妖狐・玉藻さんの封印を解いた僕。お礼に従僕にしてやると言われましたが、普通に嫌なので断りました。
僕の唯一の長所は“不測の事態が起きてもパニクらない”ということだろう。
頭脳も平凡、身体能力も平凡、他人とのコミュニケーションにおいては可もなく不可もなく。
取り立てて優れた部分のない僕が唯一、自慢できるとしたらそれくらいのものだ。
……まあ、それも今しがた初めて知ったわけだけど。
「わらわの封印を解いてくれたのは、おぬしかえ?」
目の前には美女がいる。十二単に身を包んだ見目麗しい美女がいる。
生まれてこの方、テレビでも見たことのないほどの絶世の美女だ。
艶のある柔らかそうな白い肌、まばゆいばかりに輝く長い黒髪、透き通るような青い瞳、紅をさしたような赤い唇。
僕にとって理想の女性像を具現化したかのような女性だった。
おそらくクレオパトラも楊貴妃も小野小町も到底かなわないのではないだろうか。
ただひとつ……いや、ふたつ。
クレオパトラにも楊貴妃にも小野小町にも(たぶん)ないものが存在している。
それはきれいな艶髪の上にぴょこんと生えている獣耳と、十二単の後ろからちょろりと伸びているふさふさの尻尾だ。
どちらもきつね色をしており、よくよく見るとぴょこぴょこ動いている。
どう見ても飾りではない。
つまりは、人間ではない。
「………」
あまりの出来事に呆然としていると、目の前の美女は怪訝な顔を見せた。
「ふむ? 言葉が通じぬのかの?」
眉を寄せる表情も魅力的だった。
「わらわが封印されておる間に言語が変わってしまったのであろうか」
「……い、いえ。ちょっとびっくりしすぎて言葉を失っていただけです」
「おお、よかった! 通じておったか!」
まばゆいばかりの笑みを浮かべる目の前の美女に、少しめまいを覚える。
「封印を解いてくれたのに礼も伝えられぬでは心苦しかったからの」
「封印……?」
僕は美女の足元に転がる小箱に目を向けた。
うっかり開けてしまったその小箱。
彼女はそこから白い煙とともに現れた。
どうやらその小箱に封印されていたらしい。
「ありがとう、礼を言うぞ」
「………」
僕はなんて答えればいいかわからず、途方に暮れた。
そもそもだ。
なんで僕がこんな絶世の美女を封じていた小箱を持っていたかというと。
事の発端は昨日のことである。
大学の春休みで京都の実家に帰省中だった僕は、じいちゃんに言われて蔵の掃除をやらされていた。
「いいか、陽介。ピッカピカになるまでよーく磨くんじゃぞ」
特にすることもなく毎日ゴロゴロしていた僕に業を煮やしたじいちゃんがバケツと雑巾を渡してきたのがお昼過ぎ。
それからずーっと蔵の中を掃除していたのだけれど、棚の奥から怪しげな木箱が見つかった。
「……?」
小さいころから何度か蔵の中には入ったことはあったものの、そんな木箱は見たことがなかった。
大きさは手のひらサイズでかなり小さい。
腐食もすすんでいるようで、ところどころ腐りかけている。
手を伸ばして取り出してみると、変な文字が書かれたお札がびっしりと貼られていた。
明らかに普通の木箱ではなかった。
「なんだこれ」
開けてみようかどうしようか迷ったものの、ちょっと怖かったので元の場所に戻しておいた。
あとでじいちゃんに聞いてみたけれど、じいちゃんもわからないと言っていた。
結局なんだったのかわからないまま、翌日、僕は東京のアパートへと戻ったのだった。
異変に気付いたのはその時である。
東京のアパートに帰った僕の目の前に、あの木箱が置かれていたのだ。
部屋の外にではなく、部屋の中にだ。
テレビとテーブルとベッドしかない殺風景な部屋の中央に、ちょこんと置かれていた。
「……マジで?」
ホラーもホラー。
毎年夏ごろに放送される視聴者投稿型の怖い話に応募できるんじゃないかと思えるほどの展開に、背筋が震えた。
とりあえず部屋に置いてある木箱を触れずに眺めまわした。やっぱり、実家の蔵にあったあのお札まみれの木箱だ。
どうやってここまで来たのだろうか。
まったくわからなかったが、ツンツンとつついてみた。
特に何も変化がなかった。
次に手に取ってしげしげと見つめてみた。
よく見ると木が腐りかけてお札が取れかかっている。
明らかにヤバいと思いながらも、好奇心に打ち負かされた僕はその場でお札を取り、木箱を開けたのだった。
瞬間、白い煙が立ち上り、その煙に包まれながら現れたのが彼女だった。
「ところで、ぬしは誰ぞ?」
十二単の美女の言葉にハッと我に返る。
気づけば目の前の美女がくんかくんかと鼻を鳴らしながら顔を近づけていた。
間近で見ると、本当に綺麗でちょっとドキドキする。
「ふむ、匂いからするとわらわを封印した者の縁者のようじゃが……」
どうしよう。
さっぱりわからない。
確かにうちの蔵にあった小箱から現れたということは、そこに封印されていたみたいだけど……。
でもそんな話、家族からはこれっぽっちも聞いたことがないし。
「ぬし、名はなんと申す?」
「よ、陽介。安部陽介」
思わず答えてしまった。
「あべ? ふむ、やはり血縁者か」
「は?」
「くくく。これは愉快愉快。よもやわらわを封印した泰成の子孫がわらわの封印を解いてくれようとはの」
やすなり?
誰それ?
きょとん、としていると獣耳の美女は「それに」と言いながら僕の顎に手を当ててクイッと持ち上げた。
「よく見ればあやつ同様、可愛い顔をしておるわ」
うわぁ……顎クイだぁ……。
美女からの顎クイがこんなにも恐ろしいものだなんて知らなかったぁ……。
さっきから背中から嫌な汗が噴き出てきてしょうがない。
僕はかろうじて。
本当にかろうじて言葉を発した。
「あ、あの……すいませんけど……」
「なんじゃ?」
「あなた誰ですか?」
僕の言葉に彼女の獣耳がピクッと動いた。
「……は?」
「妖怪……なんでしょうか?」
「………」
謎の美女は顎クイの状態から固まってしまった。
……何か変な事でも言ってしまったのだろうか。
「………」
やがて彼女は僕の顎から手を放し、おぞましいものを見るような目つきで僕を見た。
「ま、まさかぬしはわらわが誰かわからぬというのか?」
おぞましいものを見るような目つきというか、若干引いている。
それはそうか。
どれくらい封印されていたのかは知らないけど、その封印を解いた者から「あなた誰ですか?」なんて言われたら僕だって引くし。
でも本当にこの謎の美女について何も知らないのだから正直に言うしかない。
「すいません……全然わかりません」
「……まったくか?」
「はい」
「………」
「………」
「………」
また押し黙ってしまった。
どうしよう、すっごく空気が重い。
「……くく……くくく」
と思ったら、なんか笑い出した。
「あーははははは! 知らんのか! ぬし、わらわを知らんのか!」
め、めっちゃ笑ってる……。
笑う要素どこにあった? って聞きたいくらい笑ってる。
「知らんでわらわの封印を解いたのか! くくくく、これは傑作!」
傑作なんだ……。
「よく聞け、小僧! わらわは妖狐の玉藻前! 日本の全妖怪の頂点に立つ大妖怪ぞ!」
「はあ」
「なんじゃ、その気の抜けた返事は」
いや、十分驚いてます。
でもどんな反応すればいいかわからない。
とりあえず「はあ」と言うしかなかった。
「まあよい。気に入ったぞ、ぬし! 褒美としてわらわの従僕にしてつかわす!」
「え、やだ」
思わず拒否ってしまった。
っていうか従僕ってなに?
知らなかったとはいえ、封印を解いた相手を従僕にするって、わけわからん。
「………」
またもや獣耳の美女が唖然とした表情で僕を見る。
ああ、きっと従僕にさせられるというのはこの人にとってすごく名誉なことなんだろう。
断られるとは思わなかったに違いない。
そういう意味においてはこの人も十分面白いと思う。
「ちょっと待て。今、やだと言ったのかの? まさかとは思うが……今、やだと言ったのかの?」
「言いましたけど……」
獣耳の美女は、それはそれは見事なまでに固まった。
石になるってこういう感じなんだと普通に思った。
「わらわの従僕だぞ? 数多の妖怪たちがなりたくてもなれない立場だぞ?」
「いや、僕人間だし……」
なんかこっちが可哀そうに思えるくらいショックを受けている。
「も、もう一度言う。わらわの従僕にしてつかわす」
「やだ」
「──ぴえッ!?」
だんだん面白くなってきた。
全妖怪の頂点に立つ大妖怪と言っておきながら、どことなく人間くさい。
「ぬううう……。小生意気な小童め」
そう言って「玉藻」と名乗った獣耳の美女は腕を組んで目を閉じた。
そして一人で何やらぶつぶつ呟き出した。
「わらわの従僕という栄誉を蹴るとは予想外の展開よ……。しかし封印を解いた礼をせぬまま別れるのもわらわの矜持が許さぬし。はてさて、どうしたものか……」
どうやら封印を解いた礼をしたいけれども、僕が何を望んでるのかわからなくて困ってるようだ。
別に礼なんていらないのに。
封印を解こうと思って解いたわけじゃないし。
「あの……、別にどうこうして欲しいわけじゃなかったのでお礼とかいりませんよ?」
そう言うと玉藻さんはものすごい形相で「たわけ!」と叫んだ。
「高貴なわらわが封印を解いてもらっておきながら何もせずに去ると思うのか、この俗物が! 恥を知れ、人間!」
……な、なんで僕が怒られてるんだろう。
「なにがなんでもぬしに礼をするから待っておれ!」
「は、はい……」
これ、もう完全に立場が逆じゃん。
僕がいいって言ってるのに頑固と言うかなんと言うか……。
それよりもひとつ気になることがある。
彼女が人に害を与える妖怪なのか、そうでない妖怪なのか。
もし前者であれば、僕はとんでもないことをしてしまったことになる。
「あの……」
僕は恐る恐る尋ねてみた。
「なんじゃ?」
「玉藻さんは妖怪なんですよね?」
「そうじゃ! 日本の全妖怪の頂点に立つ……」
「あ、それさっき聞いたのでいいです」
「………」
「それよりも、玉藻さんって人に危害を加えるタイプの妖怪なんですか?」
「む?」
「僕、そんなに詳しくはないんですけど、妖怪って人に危害を加えるタイプとそうでないタイプがいるじゃないですか」
座敷童とか小豆あらいとか。
座敷童は幸運を、小豆あらいは恋愛運を呼び込んでくれるって言うし。
「玉藻さんはどちらなんですか?」
「ふ、愚問だな」
玉藻さんはそう言って僕に指を突き付けた。
「わらわは自由気ままに生きる妖怪よ! わらわが相手をするのはわらわに害をなそうとする者だけじゃ!」
どうやらこの人、言動や態度はアレだけど、いい妖怪らしい。
とりあえずホッとした。
でもそれならそれで疑問が残る。
「じゃあなんで封印されてたんですか?」
僕の続けざまの質問に、玉藻さんは「ぐっ……!」と突きつけてた指を曲げた。
「人に危害を加えようとしたからですか?」
さっき言ってた泰成という僕の祖先。
その人が封印をしたということはよほどのことがあったのだろう。
しかし玉藻さんは両手の人差し指同士をツンツンさせながら恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「それは……そのぉ……」
「言いにくいことですか? やっぱり人に危害を加えようとしてたんですか?」
「いや違う違う! わらわはそんじょそこらの野蛮な妖怪ではない!」
「じゃあ、なんでですか?」
「わらわが、そのぉ……泰成に~……き、求婚……したからじゃ」
「は?」
なんか予想と違う答えが返ってきた。
玉藻さんは相変わらず顔を赤くして人差し指をツンツンしている。
「あの日、泰成はひとりで月を見ながら酒を飲んでおってな。その時は単純にわらわも酒が飲みたくて声をかけたのじゃが、泰成はそれはそれは美丈夫でのぉ。二人で飲んでるうちになんだかこう、身体が火照ってきて……」
「は、はあ」
「気づいたら押し倒して求婚していたのじゃ」
「い、いきなりですか?」
「なんじゃ、文句でもあるのか? 貴様は泰成をその目でみたことあるまい? あやつは美しいを通り越して神々しかったぞ。いや、まさに神じゃ」
なんか推しを語る女子高生みたいなこと言ってる……。
でも、どんな人かわからないけど、泰成さんもビックリしただろうな。
妖怪から求婚されるなんて。
「しかしまさかあやつが陰陽師だったとは知らなんだ。気づけばわらわは動きを封じられ、そのまま箱に封印されてしまったのじゃ」
「そ、それはそれは。強烈な拒絶でしたね」
なんか玉藻さんが可哀想な気もしてきた。
泰成さんも、もうちょっとやんわりと断ればよかったのに。いきなり封印って……。
「だがあやつの子孫が封印を解いてくれた。これも何か縁を感じるの」
ドキリとした。
確かに僕の祖先が施した封印を子孫の僕が解く。
運命めいたものを感じる気がしないでもない。
もしかしたら泰成さんの意志が働いて小箱をここに導いたのかもしれない、なんて。
「陽介、と言ったか。泰成の子孫よ。もう一度問う。わらわの従僕にならぬか?」
玉藻さんは真っすぐな目で僕を見つめていた。
本当に妖怪か? と思えるほどの綺麗な瞳。
ピョコピョコ動く獣耳もふさふさした大きな尻尾も魅力的だ。
けれども、僕は一瞬の迷いもなく答えた。
「嫌です」
「──ぴえッ!?」
日本の全妖怪の頂点に立つ大妖怪・妖狐の玉藻さん。
結局、彼女の方が折れて僕のアパートに住み着き、僕のよきパートナーとなるのはもう少し先の話。
お読みいただきありがとうございました。
こちらは連載予定で書いていた第一話をもとに短編用に編集した作品です。
無事に完結させられる自信がなかったため長らくお蔵入りしておりましたが、せっかくなので世に出したいという思いで短編として出させていただきました。
お付き合いありがとうございましたm(__)m