちの才能」のおかげであり、装備が軽いのは「自分たちのステータス」のおかげなのだ。
あまりに優秀すぎる俺の【重力支配】は、違和感すら抱かせないほど自然に、彼らの日常に溶け込んでしまっていた。
それが仇となった。
「……すみません。次からは、気をつけます」
俺は頭を下げた。
今は反論している場合じゃない。ダンジョンの深層だ。一刻も早く野営地を見つけて休まなければ、俺の魔力が尽きてしまう。そうなれば、彼らを守れなくなる。
「チッ、しけた面しやがって。……おい、今日はもうここで野営にするぞ。ボス部屋の前だが、お前みたいなのがいたら足手まといだ」
グレンの指示で、俺たちはアーク・ドラゴンの死骸の脇、開けたスペースにテントを張ることになった。
俺は残った僅かな魔力を振り絞り、マジックバッグからテントや食料を取り出す。
もちろん、マジックバッグの重量軽減機能などとっくに容量オーバーで壊れているため、中身の重さを消しているのも俺の魔法だ。
食事の準備をし、彼らの装備の手入れをし、見張りの順番を決める。
すべてが終わった頃には、俺は泥のように疲れ切っていた。
焚き火のそばで、固いパンをかじりながら、俺はぼんやりと炎を見つめる。
(……限界かもしれないな)
身体的にも、精神的にも。
幼馴染だったグレンに誘われて、このパーティーに入って三年。
最初は「お前の力が必要だ」と言ってくれた。
だが、ランクが上がり、彼らが名声を得るにつれて、俺の扱いは雑用係以下になっていった。
「――で、話なんだが」
不意に、グレンが口を開いた。
焚き火を囲んで座る三人の視線が、一斉に俺に突き刺さる。
嫌な予感がした。
背筋に冷たいものが走る。
「アルト。お前、今日でクビな」
予想はしていた。
いつか言われるかもしれないと、心のどこかで覚悟はしていた。
それでも、実際にその言葉を突きつけられると、頭が真っ白になった。
「……クビ、ですか」
「ああ。正直言って、もう限界なんだわ。お前みたいなレベルの低い荷物持ちに、Sランクの報酬を分配するのが」
グレンは聖剣の柄を指先でコツコツと叩きながら、面倒くさそうに続ける。
「俺たちはこれから、さらに上の『SSランク』を目指す。魔王討伐も見据えてるんだ。そんな時に、後ろでゼーゼー言ってるだけの雑魚がいると、士気に関わるんだよ」
「そうね。それに、あなたの体臭、汗臭くて敵に気づかれそうだわ。生理的にも無理なの」
エリスが露骨に鼻をつまんで顔をしかめる。
俺が必死に魔力を使って汗だくになっているのを、ただの不潔だと断じた。
「計算してみたんですがね」
ヴァルガスが羊皮紙を取り出し、淡々と言った。
「君に支払っている報酬と食費、その他経費。これらをカットして、代わりに『荷運び用のゴーレム』か、あるいは帰りの荷物用に馬車の手配師を雇った方が、コストパフォーマンスが三割向上します。君の仕事は、馬車以下なんですよ」
馬車以下。
その言葉が、胸に深く突き刺さった。
俺は、馬車代わりですらなかったのか。
彼らの命を、その重すぎる装備を、三年もの間、影から支え続けてきた俺の価値は、木の車輪がついた乗り物よりも下なのか。
「……俺がいなくなって、装備の運搬はどうするつもりだ? 帰りの道のりもあるし、何より、その装備は……」
俺は最後の情けで、彼らに警告しようとした。
その聖剣は、お前の腕力じゃ持ち上がらないぞ。
その法衣は、着ているだけで肩が外れるぞ。
その杖は、地面にめり込んで抜けなくなるぞ。
だが、グレンは俺の言葉を鼻で笑い飛ばした。
「はぁ? 何心配してんだよ。俺たちのステータスを見ろよ。装備の重さなんて、空気みたいなもんだ」
「そうよ。今まであなたが持っていたポーションや素材なんて、マジックバッグに入れればいいだけだし。あなたの空いた枠に、もっと有能な攻撃職を入れる予定なの」
「というわけで、これ手切れ金。銀貨五枚。今までご苦労さん」
チャリン、と乾いた音がして、俺の足元に銀貨が投げ捨てられた。
Sランクパーティーの報酬としては、あまりにも安すぎる。日雇いの労働賃金以下だ。
俺は足元の銀貨を見つめた。
拾う気にもなれなかった。
何かが、プツンと切れた。
怒りではない。悲しみでもない。
ただ、急速に「どうでもよくなる」感覚。
今まで彼らに抱いていた情や、幼馴染としての責任感、そういったものが、潮が引くように消え失せていく。
俺はゆっくりと立ち上がった。
「……わかった。パーティーを抜けるよ」
「お、やっと理解したか。物分かりが良くて助かるぜ」
「ただし、条件がある」
「あぁ? 条件だ? クビになる分際で生意気な……」
グレンが凄むが、俺は真っ直ぐに彼の目を見据えた。
今まで一度も見せたことのない、冷徹な視線だったのか、グレンが一瞬たじろぐ。
「今すぐ、ここを出ていく。このダンジョンから一人で帰る。その代わり、今後一切、俺に関わるな。俺も君たちには関わらない。他人だ」
「はっ! 望むところだ! 誰がテメェみたいな無能と関わるかよ!」
「契約成立だな」
俺は背を向けた。
荷物は自分のリュック一つ。中には僅かな食料と水、そして身を守るためのナイフ一本。
自分の装備には、もちろん【重力軽減】をかけている。羽のように軽い。
「じゃあな、グレン。エリス、ヴァルガス。……元気で」
「おう、さっさと行け! 野垂れ死んでも知らねぇぞ!」
「せいぜい、スライムに食べられないように気をつけることね」
「時間の無駄でしたね」
三者三様の罵声を背に受けながら、俺は野営地を後にする。
焚き火の明かりが遠ざかり、ダンジョンの暗闇が俺を包み込む。
十メートル。二十メートル。五十メートル。
彼らの姿が見えなくなり、声も届かない距離まで離れた。
俺は立ち止まる。
深く、息を吸い込んだ。
「……ああ、そうだ」
俺は独り言のように呟く。
彼らとの契約は切れた。雇用関係は解消された。
ならば、俺が彼らにサービスを提供する義理もない。
俺は目を閉じ、意識の中に張り巡らせていた三本の「ライン」をイメージする。
グレンの聖剣。エリスの法衣。ヴァルガスの杖。
それぞれの装備に接続していた、俺の魔力の供給パス。
それを、イメージの中でハサミで断ち切るように、プツリと切断した。
【重力支配・対象指定解除】
フッ、と身体が軽くなった。
今まで彼らの装備を支えるために消費していた魔力が、一気に俺の体内に還流してくる。
頭痛が消え、視界がクリアになる。
鉛のように重かった四肢に、力がみなぎってくる。
「……なんだ、俺。こんなに元気だったのか」
自分の手のひらを握りしめる。
彼らの重荷を背負っていたせいで、俺はずっと全力の半分も出せていなかったのだと、今さらながらに気づいた。
俺は振り返らない。
ただ、解除した瞬間に、背後の暗闇の向こうで、「ズドン!!」という地響きのような音が聞こえた気がした。
続けて、「ギャッ!?」という短い悲鳴と、何かが砕けるような音。
「な、なんだ!? 身体が……動かな……!?」
「きゃぁぁぁっ! 服が! 服が押し潰……っ!」
「杖が! 指が折れ……ぐあぁぁぁっ!」
微かに、風に乗ってそんな絶叫が聞こえてきたような気もする。
だが、今の俺には関係のないことだ。
彼らは言った。「装備の重さなんて空気みたいなものだ」と。
「馬車以下」の俺がいなくても、Sランクの彼らなら問題ないはずだ。
もし、万が一。
五〇〇キロの聖剣が腰にぶら下がったまま、地面にめり込んで動けなくなっていたとしても。
八〇キロの法衣が肩に食い込み、呼吸すらできずに這いつくばっていたとしても。
一二〇キロの杖が足の上に落ちて、複雑骨折していたとしても。
それは、彼らの「実力」の結果なのだから。
「さて、と」
俺は足元の小石を軽く蹴った。
小石は重力を失い、天井まで飛んでいった。
今の俺なら、このダンジョンを飛んで帰ることだってできる。
いや、どうせなら。
「少し、深層の方を見ていくか」
今までは彼らの介護で手一杯で、探索なんてろくにできなかった。
魔力全快の今の俺なら、ソロでも十分に戦える。
それに、なんだか不思議な予感がしたのだ。
このダンジョンの奥底で、何かが俺を呼んでいるような、そんな引力を感じていた。
俺は踵を返し、出口ではなく、ダンジョンのさらに深い闇へと足を踏み出した。
背後で響く、元仲間たちの断末魔のような混乱の声を、心地よいBGMとして聞き流しながら。




