第15話 原田のブロッコリー
原田からブロッコリーが届いた。
段ボール箱いっぱいに詰まった、青々としたブロッコリー。手紙には「約束のやつ。茎も柔らかいから食ってみろ」とだけ書かれていた。
その夜、試しに茹でて食べてみた。
驚いた。
今まで食べてきたブロッコリーとは全然違う。甘みがあって、茎までしっかり美味い。原田が自慢するだけのことはある。
翌朝、僕は珍しく弁当を作った。
といっても大したものじゃない。茹でたブロッコリーをタッパーに詰め、弁当箱に白米と冷凍の唐揚げに卵焼きを詰めただけだ。でも、このブロッコリーをちゃんと味わいたかった。
昼休み、僕はいつもの窓際ではなく、休憩室に向かった。
窓際の席で弁当を広げるのも変な感じがしたし、たまには気分を変えてみようと思ったのだ。休憩室はほとんど使わないから、少し新鮮だった。
テーブルの隅に座り、弁当箱とタッパーを開ける。
ブロッコリーを一口。
うん、やっぱり美味い。
「あの、隣いいですか」
顔を上げると、若い女性社員が立っていた。
見覚えはあるが、話したことはない。確か、営業部の……。
「ああ、どうぞ」
「ありがとうございます」
彼女は僕の向かいに座り、コンビニのサンドイッチを開けた。
「珍しいですね、鈴木さんがここにいるの」
「僕のこと知ってるの?」
「例の窓際の相談窓口の人ですよね。噂は聞いてます」
「例の…」
彼女は少し笑った。
「私は西です。営業部の三年目です」
「ああ、よろしく」
しばらく、お互いに黙って昼食を食べていた。
僕はブロッコリーを堪能し、西さんはサンドイッチをぼんやりと齧っている。
「……あの」
西さんが口を開いた。
「鈴木さんって、転職とか考えたことあります?」
唐突な質問だった。
「転職?」
「あ、すみません、変なこと聞いて」
「いや、いいけど。なんで?」
西さんは少し俯いた。
「……実は私、転職しようか迷ってて」
「そうなんだ」
「三年目になって、仕事は一通り覚えました。でも、なんていうか……このままでいいのかなって」
西さんはサンドイッチを見つめたまま続けた。
「やりがいがないわけじゃないんです。でも、すごくあるわけでもない。毎日同じことの繰り返しで、気づいたら三年経ってて」
「うん」
「転職サイトとか見てると、いろんな仕事があって、もっと自分に合う場所があるんじゃないかって思うんです。でも、いざ踏み出そうとすると怖くて」
「怖い?」
「はい。今の会社を辞めて、うまくいかなかったらどうしようって。結局、踏み出せないまま、ずるずる時間だけ過ぎてて……」
西さんは小さくため息をついた。
僕は少し考えてから、弁当箱を西さんの方に向けた。
「このブロッコリー、よかったら食べてみて」
「え?」
「美味いから」
西さんは不思議そうな顔をしたが、差し出されたタッパーからブロッコリーを取った。
一口食べて、目を丸くする。
「……美味しい。柔らかくてすごく甘い」
「だろ」
「これ、どこのブロッコリーですか?」
「うちの会社にいたやつが作ったんだ」
「え?」
僕はブロッコリーをもう一つ食べながら言った。
「同期だったんだけど、五年前に会社を辞めてね。今は実家に戻って農家やってる」
「農家……」
「最初は大変だったらしいよ。腰は痛くなるし、朝は通勤より早いし。でも今は、自分に合ってるって言ってた」
西さんは黙って聞いていた。
「会社を辞めた時は、いろいろあったんだ。本人も辛かったと思う。でも、五年経って再会したら、日焼けして、逞しくなっててさ。『うちのブロッコリーは茎が柔らかくて美味い』って自慢してきた」
僕は少し笑った。
「ここにいると、ここだけが居場所って感じるけど、そんなことはないんだなって思ったよ」
西さんは手元のブロッコリーを見つめていた。
「……辞めても、大丈夫なんですかね」
「分からない。うまくいくかどうかは、誰にも分からない。でも、うまくいかなくても、また別の道を探せばいい。人生って、たぶんそういうもんだと思う」
「……」
「転職しろとも、残れとも言わないよ。それは西さんが決めることだから」
西さんはしばらく黙っていた。
それから、小さく笑った。
「ブロッコリーもう一つ貰って良いですか?」
「どうぞどうぞ。本当に美味いよなぁ」
自分が育てたブロッコリーではないのに、なぜだか誇らしい気持ちになった。
「はい。なんだか勇気が出る味です」
「原田に伝えとくよ。喜ぶと思う」
西さんは立ち上がり、軽く頭を下げた。
「また相談に行ってもいいですか。次は席の方で」
「いつでも来てください。暇だから」
西さんは小さく笑って、休憩室を出ていった。
一人になって、僕は残りのブロッコリーを食べた。
原田のブロッコリーが、こんな形で誰かの背中を押すことになるとは。
人生は分からないものだ。
原田が会社を辞めた時、僕は何もできなかった。
でも、五年経って、原田は自分の道を見つけた。
そして、その道で作ったブロッコリーが、今日、誰かの心を少しだけ軽くした。
巡り巡って、繋がっていく。
窓際でできることは、話を聞くことくらいだ。
でも、時々こうやって、思いがけない形で誰かの役に立てることがある。
それで十分だ。
弁当箱を閉じて、僕は休憩室を後にした。
午後の仕事が待っている。
窓際の、いつもの席で。




