【閑話】呼称理由考察 ~責任帰属と自己満足の心理的分岐~
ある日、ミックがふと尋ねてきた。
「前から気になってたことがあるんですけど……聞いてもいいですか?」
「なんだ? 改まって」
「いや、大したことじゃないんですけど……
気になり始めたら止まらなくて。
メイズ様って、モンスターには“さん”付けするじゃないですか?
蜘蛛さんとか、ウルフさんとか、ミミックさんとか。
でもエリザベート様とかジャックさんたちは呼び捨てですよね。
あれって何か理由があるのかな、と思って」
「……なんだ、そんなことか。
それは“責任”の差だよ。」
「責任の差?」
「ああ。
エリザベートやジャックに関しては、俺の存在が続く限り共にある。
だから、その関係には“責任”が存在する。
そして俺は、その責任に応えていくつもりだ。
けれど、生成したモンスターに対しては違う。
生殺与奪権は俺にあるが――責任を取るつもりはない。
だからせめて、敬称ぐらいはつける。
“さん”付けは、その贖いみたいなものだ。
ただの自己満足だがな。」
ミックは少し考え込むように首をかしげた。
「じゃあ……私たちを呼び捨てなのも、“守る責任”があるから、ってことですか?」
「気づいてるだろ?
俺は“名乗り”を受けた者の名前しか呼ばない。
それが、責任の有無だ。
囚人でも、名乗りを受けていない者の名前は呼ばない。
輸送隊も、冒険者は名乗りを交わしたが、
御者たちはまだだな。」
「……言われてみれば、確かにそうかもしれません。」
「俺にとって“名乗り合い”は契約と同じだ。
お互いの人生に、少なくとも一度は関わる。
そういう意志の確認みたいなもんだ。
俺の立場が“ダンジョンマスター”だからこそ許される考え方だろう。
前世の人間のままだったら――
ただの異物として排除されて終わりだっただろうな。」
ミックは苦笑して肩をすくめた。
「何とも、面倒な枷を自らに課してますね。」
「無理ならやめるさ。
結局のところ、これもただの自己満足だ。」
――合理の形をしていて、どこまでも個人的な主義。
それが、このダンジョンの支配者らしいところだった。
“呼称”という言葉の裏には、メイズなりの贖罪と覚悟が詰まっている。
それを「自己満足」と言い切る潔さこそ、彼の矛盾であり、人間らしさなのかもしれません。
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読んでくれる一人ひとりが、このダンジョンの“魔素”です。




