強欲な男と願いをかなえる少年
男はやさぐれていた。今日もギャンブルで儲けが出なかったのだ。
ギャンブルに人生をかけている男は、たまたまぶつかった少年相手に暴言を吐き、元々大して価値のない人生の価値を、さらに下げる。
「よく見ろクソガキ!」
「……ねえ、願いをかなえてあげようか?」
うっすらと笑みを浮かべたまま、小学生ほどの体つきをした少年が言う。
「どうせ価値のない人生なんだから、思い切って賭けちゃおうよ。か細くて長い人生よりも、太くて短い人生の方が楽しいよ(きっと。多分。恐らく。僕は嫌だけど)」
あははと笑う少年の、賭けに反応した男が、強引に少年の腕をつかむ。
「おい。いい居酒屋知ってんだ。そこで話を詳しく聞かせろ」
有無を言わさない男の圧と、少年を掴んでいる腕に気づき、優しい人が声をかける。
「あの、君、大丈夫かい?」
「ああ、大丈夫です。……優しいんですね」
少年の相手を吸い込むかのような目に、その人は言葉が止まり、男にとっても、少年にとっても邪魔な相手は去って行った。
「いいよ。ボクも、そのほうがいいや。まあ、とりあえずさ、腕、取ってくれないかな。さすがに痛いから」
笑みの形をとった顔のまま、掴まれていない方の腕で男が掴んでいる腕を指さした。
「あはは。まあ、捕まってもいいなら、ボクは構わないんだけど」
少し冷静になった男が手を離すのを見て、少年は歩き始めた。掴まれていた痛々しく真っ赤になっていた。
「おい。どこ行くつもりだあ? 俺を騙そうってんなら殴るぞクソガキ」
「物騒だね。まあまあ。まあ、騙されやすそうだから警戒するに越したことはないんしゃない? 賭け事にしか頭にないんだし(僕の言葉も、都合のいいことしか聞こえてないんだし。純粋すぎるし)」
裏に込められた意味など考えようとせず、男は顔を真っ赤にする。
「ああ? 俺は騙されねえ! ……おい。金持ってるか?」
「いいよ」
妙に合わない言葉を返し、少年は男に札束を渡した。
「おお、持ってんじゃねーか。……ここだ。ここに入れ。んで、賭けについて詳しく教えろ」
「あはは」
なにがおかしいのか、少年はさっきから笑いっぱなしだ。
オレンジ色に染まっている店内で、二人は向かい合って座った。
「じゃあ、説明してあげる。まず、ボクみたいな取引する人が居て、取引を持ち掛けられる。で、取引する人に願いをかなえてもらうの。心の中にある、小さいことから大きいことまで、ランダムに一つ。取引を持ち掛けられた人の人生の価値と、どれだけ払うかによって、願いをかなえられる回数が決まる。だから、自分の所持金で、どれだけの願いが叶えられるかっていう一人でする賭け。取引する人でも、その人生の価値と、どんな願いが叶えられるかは未知数。やる?」
「ああ? 必ず何かしらの願いはかなうんだよな? やるに決まってんだろ」
「あはは。分かった。ああ、ボクは、願いが叶えられた後に何の願いが叶ったか分かるんだ。叶える願いを決めることは出来ないけどね」
「とっとと始めろ。まどろっこしいのは嫌いなんだよ」
やっぱり薄く笑ったまま、少年は言った。
「じゃあね。人生をどのくらい賭ける?」
「ああ? 全部だ全部!」
「うん。……10回ね。行くよ。一回目」
特に何も起こったように思えず、男は少年に詰め寄った。
「ああ? 何も起こらねえじゃねえか。どうなってんだ」
「奇跡は起こってる。だってほら、さっき掴まれた腕から赤みがひいてる」
そういって白い肌を見せて、男は顔を赤くした。
「人生賭けてんだぞ、こっちは。こんなもんなわけがないだろうが。ふざけんなっ!」
「それが賭けでしょ」
笑いながら言う少年に、冷や水を浴びせられたように、立ち上がっていた男は座り直した。
「あと九回。……二回目」
男の目の前にコップと水が現れた。
「おい。大きい願いはかなわねーじゃねえか!」
「あはは。短気だなあ。まだまだこれからだよ」
男は、苛立ったように、それでも水を飲んだ。
「早くしろ」
「あはは。あと八回……三回目」
男の目の前にたくさんのお札が現れた。
フンと鼻を鳴らし、男は大量のお金を薄い洋服にしまい込んだ。
「あと七回。……四回目」
男の心臓が、バクバクと音を立てた。
「……あ? ……!」
「あはは。良かったね」
「ちげえよ! こういうことじゃねえよ!」
「ボクに言われても。あと六回。……五回目」
男の目の前に、一つの家族写真が現れた。
女が赤子を抱き、男が女の肩を抱いている。
「…………」
驚いて目を見開いた男を、やはり変わらず笑みを浮かべて見つめる少年。
「次、いっていいかな? あと五回。……はい」
少年は一つの手紙を置いた。
パパへ。
こんどあったら、たくさんあそぼうね。
それだけであり、子供の字で、大きかったり小さかったり、読みやすくはない文字。
それに、男は顔を歪めた。
「とっととしろ」
「……六回目」
「あ? 七回目だろ」
男の目の前に一つの指輪があらわあれた。
「…………由美?」
「あはは。お目当てはこれじゃないね。残念残念」
笑いつつ、続けた。
「あと四回。……七回目」
男の目の前におもちゃの銃が現れた。
「ああ? なんだこれは。ふざけてんのか?」
「ボクは、いつ、今の願いをかなえるっていったかな? 数年前、願ったでしょ」
「……次!」
「あはは。あと三回。……八回目」
男の目の前にお酒が現れた。
「……なあ。願いが選ばれる規則性は?」
「ランダ――」
「んなわけねえだろ!」
ピタリと、少年の言葉が止まった。
「だんだん、叶う願いが大きくなってんだよ! そんなことに気づかない阿保じゃねえんだよ!」
夜の居酒屋に男の声が響く。
「どうなんだ、ああ?」
「……いいよ」
今までとは違う、儚さを纏った笑みを張り付け、少年が言った。
「教えてあげる。あと二回。……九回目」
め、と少年が言った瞬間、世界の法則が全て動きを止めた。
「そうだな。まず、取引する人が、どんな人を取引相手にするか、からかな」
それは――と、間をおいて、笑った。
「救いようがないけれど、人間と言えるほど心が汚れていて、心が綺麗な人。だから、ボクに話しかけてきたあの人は駄目。優しいし、半端に勇気がある人」
それから、と話を続ける。
「願いはね、ボクでも決めることが出来ないのは本当。でも、願いをかなえる前に結果を知ることはできる」
「なんで言わなかったんだ!」
「それが、ルールだから。願われない限りは教えてならない。それがルールだから!」
ふう、と一回深呼吸して、少年は続けた。
「いい? ルールである以上、世界の法則に逆らう以上、従うしかないんだよ。でね、願いは、必ず徐々に心の底から、全てを投げ出してでも叶えたい願いを、叶える。人生のすべてを払った人にだけ、心の底から望んだ願いを叶えるんだ。前回は、やり直しを望んだよね」
「……前回?」
「何回目か分かる? 分かんないよね。だって、それがルールだもんね。君は、十回目の願いに、毎回、ボクと出会うところへ時間をさかのぼることを望むんだ。なんでか分かる?」
「知らねえよ」
「あはは。……次は、もしかしたら、愛している人を生き返らせることができるかもしれない。自分が飲酒運転したせいで殺してしまった妻を、もしかしたら生き返らせることができるかもしれない!」
「それ以上」
「やだよ。子供は妻の両親に引き取られてしまった。写真の一つも残せていない。欲しがっていた銃のおもちゃもあげられていない。妻の形見もない。血まみれでもいいから、自分が死んだとき、もう一度渡せる、あの結婚指輪が欲しい。お金が足りず売ってしまった一軒家を買い戻せるお金が欲しい。ああ、現実逃避に酒とギャンブルなんてやめればよかった。いっそ、妻が死んだときに戻ってやり直したい。あの時の心臓はすごくバクバクしていた。でも、酒が飲みたい。ギャンブルがしたい。ああ、また八つ当たりで人に痛い思いをさせてしまった。早く痛みが引いてくれ。……そして、真相を知ったら、ボクに願う前にやり直して、まっとうな人生を歩んで、妻に、最愛の人に、顔向けができるようにしたい。だって、もうすでに手遅れだ。人生を、全て賭けてしまった!」
「ああ……あああああああああ!」
「だからせめて、繰り返そう。そうすれば、希望がまだある。もしかしたら、途中で気付いて、やり直せるかもしれない。妻が死んだときに戻るには、残りの人生の価値が低すぎた。もうあの地獄は見たくない。だからせめて、死んだときに胸を張れるように生きる、生きれるように、気づくことができるかもしれない」
「……ああ。あああああ」
しばらくたって、生気の失せた顔で、男は言った。
「なんで、一回、カウントしなかった」
「僕の、優しささ。これでも血の通った人間だから」
「そうか」
顔を歪めて、涙をこらえて、男は言った。
「…………なあ。次」
その一言で、世界は今まで通りに進み始めた。神に見つからないように、時をさかのぼっていることをバレないように止まっていた世界が、何も気づかず回り始める。
「あと、一回。……十回目」
少年が笑った。
世界が移り変わる。すべてがなかったことになる。たった一人の、何万回にも及ぶ願いを叶えるために。
男はやさぐれていた。今日もギャンブルで儲けが出なかったのだ。
ギャンブルに人生をかけている男は、たまたまぶつかった少年相手に暴言を吐き、元々大して価値のない人生の価値を、さらに下げる。
「よく見ろクソガキ!」
「……ねえ、願いをかなえてあげようか?」
うすら笑いを浮かべた少年は、また、男に問うた。
これは、ただ妻を想う強欲な男と、願いを叶える少年のお話。