【閑話】支配導入過程記録 ~安眠環境と心理的依存形成の観察~
【マックス】
誰かが扉を叩いたとき、僕は最初、逃げ道を探していた。
「ジョンだ。マックス、ブレンダ、いるか?」
声を聞いて、逃げるのをやめた。逃げても、ブレンダは置いていけない。
中へ入ってきた三人のうち、一人――細い目の商人風の人が名乗った。
「ジャックです。よろしく」
僕は喉が乾いて、ちょっと遅れて言う。「マックスです。よろしくお願いします」
ブレンダは寝ていた。痩せてて、手が冷たくて、僕は自分の手で包んだ。
「とりあえず、飯と風呂だ」って、ジョンさんが言った。
信じていいのか分からない。でも、ブレンダのために頷いた。
【ブレンダ】
気づいたら「おふろ」、って聞こえた。
目を開けたら、知らない女の人が笑っていて、「大丈夫よー」って言った。
その声は、あったかかった。湯気みたいに。
お湯はちょっと熱かったけど、優しくしてくれた。
わたしの髪をゆっくりほどいて、指でといてくれて、泡の匂いがした。
「おふろ、好き」って小さく言ったら、「そうでしょー」って笑ってくれた。
【マックス】
着替えを渡された。やわらかい上下で、上はコートみたいに長い。
リンゴを渡されて、噛んだら、頭が痛くなるくらいうまかった。
食べてるあいだに、ジャックさんが話を始めた。
「住み込み。飯、風呂、清潔な寝床。雇い主は少し変わった方ですが悪い人ではない」
変わった、っていう言い方が逆に怖い。
でも――ここより悪くはならない、とも思った。
「とりあえず信じます。でも、ブレンダと相談してから」
そう言ったら、ジャックさんが少し笑って、真面目に頭を下げた。
「最良の答えです」
【ブレンダ】
おふろのあと、まだうまく動かないけどからだが軽くなった気がした。
ふわふわの服。においがやさしい。
「引っ越し?」って聞いたら、マックスが「ちょっと旅だ」って笑った。
マックスが嬉しそうだと私も嬉しい。
【マックス】
出発の日、みんなが手を振った。
知らない人が、僕たちの名前を呼ぶのが、不思議だった。
僕たちの名前は、俺たちのものだけど、呼ばれると、少し強くなる。
馬車に乗ってしばらく、ジャックさんが言った。
「さて――これで君たちは逃げられませんので、種明かしを」
護衛の兄ちゃんが「言い方!」ってツッコむ。ちょっとだけ笑えた。
「私の主はヴァンパイアです」
そこで俺は固まった。ブレンダも固まった。
でも、話は止まらなかった。
ジャックさんは、“催眠”の話をした。
「最低限しかいじらないから、自覚がない」と。
「神を信じるのも刷り込みだ」と。
難しい。でも、嘘っぽくなかった。
うまく言えないけど、だれかを悪くするための言葉じゃない気がした。
【ブレンダ】
馬車の中の箱が、ぴょこんって跳ねた。
「ミミックさんです。優しくしてくださいね」
わたしとマックスは同時に固まった。二回目。
ゴブリンがいっぱい来たとき、みんな落ち着いてた。
わたしは抱っこされたまま、息を止めてた。
ゴブリンは馬車に入って、いなくなった。
「ぜんぶ、ミミックさんの中」って聞いて、また固まった。三回目。
【マックス】
ダンジョンに着いたら、骨みたいな――でも怖くない、落ち着いた声の主がいた。
「マックスです」「ブレンダです」って名乗った。
名乗るって、なんだか“契約”みたいだった。
「まずは生活に慣れろ。希望がなければ、ジャックから商売と交渉を学べ」
言葉は短くぞんざいなのに、優しさを感じる。
既に聞いてた催眠されてるのかな?
風呂、そして飯。
甘い飲み物と、香りの強い食べ物。
食べながら、僕は考えていた。
「ここで、働けるのかな」
【ブレンダ】
わたしは“カレー”っていうのを食べていない。
マックスが「辛いけど美味しい」って言ってる横で、
白いシチューを食べた。パンは白くてやわらかい。
ラッシーっていう甘い飲みものも、ちゃんと一杯。
一人前を食べ終えたら、マックスが小さく「えらい」って言ってくれた。
胸の奥があたたかくなった。
【マックス】
「満腹になったら眠くなるだろう。あとは明日にしよう。
今日は“熟睡の催眠”を受けて寝てくれ」
――メイズ様がそう言ったとき、どこかで“もう大丈夫だ”と思えた。
部屋を出る前、エリザベート様が
「ぐっすり眠れるようにしておきました」と笑っていたのを思い出す。
布団に入ると、空気がふわりと変わった。
頭の奥が軽くなって、息を吸うたびに胸の中の硬いものがほどけていく。
強制されている感じはない。
けれど、自分の意志で目を閉じたのに、
それがどこまで“自分の意志”なのかは分からなかった。
安心と支配が同じ形をしている。
そのことを少しだけ理解しながらも、
今夜だけは、その支配に身を預けてもいいと思った。
――ブレンダが一人では寂しいと、僕のカプセルに入ってきた。
この狭さが、一人じゃないことを確かに教えてくれた。
ブレンダは、俺が守る。
そう心の奥で誓った瞬間、思考は静かに闇へ溶けていった。
【ブレンダ】
寝る場所は、“カプセル”っていう小さなお部屋。
中はあたたかくて、空気がやさしく動いてる。
外の音は、遠くの世界みたいに小さい。
光がゆっくり暗くなっていって、
おやすみって言われてる気がした。
……でも、静かすぎた。
マックスのお部屋はすぐ隣。
叩けば届くのに、壁があるだけで、とても遠くに感じた。
胸の奥がきゅってして、気づいたら外に出てた。
「……マックス」
小さく呼んだら、すぐにふたが開いた。
「どうした、ブレンダ」
「……いっしょに、寝てもいい?」
マックスは少しびっくりしたけど、すぐに笑ってうなずいた。
二人で並んで入ったら、ちょっとせまかった。
でも、すぐにあったかくなった。
マックスの腕がわたしの肩にあたって、
それだけで、こわい気持ちがなくなった。
何も考えないでいい。
「おやすみ」って言ったら、
マックスの寝息がすぐに聞こえた。
その音を聞いてたら、
わたしも、いつのまにか眠ってた。
――この夜、ひとりじゃない夢を見た。
翌朝
【マックス】
現場の見学に行った。掘削の音、農場の風、どれも初めて見る物ばかりでワクワクした。
やることがある場所は、いい。やれることが増えると、もっといい。
夜、ブレンダと並んで、名乗りの練習をした。
「シグの町のマックスです」
「ブレンダです」
何回か繰り返して、笑った。
名乗るたびに、からだの輪郭がはっきりする気がした。
【ブレンダ】
名乗るのはこわいけど、うれしい。
名前は、ただの音だけど、「ここにいます」って言えるから。
マックスが隣にいるから、言えるから。
――わたしたちは、二人で、生きていく。たぶん、ここで。
✦ あとがき ✦
“名乗り”は救済ではない。ただの手続き――でも、それが人生の再起動ボタンになることがある。
二人に必要だったのは、立ち上がるための場所と、試せるだけの食事と、眠れる夜。
そして、呼ばれるべき名前。
※感想・ブクマ励みになります!
読んでくれる一人ひとりが、このダンジョンの“魔素”です。




