第13話 先駆者
午後の穏やかな時間帯だった。
窓際の席で書類を整理していると、軽い足音が近づいてきた。
顔を上げると、若宮が立っていた。
入社一年目の新人。数ヶ月前、AIを使って課長に叱られたと相談に来た、あの若手だ。
「先輩、ちょっといいですか」
あの時と同じ言葉。でも、声のトーンが全然違う。
落ち込んだ様子はなく、むしろどこか弾んでいる。
「ああ、どうぞ」
若宮は前と同じように紙コップのコーヒーを差し出した。
「差し入れです」
「ありがとう。で、今日はどうした?」
「報告があって」
若宮は向かいの椅子に座り、少し照れくさそうに笑った。
「あの時、先輩に言われたこと、ずっと実践してたんです」
「言われたこと?」
「AIに丸投げするなって話です。出てきた文章を自分で読み込んで、『なぜこうなるのか』を説明できるようにしろって」
ああ、あの時の話か。正直、僕はそこまで大したことを言った覚えはない。
「それで?」
「最初は難しかったんですけど、続けてたら段々コツが掴めてきて。AIの出力をそのまま使うんじゃなくて、自分の考えを整理するための道具として使うようになりました」
若宮は嬉しそうに続けた。
「そしたら、課長にも認めてもらえるようになったんです。『お前、最近資料の質が上がったな』って」
「そうか。よかったな」
「それで、実は……」
若宮は少し声を落とした。でも、その目は輝いていた。
「社内でAI活用のプロジェクトが立ち上がることになって、僕、担当の一人に選ばれたんです」
「……マジか」
「マジです。まだ一年目なのに、って自分でも驚いてます」
僕は素直に感心した。
「すごいな。一年目で抜擢されるなんて」
「いやいや、先輩のおかげですよ。あの時、先輩が『先駆者になれる』って言ってくれたから、頑張れたんです」
「俺は別に大したこと言ってないよ」
「また、そうやって」
若宮は苦笑した。
「でも、本当なんです。あの時、『道具は最初に使う人が怒られる』って言われて、すごく楽になりました。間違ってなかったんだって思えた」
「……」
「だから、ありがとうございます。先輩のおかげで、僕は自分で考えることの大切さが分かりました」
真っ直ぐな目だった。
数ヶ月前、戸惑いと罪悪感を浮かべていた目とは、まるで違う。
「俺のおかげじゃない」
僕はコーヒーを一口飲んだ。
「お前が自分で考えて、自分で行動した結果だ。俺はただ、ちょっと背中を押しただけだよ」
「そうですかね……」
「そうだよ」
若宮は少し考え込んでから、顔を上げた。
「先輩、僕……先駆者になれましたかね?」
その言葉に、僕は思わず笑った。
あの時、僕が言った言葉を、ちゃんと覚えていたのか。
「ああ」
窓の外を見た。午後の光が、オフィスを柔らかく照らしている。
「先駆者になれたな」
若宮は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。これからも頑張ります」
「ああ。頑張れ」
若宮は立ち上がり、軽く頭を下げてから席に戻っていった。
その背中は、数ヶ月前よりずっと大きく見えた。
一人になって、僕はコーヒーを啜った。
先駆者か。
あの時、軽い気持ちで言った言葉だった。
でも、若宮はそれを胸に刻んで、自分の力で道を切り開いた。
言葉は、思った以上に人に届くことがある。
そして、届いた言葉をどう使うかは、その人次第だ。
若宮は自分で考え、自分で行動した。
俺ができたのは、ほんの少し背中を押すことだけだ。
でも、それでいいのかもしれない。
窓際の僕にできることなんてものは、たぶんそれくらいだ。
話を聞いて、少しだけ背中を押す。
あとは、その人自身が歩いていく。
窓の外には、午後の光が優しく街を照らしていた。




