交渉戦略実践報告 ~言語支配モデルおよび取引心理分析~
ジャックたちが帰ってきた。
予定通り、商人と浮浪孤児を連れている。
……やはり、ジャックは使える男だ。
護衛は冒険者のウォーレンとランディ。
あとは御者リーダーだな。
入ってくるなり、ジャックの様子が少しおかしい。
「ただいま戻りました!
エリザベート様! な、何故そんなに大きく成長なされて――
以前の可愛さは薄れましたが、なおいっそうお美しくなられて……っ!」
言葉を並べるほどにテンションが上がっていく。
……美辞麗句を連打しているうちに、自分で混乱しているな。
「このジャック、正気ではとてもいられません!」
完全に“孫娘を見た祖父”の顔になっている。
あれはしばらく駄目だな。
ジャックって、あんなキャラだったか?
「まあ良い。ジャックは放っておけ。自己紹介を頼む」
普通なら俺のナリを見て恐怖に慄くか、不気味そうにするところだが――
ジャックの行動で全部吹き飛んだな。
……もしや、それを計算に入れての行動か?
いや違う。あれは天然だ。
「はい。シグの町で商会を営んでおります、デイビッドと申します。
昔ジャック様には大変お世話になりました」
「ああ、聞いている。大分懇意にしていたようだな。
商談も合意してくれたと聞いている。今後ともよろしく頼む」
「はい、こちらこそ」
「シグの町に住んでいるマックスです」
「ブレンダです」
「ブレンダは具合が悪かったそうだが、大丈夫なのか?」
「はい、おかげさまで元気になりました」
「そうか、それなら良かった。
命に関わるようなら、ジャックのように眷属化も視野に入れていたが……問題ないなら必要ないな。
まずはここの生活に慣れてくれ。希望があれば、ジャックについて商売と交渉を学んでみてくれ」
「長旅で疲れただろう。
とりあえず風呂に入って身体をほぐしてから、また話をしよう」
そう言って一度全員を解散させた。
気づけばジャックは再起動していたので、皆の案内を任せる。
エリザベートの側にいたそうだったが、無視した。
ブレンダはまだ幼い。
付き添いとしてマックスと一緒に入らせることにした。
問題はないだろう。
ちなみに、エリザベートが入るときは全員立ち入り禁止だ。
警備には蜘蛛さんたちが当たってくれている。
……俺も一度入ってみたが、骨の体だから風呂の良さがまったくわからなかった。
それ以来、一度も湯に浸かっていない。
風呂が終わったら飯だ。
集合場所は食堂にした。
今日は来賓が来るので、囚人たちは宿舎で食べている。
風呂上がりの一同の顔を見て、
満足してもらえたのが一目でわかった。
「風呂が満足してもらえたようで嬉しいよ」
「独特のルールが辛かったですが、風呂上がりがこんなに爽やかなのは初めてです」
「マックスとブレンダは無理してないな?」
「子供は体温が高くて代謝も良い。
のぼせやすいから無理は禁物だ。サウナは大人になって血行が悪くなってからでいい」
「はい、1分で出ました」
「それなら良い」
「では、食事にしよう」
俺は料理を生成した。
今日は甘口カレー、ナン、ラッシー、タンドリーチキンだ。
ブレンダには刺激のない方が良いかと思い、
シチュー、白パン、ラッシー、焼き鳥にした。
エリザベートには血ワインもつけてある。
この料理を選んだのにも、きちんと理由がある。
デイビッドに香辛料を見せたかったのだ。
「カレーはこの世界にあるのか?」
「いえ、ありません」
「そうか、それは良かった」
「リバーシの二の舞はごめんだからな」
「では、食べてみてくれ。こちらのカレーにナンをつけて食べるんだ」
……はい、阿鼻叫喚の世界、頂きました。
最初はおずおずと食べていた一同の手が、
だんだんと加速していく。
足りなくなりそうなタイミングで、カレー・ナン・ラッシー・タンドリーチキンのおかわりを生成していく。
ブレンダはおかわりしなかったが、一人前はきっちり食べていた。
やがて全員のペースが落ち、満足した様子を見せた。
デイビッドが深く息をつきながら言う。
「このような美味しい料理、初めて食べました。
それにしても、使われている香辛料の量がとても多く感じました」
「そうだな。普通なら使えないだろうな」
「その香辛料が相場の半額で手に入るなら、デイビッドならどうする?」
「それは、全てを投げ打ってでも買います!」
「では、投げ打ってもらおう」
そう言って、胡椒と乾燥唐辛子、塩、砂糖をそれぞれ1kgずつ生成した。
カレー粉はまだ出さない。
デイビッドは機能停止。再起動待ちだ。
「うぉーーーーーーー!」
「買います! 買います! 買わせて下さい!」
再起動、非常にうるさい。
「とりあえず必要な物を言え。全部先に渡す。
代金は小麦にしようと思っていたが……もっと必要な物があった。
奴隷を買い付けてくれ。
百人くらい買えるか?
そのついでに貧民街で燻ってる奴らを説得してくれ。
鉱山の宿舎の先に開拓を始めた人がいるってな」
話を聞いたデイビッドは再び固まった。
そして再起動。
「メイズ様は……そのままダンジョンに吸収などということは、しない……ですよね?
目的をお教え頂いても良いでしょうか?」
「ダンジョンに吸収なんて勿体ないことはしない。
働ける限り働いてもらう。
動けなくなったら眷属にして、ジャックのように働いてもらう。
裏ルールだが、働きたくない奴は働かなくても良い。
一日中ボーっとしていたければ、それでもいい。
俺の元に居る条件はひとつだけだ。
毎月、普段の生活に支障のない量――
コップ二杯分くらいの血液を献血すること。それだけだ」
「それなら希望者が殺到しませんか?」
「殺到するだろうな。同時に、既得権益が騒ぎ出すだろう」
「お前、大量の調味料を世界にばらまくつもりなんだろう?
今までより品質が良く、価格も安いものを。
今まで調味料でぼろ儲けしていた連中が、黙っていると思っているのか?」
「奴隷を俺が買い占めれば、市場から奴隷が居なくなる。
そうすれば相場が上がる。数を必要とする奴隷商会にとっては死活問題だ。
俺がやっているのは、俺への忠誠度の高い味方――仲間を増やすこと。
それも底辺からだ。
これは教会や領主の領分を侵すことになる。
つまり、食材系商人、奴隷商人、教会、領主――国の既得権益を荒らすということだな。
食材系の商人の味方はデイビッド、お前だ。
奴隷商人と、教会の中にも味方がいると良い。
本当に清廉潔白で、貧民のことを考えている馬鹿な神官はいないか?」
「既得権益に喧嘩を売るのに力を貸せと仰るのですね。
……なるほど、そう来ましたか。少し考えさせてください」
デイビッドは短く息を吸い、静かに目を閉じた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「これだけの調味料の商いです。
調味料だけのことを考えても、世の中への影響は大きいでしょう。
その一端を私に預けてくださると仰るのですから――腹をくくらないと駄目ですね」
彼はまっすぐ俺を見据え、微かに笑った。
「既得権益、望むところです。
了解しました。奴隷商人の件も任せてください。
それと……神官の件も、心当たりがあります。
清廉潔白を地で行く変わり者ですが、貧民のために本気で動ける男です。
信頼できるかは分かりませんが、話を通してみます」
デイビッドは静かに息を呑んだ。
目の奥に、恐れとも敬意ともつかない光が宿る。
しばらくの沈黙のあと、彼は苦笑を浮かべた。
「なるほど……これが悪魔の契約なのですね」
「あんなのと一緒にするな。
俺は悪魔を生成することもできる。
悪魔より上位の存在であり、悪魔よりタチが悪いぞ」
「まあ今日はこんなところにしておくか。
まだ見せたい商品はあるが、もう遅い。
満腹になったら眠くなるだろう。あとは明日にしよう。
今日は“熟睡の催眠”を受けて寝てくれ」
皆がそれぞれ席を立ち、静かに部屋を出ていく。
残された食器と香辛料の香りが、まだ空気の中に漂っていた。
……取引とは、支配の最も穏やかな形だ。
相手が笑って頷く限り、鎖は見えない。
けれど確かに、そこに繋がりが生まれる。
悪魔の契約よりも、ずっと効率的に。
【ダンジョン成長報告】
【モード】通常運営(帰還・商談統合期)
【眷属】ジャック帰還・デイビッド商会接続完了
【交渉成果】香辛料取引成立(相場比1/2・高純度生成)/奴隷労働力確保交渉進行中
【備考】ブレンダ体調回復・孤児救済ルート形成/外部経済・労働市場・宗教接続強化
“悪魔の契約”と呼ばれたものの正体は、
理と信頼を基盤にした“効率的な支配”でした。
経済を動かす商人、信仰を担う神官、そしてそれらを繋ぐメイズ。
支配の輪は、恐怖ではなく理解によって広がっていきます。
理屈の延長にある温度のない優しさ。
そこにこそ、彼の世界の形が見えてきます。
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読んでくれる一人ひとりが、このダンジョンの“魔素”です。




