社会自体の適者生存 ~やさしい方略が有効になる未来はあるか?
――太古の昔、
世界には母系社会と父系社会が混在していたそうです。母系社会というのは、「子供は母親の血を継いでいなければならない」とする社会で、父系社会というのは「子供は父親の血を継いでいなければならない」とする社会の事です。
ですから、もし仮に母親が浮気をしていて、産まれた子供が父親以外の男性の子供であったりしたら、父系社会の場合は大問題になります。その子供はその家を継ぐ資格がない事になってしまうからです。
その為、父系社会においては女性の浮気は絶対に禁止しなくてはなりません。“名誉の殺人”といって、女性が婚前に性交してしまった場合に殺してしまう残忍な風習が残る地域が今もあります。これは理不尽にも強姦されたとしても女性が殺されてしまうケースがあるのですが、先のような父系社会の事情を考えれば理解はできます(理解できるだけで、許容はできませんが)。
さて。
先に述べたように太古の昔は、母系社会と父系社会は混在していたと言われています。しかし、現在はほとんどの母系社会は滅んでしまいました。これについて、その原因は謎だとされています。
なので、これは一つの仮説に過ぎないのですが、それは“生き残り”において、父系社会の方が有利だったからではないでしょうか?
生物の進化は、適者生存の法則に則っていると言われていますが、人間社会についてもそれが起こったのかもしれないと思うのです。
父系社会…… 男性は精子を大量に生産する事が可能です。ですから、女性さえいればいくらでも子供を増やせます。“女性さえいれば”と弱い表現を用いましたが、早い話がこれは「女性を奪ってくれば」という意味です。
ですから、「他の社会に戦争をしかけ、その社会の女性をさらってきて子供を産ませる」というような方略が人口を増やす点において有利になると考えられます。そして、これは父系社会でしか取れない方略でもあります。何故なら、母系社会の場合、さらってきた女性に子供を産ませても、それは相手の社会の子供になってしまうからです。
つまり、もし仮に「女性を奪って子供を産ませる」という方略が太古において有効であったのならば、“適者生存の法則”から、母系社会が滅びていった原因を説明できるのです。
そもそも母系社会は戦争を好まない傾向にあった可能性もあります。「歴史上、女性が武装蜂起した事は一度もない」とまで言っている人がいます。これが事実かどうかは分かりませんが、少なくとも女性達が積極的に戦争を行おうとしない傾向が強い点については事実でしょう。実際、母系社会は農耕社会が多かったとされています。
そして、他の社会の侵略は奴隷制度とも深い関連があります。
当然ながら、侵略に成功したなら、その社会の人間達を奴隷にするだろうからです。ならば、奴隷制を持った社会は“父系社会”である場合が多い事になり、逆に奴隷制があまり観られない社会では“母系社会”が生き残っている可能性が高い事になります。
ほんの一例ではありますが、これはこの日本社会がその証拠になります。
日本は土地が狭く、その為、労働集約型の農業があまり発達しなかったと言われているのですが、それはそのまま奴隷をそれほど必要としなかったという事でもあります。結果として奴隷制があまり取られなかったと言われているのですが、その日本では母系社会が比較的長く生き残ったとされているのです。その痕跡は様々な文化として今も残っています。
夫婦を“めおと”と呼びますが、これは元は女男と書いたとされています。日本文化の特徴とも言える平仮名は女性主導の文化により発達したものです。天照大神は日本神話の最高神ですが、女神であるとされています。
「母系社会は滅んでしまった」と述べましたが、仮に方略としてそれを捉えるのであれば、その表現は正確ではありません。父系社会として発展した社会の中にも母系社会的な方略は残り、そして有効に作用してすらもいるからです。
「子供を大切に育てる」というのは、母系社会的な特性と言えますが、実際にそのような特性を持った社会は今も多く、そして「子供を大切に育てる」機能である学校制度が整備された社会の方が発展しています。
ですから、今のこの社会は“母系社会”を内包しているとも表現できると思うのです。そして何か切っ掛けがあれば、その母系社会的な特性が表面化する……
かつて、父系社会が強かった理由の一つは、資源が充分な量存在せず、それを奪い合う必要があったからなのかもしれません。がしかし、現代は既にそのような時代ではありません。科学が発達をし、技術を充分に活かせさえすれば、資源を増やす事も効率的に活かす事もできるようになりました。
つまり、“他の社会から奪う”必要は必ずしもなくなっているのです。
いえ、“そのような状態を目指すべき”と表現した方が良いでしょう。
となれば、母系社会的な方略が有効になっているはずなのです。
そして、実際、先進諸国を観れば明らかなように、母系社会的な方略は年々強くなっています。男女平等が叫ばれ、そのような社会が発展をしているのですから。
母系社会的な方略を強くするべきという合理性はまだあります。
現在、一発の爆弾で国をまるごと亡ぼせる核兵器のような“超”がつく程の危険な兵器がこの世には存在しています。仮に核戦争が起こりでもしたら、まず間違いなく誰も仕合せにはなりません。
ならば、争いを好む“父系社会的な特性”は抑え、母系社会的な特性を強く伸ばすべきなのではないでしょうか?
さて。
これはやや乱暴な類推ではあるのですが、社会を生物と見做したとするのなら、他の社会を襲い、資源を奪取しようとする父系社会は“動物的”であり、農耕社会が多い母系社会は“植物的”であると考える事も可能かもしれません。
「技術を用いれば、資源を増やす事ができる時代になった」と先に述べました。もちろん、その一つは再生可能エネルギーです。そして、エネルギーを生産できるようになれば、それは当に社会が植物になったと言えるのではないでしょうか?
社会が繋がり合い、一つに近づいていけば、奪う対象はなくなっていきます。
ならば、必然的に我々は植物になる道を選ばざるを得ないのではないでしょうか?
――僕は少なくとも、そう思います。