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【ハイファンタジー 西洋・中世】

魔狼の最期と英雄の凱旋

作者: 小雨川蛙

 

 数百年も生きた年老いた巨大な狼が居た。

 この地方では神とも妖魔とも形容されるその狼は魔狼と呼ばれ、数え切れないほどの人間を喰らい文字通りに人々を恐怖で支配していたのだ。

 しかし、それが根城としていた深森にほど近い村が全滅したのを切欠にその姿は随分と見られなくなっていた。

 最後に魔狼が見られてからもう二十年近い時間が流れた。

 故に多くの人間はそれがもう滅びたとばかり思っていた。

 だが、魔狼は未だ滅びておらず、そして聡い人間達もそれを知っていたが故に魔狼の棲家へとやってきたのだ。


 人の臭いを感じた魔狼は苔が生えた毛皮を微かに震わせながら闖入者の方へ首をあげる。

 かつて、たった一人を除いて来ることがなかった深森の最奥に、今、武器を持った六人の人間が侵入していた。

 彼らが持っているのはおそらく名工に造らせたであろう冷ややかな美しさを持つ刀や槍、そして数百年を生きた魔狼でさえ見たこともない形をした奇妙な杖のようなもの。

 突如、もちあげた頭に向かいその杖から稲妻が放たれ、魔狼の耳を貫いた。

 温かな痛みが走る中、彼らを先導していた男が言った。

「おい! まだ銃を撃つな! 構えたままでいろ!」

 そう言うと彼は他の者達に銃を構えさせたまま数歩、魔狼に近づいて言った。

「無礼をした」

 熱が赤い痛みと変わるのを感じながら魔狼は問う。

「構わん。何用だ?」

 その声は小さく、背後の者達には聞こえないだろう。

「お前を殺しに来た」

 その答えを聞き魔狼は再び頭を地面に下ろしながら答えた。

「ならば奪えばいい。何を躊躇う必要がある」

 男はさらに数歩近づき尋ねた。

「何故、抵抗しない?」

 尤もな問いだと魔狼は思いながら答える。

「抵抗をしても無駄だからだ。幾人かは殺せても私はここで死ぬだろう」

「ならば何故逃げなかった? いや、何故生きようとしていないのだ?」

 まるで川辺に転がる岩のように苔で覆われた魔狼の身体を見て男は問う。

 魔狼はため息をつきながら彼を見つめ、そしてぽつりと言った。

「こちらへ来い。安心しろ。喰い殺したりはしない」

 男はちらりと振り返り、背後に控える仲間に頷きかける。

 仮に魔狼が自分を襲おうとも彼らは躊躇いもせずに銃を放たせるために。

 その信頼からだろうか。

 男は実に堂々とした足取りで魔狼の隣に立った。

「良い目だ」

 静謐な森の中にその声が重く響き渡る。

 魔狼と男の視線が重なった。

 その直後。

 男の脳裏に独りの少女の姿が浮かび、それがそのまま男の中で歩き出す。

「村の娘だ」

 魔狼の声が遠い場所で響く。

 男は無言のまま少女を見つめ続けていた。

 彼女はたった独りで魔狼の下へ向かい、魔狼に親し気に話しかけている。

 男は直感する。

 彼女こそがきっと、魔狼を変えたのだと。

 人間が人外に恋をするなどという与太話は別に聞かないわけではない。

「お前の恋人か」

 故に男はそう尋ねると魔狼が大笑いをする。

「恋だと? 馬鹿らしい。そんなものではない」

「では、一体……?」

 そう問い返した男は直後に答えを知る。

 脳裏に浮かんだ少女が村の者を一人、魔狼に連れてきたのだ。

 怯える村人を魔狼は躊躇なく喰らった。

 それを見つめながら少女は恍惚の表情を浮かべていたのだ。

 そして、それを少女は繰り返す。

 無論、抵抗した者もいたのだろう。

 連れて来られた村人の中には縛られただけでなく、両腕を切り落されたものや、それだけに飽き足らず両足を切断され、少女に背負われている者もいた。

「げに恐ろしき者よ。こやつは人の形をしていながら人ではない。それが恐ろしくて仕方ないのだ」

 男の背に冷たい汗が伝う。

 脳裏に浮かぶ少女は確かに人の形をしている。

 だが、どうだ。

 この様は。

 彼女の考えが何一つ読めない。

 今、目の前で自分を一噛みで殺せる化け物よりも、自分と同じ形をしている彼女の方がよほど恐ろしい。

「こやつは自らを私の遣いだと称して村人達を縛った。あの村の者達を恐怖で縛り続けながら一人、また一人と私を用いて殺したのだ」

 少女は女性となり、やがては老女となる。

 足腰も弱ったのだろうか。

 彼女が連れてくるのは段々と幼い子供や赤子となっていた。

 そして、やがて。

 それも出来なくなり、歩行さえも困難となった老女は魔狼に微笑みかけながら、その目の前でゆっくりと横たわった。

「こやつは自分を喰らえと言った。私はそうした」

 恐ろしい牙が老女の身体を噛み砕き、引き裂く。

 しかし、その最中にあっても彼女の顔は恍惚としていた。

 まるで、こうなることが至上の喜びだとでも言いたげに。

 男の脳裏から少女の姿が消えた。

 目の前に居るのはすっかりと年老いた魔狼だけだ。

「分かるか。私はこやつが恐ろしくて仕方ないのだ。同族を差し出すだけでなく、自らの命さえも喜んで差し出し、最後の最後まで幸福に死んでいったあの女が」

 熊よりも二回り以上巨大な魔狼は猫よりも小さい子狼の如く震えていた。

「今でも震えてしまう。こやつが何を考えているのか分からぬ故に。そして、私は心底恐れた。爪であっさりと引き裂き、牙で一瞬で命を奪える人間というものを」

 そこまで言った後に魔狼は皮肉気な笑みを浮かべて言葉を結んだ。

「私は人間が恐ろしくて隠れていたのだ」

「馬鹿な。お前の見た女はただの気狂いだ」

 男の言葉に魔狼は首を振る。

「違う。あの女には魔が宿っていたのだ。お前達が私の中に見出し恐れた魔は今や人間の内にある。そして、人間は人を恐れ隠れ続けていた私を見つけ出すほどに世に満ちた」

 その言葉を受け取り、男はようやく魔狼が何故この場所に居たのか理解した。

「殺してくれ」

 魔狼は男に願った。

「魔を宿した人間がここに来る前に。私が弄ばれて死ぬ前に」

 その言葉を聞いた直後。

 男は声を挙げた。

 それと同時に幾つもの銃弾が魔狼の身体に打ち込まれる。

 魔狼は悲鳴をあげ、空いた幾つもの傷口から血が噴き出す。

 しかし、魔狼は抵抗をしなかった。

 弾は切れるまで放たれ続け、やがて火薬の臭いと血の臭いが入り混じる中でようやく静寂が訪れた。

 男は無言のまま刀を抜くと、未だ微かに息の残っていた魔狼は視線だけで男を見つめて言う。

「ゆめゆめ忘れるな。今や、魔は人間の内に潜む。人と人が争う時代はもう訪れているのだ」

「心しておこう」

 一閃。

 数百の年月を生き続けた魔狼はそのまま首と体が別たれた。

 男はその首を拾い上げると踵を返して仲間の方へと戻る。

「呆気ないものだ」

 仲間の内の一人がそう言ったので男は頷いた。

「あぁ。肉を喰らっていなかったから弱っていたのだろう」

 五名は皆、男の親友といっても差し支えの無いほどに親しい者達ばかりだ。

「これで俺らは英雄だ」

 一人がそう言って楽し気に皆が笑った。

 その瞬間。

 男は仲間の一人の首を刎ねた。

「は!?」

 辛うじて声を挙げた者の首をさらに男は刎ねる。

 声も挙げることが出来ない者の首を二つ、さらに刎ねた。

「お前……一体何を……!?」

 混乱しながら銃を構えた最後の仲間はカチカチと引き金を引いたが弾が出ることはなかった。

 先ほど、魔狼を殺すのに全て放ってしまったからだ。

 故に男はあっさりと最後の一人の首もあっさりと刎ねることが出来た。

 血にまみれた死体を一瞥した後、男は魔狼の首を持ったまま歩き出す。

 全て、男の計画通りだった。

 彼は元より、手柄を独り占めするつもりだったのだ。

 くちゃり、くちゃりと、血を踏んだ沓が音を立てる。

「魔は人の内に潜むか」

 魔狼の言葉を反芻するように呟いて言った。

「流石、数百年を生きただけのことはある」

 称賛あるいは嘲りとも取れる言葉を知ってか知らずか、最早色のない魔狼の目が男の方を向いていた。


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