「名前を知る日、夜の甘味と」
夜勤シフトの静かな時間帯。
自動ドアが小さく開き、夜の空気とともに入ってきたのは、あの女性だった。
ベージュのコート、白いスニーカー。手には、和風スイーツ。
「こんばんは。また来ちゃいました」
小崎は思わず、にこりと微笑んだ。
「いらっしゃいませ。もうすっかり常連さんですね」
「そうかもしれません。……この時間、落ち着くんです」
レジでスイーツの会計を済ませると、彼女はいつものように、イートインの端に腰を下ろす。
ノートパソコンを開き、少しだけ眉間にしわを寄せながら何かを打ち込んでいた。
小崎はドリンク補充を終えたあと、カウンター越しに声をかけた。
「……お仕事、うまくいきそうですか?」
彼女はキーボードから手を離し、小さくうなずいた。
「ええ、少しずつ。でも、やっぱり迷うこともあって」
「そんなときは、甘いものですね」
「……はい、和風スイーツが落ち着くんです。箸で少しずつ食べるのが、またいいんですよ」
ふたりは少しだけ笑い合い、それから、ふと間ができた。
そして、彼女のほうから静かに言った。
「そういえば……まだ名乗ってませんでしたね。私、“本多 梨子”といいます」
小崎は少し驚いたように目を見開き、すぐにお辞儀をした。
「小崎正則です。……なんだか改まると照れますね」
「でも、名乗るって、いいですね。ちょっとだけ、ちゃんと繋がれた気がします」
梨子はスイーツをひと口食べると、ふわりと微笑んだ。
「また来てもいいですか、小崎さん」
「もちろん。……梨子さん」
イートインの空気が、ほんの少しだけ温かくなる。
頑張れ、小崎くん。
名前を知ることで始まる物語も、きっとあるんだ。