第1話 新人からの相談
昼休みが終わったオフィスは、妙に静かだった。
プリンターの音も止まり、キーボードを叩く音だけが淡々と響いていた。
そんなとき、僕の机の横に影が落ちた。
「……先輩、ちょっといいですか」
入社一年目の新人だった。
いつもより小さな声。手には紙コップのコーヒーを持ったまま、落ち着かない様子で立っている。
「どうしたもぞもぞして」
僕が椅子を回すと、紙コップを僕に渡し、彼は周囲を気にしてから、ようやく口を開いた。
「実は……この前の企画資料でチャットGPTを使ったんです。表現を参考にするつもりだったんですけど、課長にバレて、“自分の頭で考えろ”って叱られて……」
吐き出すように言ったその顔には、戸惑いと罪悪感が混じっていた。
「なるほどな」
僕は渡されたコーヒーをひと口すすり、少し考え込むふりをした。
「まぁ、それ自体は悪いことじゃないよ」
「……え?」
「昔だって、最初にスマホの翻訳アプリを使った人は、“ズルするな”って言われてたんだよ。けど今じゃ、出張先で翻訳アプリを使わない方が“非効率”だって笑われる。道具はいつだって、最初に使う人が怒られるものなんだ」
新人は目を丸くした。
「じゃあ、僕は間違ってなかったんですか?」
「間違ってはいない。だけど、使い方を間違ってはいけない」
僕は指を一本立てた。
「AIに答えを丸投げしちゃダメだ。出てきた文章を自分で読み込んで、“なぜこうなるのか”を説明できるようにする。それから自分の言葉に落とし込む。それができれば、むしろ君の武器になる」
彼は少し考えたあと、ふっと笑った。
「……そうか。自分の意見に変えるってことですね。ありがとうございます。そういえば、課長も自分でしっかり考えろと怒っていました。」
「そういうことだ。それに社内でAIを使いこなせる人間はまだ少ない。君は先駆者になれる。」
少し沈黙があって、彼はおずおずと続けた。
「やっぱり先輩、課長になってくださいよ。そういう考え方ができる人が上にいてくれたら、僕らも楽なのに」
僕は笑って首を振った。
「残念だけど、出世には興味がないんだ。ここも案外居心地がいいんだ。」
「でも、先輩って仕事もできるし、人望も厚いと思いますよ」
「じゃあ、僕は窓際でも活躍できる社員を目指すかな。先駆者としてね」
彼は苦笑いしながら席に戻っていった。
窓の外には午後の光が長く伸びている。
雑用に追われる日々は変わらない。けれど、人の心の迷いを少し軽くするくらいなら――それもまた、窓際の役割なのかもしれない。




