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窓際社員の憂鬱  作者: 空腹原夢路


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第14話 形にならないもの

その日、見慣れないスーツ姿の男性が窓際に近づいてきた。


背筋が伸びていて、歩き方に無駄がない。いかにも管理部門という雰囲気だ。


「君が鈴木くんか」


「はい。何か問題起こしてしまいましたか?」


「いや、そうじゃない。そんな警戒しないで欲しい」


コンプライアンス部の高橋部長だ。社内研修で何度か見たことがある顔だった。

五十代前半、真面目で堅い印象。コンプライアンス部を立ち上げた時からのメンバーだと聞いている。


「少し話を聞いてもいいかな」


「ええ、どうぞ」


高橋部長は向かいの椅子に腰を下ろした。

周囲を見回してから、少し声を落とす。


「最近、君の噂をよく聞くよ。『窓際の相談窓口』だっけ」


「大袈裟な噂ですよ」


「そうでもないらしい。新人から役員まで来てるって聞いた」


高橋部長は腕を組んだ。


「実はね、僕も少し悩みがあって」


「悩み、ですか」


「ああ。コンプライアンス部でホットラインを設けてるのは知ってるだろう」


「はい。ハラスメントとか、内部通報の窓口ですよね」


「そう。そうなんだよ。そこなんだよ」


「え?」


「通報ってイメージが強いんだ」


高橋部長は眉間に皺を寄せた。


「本来は、問題を早期に発見して、大きな問題になる前に解決するための窓口のはずだった。でも最近は……足を引っ張るための通報が増えてきた」


「足を引っ張る?」


「気に入らない上司を追い出したい、嫌いな同僚を異動させたい。そういう動機で通報してくるケースが増えてる。好き嫌いで通報されても、こっちは何もしない訳にはいかない」


「それは……大変ですね」


「しかも、仮に本当に問題があったとしても、結局は人事異動で調整するくらいしかできない。よっぽどのことが無いと解雇なんてできないし、異動したとしても人が変わるわけじゃないから、根本的な解決には繋がらないんだ」


高橋部長はため息をついた。


「もっと手前で相談してもらえれば、大事になる前に対処できることも多い。でも、君が言った様にホットラインは『通報』ってイメージが強すぎて、気軽な相談には来ないんだよね。来る時には、もう手遅れになってることが多い」


「……なるほど」


「そこで、君の話を聞いたんだ」


高橋部長は僕を見た。


「この前、進藤課長と飲んでね。君のことが話題になった」


進藤課長か。あの人も相談に来ていたな。


「進藤も言ってたよ。『鈴木くんのところには、みんな気軽に相談に行く。あれを正式にできないか』って」


「……」


「正直、僕も同感だ。君のやっていることを、正式な相談窓口として立ち上げられないかと思ってね」


高橋部長は真剣な目で続けた。


「どうだろう。本当に、やってみないか」


僕は少し考えてから、口を開いた。


「……ありがたい話ですけど、僕はお断りします」


高橋部長は目を見開いた。


「理由を聞いてもいいかな」


「正式な窓口になったら、誰も来なくなると思うんです」


「どういうことだ?」


僕は窓の外を見た。


「今、みんながここに来てくれるのは、僕が窓際だからだと思います。評価に関係ない。記録に残らない。上司に報告される心配もない。だから、気軽に話せる」


「……」


「でも、正式な窓口になったら、それが全部変わります。相談内容は記録されるかもしれない。人事評価に影響するかもしれない。そう思った瞬間、誰も本音を話さなくなる」


高橋部長は黙って聞いていた。


「形にした瞬間、壊れるものってあると思うんです。僕がやってることは、たぶんそういう類のものです」


しばらく沈黙が流れた。


高橋部長は腕を組んだまま、考え込んでいた。


「……なるほど。そういう視点はなかった」


「すみません。せっかくの話なのに」


「いや、謝ることじゃない。むしろ、目が覚めた気分だ」


高橋部長は苦笑した。


「僕たちはすぐに形にしたがる。制度を作って、マニュアルを整備して、それで解決した気になる。でも、形にした瞬間に失われるものがあるってことか」


「僕もうまく言えないですけど、そんな気がするんです」


「いや、十分伝わったよ」


高橋部長は立ち上がった。


「今日の話、参考になった。ありがとう」


「いえ、お役に立てず申し訳ないです」


「そんなことはない。形にならないものの価値を、改めて考えさせられた」


高橋部長は少し笑った。


「まあ、正式な窓口は諦めるよ。でも、君がここで続けてくれるなら、それはそれでいいのかもしれないな」


「それは嬉しいことなのかちょっと悩ましいですね…」


「すまない…君は望んでここに居るわけじゃないんだよな」


「いえいえ、意外と居心地良いですよ。日当たりも良くて」


どう考えても社内での日当たりが悪い僕の最大限の皮肉だ。


高橋部長は苦笑いしながら、立ち上がった。


「話を聞いてくれてありがとう。ホットラインの在り方もちょっと考えてみるとするよ」


高橋部長は背筋を伸ばしたまま去っていった。



一人になって、僕は窓の外を見た。


形にならないもの。


僕がここでやっていることは、たぶんそういうものだ。

制度にはできない。マニュアルにもできない。

でも、だからこそ機能している。


窓際という場所。

評価の外にいるということ。

それが、誰かの話を聞くための条件になっている。


皮肉な話だ。

会社にとって不要だと思われている場所が、実は誰かにとって必要な場所になっている。


でも、それでいいのかもしれない。


形にならないからこそ、守られるものがある。

名前がつかないからこそ、続けられることがある。


窓の外には、夕暮れの光が静かに広がっていた。


明日も僕は、ここにいる。

窓際に。

形にならないまま。

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