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公式企画

行くあて知れずの贈り花

作者: にがうり

「ほな、これ。よろしゅう頼んます」

「いつもご苦労様です。はい、確かに」

 男から受け取ったものを大切に抱え、千恵は深々とお辞儀した。日に焼けた男はぐいっと鼻を擦って笑うと、剥き出しの逞しい足をくるりと返し走って行く。ちりんちりんと、担いだ棒についた鈴の音が小さくなっていく。これからまた東海道を西へ向かうのだろう。


 (ふみ)を送るといえば飛脚、または目的地の方面へ向かう商人などに頼むというこの時代、宿場ごとに置かれた飛脚から飛脚へ、はたまた商人から商人へと人づてに託すことがほとんどで、その分金もかかり最後まで辿り着かない文も多くあった。

 宛て名も某村(なにがしむら)の誰それといった塩梅で正確な住所はなく、結果送り主に戻されることもざらであった。

 戻されるのであればまだ良い。中にはなんらかの事情で送り主にも戻らなかった文も一定数あった。

 そんな()くあてを失った文が集まる場所、それが、千恵の父が神主を務めるこの神社であった。


 麻紐で括られた文は全部で七通。一つひとつに込められた想いが届かずにこんな所にきてしまうなんて。千恵は受け取る度に、ため息を吐かずにはいられなかった。

 なにせこの神社は、行くあて知れずとなった文のお焚き上げをしているのだから。


「おとっつぁん、今回は七通やったよ」

「ほうか。そんなら始めっか」

 装束を纏った父は、境内に既に焚かれた炎に向かって大麻(おおぬさ)を振り祝詞を唱え始める。朗々とした声でお祓いをすると、文の置かれた三方(さんぼう)を両手で掲げ、一通ずつ炎の中へ投げ入れていった。

 文はあっという間に灰になり、煙となって空高く舞い上がっていく。秋の抜けるような青空に一筋の線が立ち昇る。どうかこの煙が、想いが、届けるはずであった人達の元に届きますように。千恵が願ったその時だった。


 パチパチ、バチンッ、ドォーーンッ!!


 突然大きな音がして、炎の一角ががらがらと崩れ落ちた。と同時に何かが炎から飛び出し父に迫る。千恵は咄嗟に父にかけ寄り、がばりと覆いかぶさった。

「なんてぇことするんだ!」

 若い男の声。父ではない。

 間近から聞こえてきたそれに顔を上げると、少し煤けてしまった文――父が最後に投げ入れたものだ――が落ちていた。そして驚いたことに、

「えっ?」

「な、なんじゃあ、お前さん!?」

 そこには、地面に落ちた文を守るように覆いかぶさる男がいた。しかもこの男、全体的に薄ぼんやりとしていて、よく見ると向こう側が透けているではないか。

「まさか……幽霊?」

 男は文の無事を確かめると、心底安堵したようで長々と息を吐いた。そしてようやく千恵と父に向き直ると、

「申し遅れました。亀之助と言います」

 ぺこりと頭を下げたのだった。


 * * *


「とにかく、おさよに会いてぇんです」

 その後、ひとまず害はないようなので社務所にて話を聞いたところ、


 男の名は亀之助。

 亀之助は父が最後に投げ入れた文の受取人である。

 文の差出人はおさよという女。


 ということだった。


「おさよとは昔馴染みで、おれの家が貧乏で十年以上前に夜逃げしちまって。そっからは一度も会ってねぇんです」

 座敷に置かれたおさよの文の前にきっちりと正座し、亀之助が身の上を語る。時おり体の色が濃くなったり、反対に薄ぼんやりするのは、亀之助の感情によるものなのだろうか。

 幽霊。生きている中でそうそう目にするものではない。千恵はおっかなびっくり窺いつつも、意を決して尋ねた。

「亀之助さんは、その、幽霊、なんですよね?」

「多分、違います」

「え?」

「おれ、まだ生きてます」

 亀之助は答えると、千恵ではないもっと遠くを見つめ、やがて自嘲気味に笑った。

「といっても、本体は今ごろ寝こけてると思いますが」

 それはどういう意味だろう。千恵が思考を巡らせていると、今まで黙っていた父が顎に添えていた手を離し、亀之助を真正面から見据えて言った。

「するってぇと、お前さんはつまり、生き霊ってことかい?」

「ということになります」

「……」

 空いた口が塞がらない、とはこのことか。父も聞いてはみたものの半信半疑だったらしく、はっきりと肯定され呆然としている。

 境内の木に止まった烏が気の抜けた声で鳴いている。それが三回目を数えたところで、亀之助は居心地が悪そうに目線を彷徨わせた。やがてそれが文に辿り着くと、ぽつぽつと話し始めた。

「夜逃げしてしばらくは草鞋を繕って凌いでました。でもそんなんじゃちっとも暮らしは良くならなくて。これじゃいけねぇってことで奉公に出ることになったんです。ただ、ずっと気にかかってたのが故郷のおさよのことで。あいつに何も言わずに出てきちまったもんだから」

「二人は仲が良かったのですね」

「はい。ちっせえころから何するにも一緒にいて、きょうだいみたいに育ちました」

 膝の上に置かれた節くれだった大きな手。奉公しているという言葉通り、よく見ると細かな傷や胼胝(たこ)が残るそれに力がこもる。

「だからおれ、思い切っておさよに文を出したんです。そしたら返事がきて。嬉しくてすぐにまた返事を書いて。奉公先のこととか、故郷のこととかを伝えるうちに何度もやり取りするようになって」

 身振り手振りを交えて話すうちに、ぼんやりとした輪郭が少しずつはっきりとしてくる。厳しい仕事に耐える中で、おさよとの文通はよほど亀之助の心の支えとなっていたのだろう。

「それで、そろそろ次の文が届くころかと待ってたら、何日経っても来なくて」

「あぁ、そういえば半月前の大雨で道が崩れちまったって聞いたな」

 それは千恵も飛脚から聞いていた。崩れた規模が大きく復旧に時間がかかり、大層難儀したという。

 亀之助は勢いよく顔を上げた。

「そうだったんですか! おれはおさよの身に何かあったのかと心配で心配で」

 良かった、本当に良かったと天を仰いで安堵する。その姿を見て父がぱんと膝を打った。

「もしかして、生き霊になった原因ってぇのは」

「はい。おさよを心配するあまり、ある日突然ぽこんと」

 いわゆる魂というものが抜け出てしまった、ということらしい。

「元に戻ろうにもどうすればいいかわからねぇし、そしたら飛脚の鈴が聞こえて、おさよの書いた字が見えて」

「もしかして」

「はい。気がついたらここに」

「文について来ちまったってことか」

 亀之助が頷く。しゅんと大きな体を縮こませ、輪郭がゆらりと頼りなく揺れた。

 父はこれ以上傷つけないよう慎重に文を拾い上げた。表面(おもて)に丁寧な字で「かめのすけさまへ」とある。隣に小さく書かれているのは、亀之助が働いている奉公先の名前だろうか。

「差出人の名前はねぇし、お前さんも受け取れる状態じゃなかった。それでうちに来ちまったのかもな」


 さて、いきさつはわかったが、一体どうすればいいのだろうか。

 亀之助によれば、元の体は恐らく奉公先にあり、抜け出た状態で転がっているのではないか、とのことだった。また、おさよに対する強い想いからか文からは離れられず、自由に動けないらしい。

「そういえば、中はもう読んだのですか?」

 すまなそうに俯く亀之助が不憫で、千恵は空気を変えるべく明るく尋ねた。

「いいえ、どうも自分じゃさわれねぇみてぇで中身までは」

 離れられず、触れることもできない。なんとも難儀なことだと父が呟く。

「もし私でよければ、読んでみても?」

 千恵がそう言うと、亀之助は一瞬ぽかんと呆けた顔をすると、すぐにぱっと顔を輝かせた。

「ぜひ、お願いします!」

 がばりと頭を下げた亀之助を慌てて制し、千恵は丁寧に封を開け中身を取り出した。宛て名と同じ、細く美しい文字が並んでいる。毎日の奉公の労い、故郷は夏から秋へと移りつつあり、鈴虫の鳴く声が聞こえ始めたこと、近くに団子屋ができ大層評判であること、いつか亀之助と一緒に行きたいこと、そして最後には、亀之助が無事であるようにと祈りの言葉で締められていた。

「おさよさんは今もまだ故郷にいらっしゃるんですね」

「はい。親父さんとお袋さんと、妹、弟の五人で暮らしています」

 目にじわりと涙を浮かべ、鼻を啜りながら亀之助が答える。千恵はひとつ頷くと、両手をぱんっと叩いて言った。

「なら、おさよさんのところに行ってみませんか?」

「えっ」

 驚く亀之助をよそに千恵は続ける。

「元に戻れないのなら、直接会ってみるしかありませんよ」

「そうだなぁ。お前さん、生き霊になってもう何日か経つんだろ? 確かに魂と体がずっと離れたままなのはよくねぇ気がするな」

「文は私がお持ちしますから」

 父の後押しに我が意を得たりと千恵が微笑んだ。手の中の文を見つめる。おさよの亀之助を案じる想い。この文は、一時はこの神社に迷い込んでしまったが、形はどうあれこうして本人に届けられた。ならば、今度はその想いを返すべきだ。

「行くあて知れずの文なんて、本当はあってはいけないんです」

 その言葉が決め手になったか、亀之助はとうとう頬を濡らすと、今度こそ深々と(こうべ)を垂れたのだった。



 * * *



 亀之助の故郷は千恵の神社よりも西にあり、歩いて一週間ほどのところであった。

 あぜ道を進み、山を越え、麓に近くなるにつれ田んぼが増えてくる。稲刈り前の穂が太陽を反射し、風に乗ってきらきらと輝いていた。

 さらに進んだところで、大きな川に行き当たった。襷掛けの女たちが洗濯をしている。おなごが集まればおしゃべりに花が咲くとはよく言ったものだが、例に漏れず彼女らはてきぱきと手を動かしながらも、絶えず笑顔で、楽しそうな声がこちらまで届いていた。

 千恵は隣に立つ亀之助を見上げた。亀之助は彼女らの中で一番若い――千恵とそう変わらないだろうか――艶やかな髪を結い上げ微笑みながら、手ぬぐいを絞っている女を見つめていた。

「あの方ですか?」

「はい。あの頃からちっとも変わってねぇ。おさよに間違いねぇです」

 十年以上ぶりとなる再会。思わず声を震わせた亀之助の背中を摩る。千恵の手は突き抜け、大きなそれに触れることはできなかったが、亀之助は千恵に振り向くと、しっかりと頷いた。

 果たしておさよに亀之助の姿が見えるだろうか。

 千恵は不安を吹き飛ばすように一歩一歩踏みしめ川辺へと近づく。草鞋の音に気づいた女たちの声がぴたりと止んだ。千恵は立ち止まり菅笠(すげがさ)を外すと、深々とお辞儀した。

「どちらさん?」

 一番恰幅のいい女が問いかける。千恵は名前と神社の娘であることを伝えると、訝しげに見つめる女たちの中、おさよの前まで歩み出た。

「おさよさん、お渡ししたいものがあります」

 そう言って荷の中に大切に仕舞っていた文を差し出す。煤で汚れてはいるが、おさよはひと目で自分の出した文だと悟ったようで、唖然として千恵を見上げた。

「どうしてこれを」

 その時、おさよの目が大きく見開かれた。千恵の少し斜め上、ある一点に釘付けになっている。

「亀之助、さま?」

 呼ばれた亀之助が一歩前に出る。二人を隔てるものは何もない。口を抑えたおさよの目からぽろぽろと涙が溢れ出た。おさよ、亀之助の震える声。それが耳に届いた瞬間、すうっとその姿がかき消えた。

「えっ?」

 誰もが声を失った。腰が抜けた者、呆然とする者、隣同士の着物を握りしめ震える者。とうとうおさよがその場に崩れ落ちた。千恵が慌てて駆け寄る。

「亀之助さまは、無事なのですよね」

「はい。恐らく元の場所に」

「戻ったのですね」

「ええ。でも」

 あのたった数秒の邂逅で、どうしてそこまでわかるのだろう。千恵は事情を知っているから推測できただけだ。

 だって、とおさよが涙に濡れた顔を上げる。その表情は泣き笑いではあったが、花が綻ぶように可憐で、美しかった。

「会いに行くからって、言ってくださいましたから」



 * * *



「よろしく頼んます」

「はい、確かに」

 今日も千恵の神社には行くあて知れずの文が届く。麻紐で括られたそれは、やはり千恵の心を重くする。

 しかし最近はもう一つ、とある文が届くようになった。

「おとっつあん、今日も来たよ!」

 千恵が高く手を振り上げる。そこには、亀之助、さよと連名で書かれた文が、しっかりと握りしめられていた。

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