第5話 居場所
夕暮れ時、窓の外にオレンジ色の光が滲み、オフィスが一日の終わりに向かってゆるやかに沈んでいくころ。
重たい足音とともに、僕の机の前に姿を現したのは定年間際の先輩社員だった。
背中はやや丸く、長年の勤続で背負った疲れがにじんでいる。
「……ちょっと、いいか」
低い声でそう言うと、彼は迷いなく椅子を引き、僕の隣に腰を下ろした。
「あと数年で、この会社ともおさらばだ。だがな……正直、居場所がないんだよ」
僕は黙って耳を傾けた。
「もうこの会社でやることはないし、家に帰っても邪険にされる。俺が長年働いた結果がこれだよ…」
その言葉には、にじむような孤独があった。
長く会社を支えてきた人間ほど、最後の居場所を見失うのかもしれない。
僕はゆっくりと口を開いた。
「……僕も似たようなものですよ。窓際に追いやられて、雑用ばかり。でも、不思議なことに、ここには人が相談に来るんです」
先輩は顔を上げた。
「相談?」
「はい。新人はAIを使って怒られたと泣きつきに来るし、同期は付き合いに疲れたと嘆く。結婚を控えた女性社員は将来を不安がり、課長ですら部下の指導に迷ってやってくる。気がつけば、窓際が“相談窓口”みたいになっていました」
先輩は苦笑しながらも、目にわずかな驚きを浮かべた。
「……それで、お前は苦にならないのか?」
「ええ。僕には合っているみたいです。会社の中心では役に立たなくても、人の話を聞くことでなら少しは意味を持てる。居場所って、与えられるものじゃなくて、自分で作るものなんだと最近気づきました」
先輩はしばらく黙り込み、やがてゆっくり頷いた。
「……そうか。なら、俺も退職したあとに、自分の居場所とやらを作ってみるか」
「きっとできますよ。長く働いてきた人にしかできないことがたくさんあるはずです」
先輩は静かに笑みを浮かべて立ち上がった。
その背中にはまだ寂しさの影があったが、同時にどこか吹っ切れたような軽さも漂っていた。
窓の外はすっかり夜に変わり、街の明かりが一つ、また一つと瞬いている。
それは会社から見れば、僕はすでに不要なのかもしれない。
けれど、人にとっての居場所は思いがけないところに生まれる。
窓際は憂鬱だ。
だけど、その憂鬱な窓際に今日もまた、誰かが迷いや孤独を少しだけ軽くしに来る。
僕はその声に耳を傾ける。
それが窓際にいる僕の役目であり、居場所なのだ。




