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始業時間十分前。中年の痩せた女が「はじめます」と声を出した。詰め所の中の空気が変わり、朝の挨拶やお喋りをしていた口を閉じた。
「まず、新人の紹介から、クララさん、はじめまして」
「はい!はじめまして!クララです!」
「元気なお嬢さんですね、私はハイラ、一階・二階のリーダーです。よろしく。今日はライトミィさんと一緒に組んでもらいます」
「はい!よろしくお願いします!」
「皆さんもこれからクララさんと一緒になった時はお仕事を教えてあげてくださいね」
女たちから、はい!と声が上がる。ハイラは一瞬笑顔を見せてから手にした紙を読み上げる。クララにはまだ言ってる内容が分からずライトミィを困ったように見たがライトミィはクララの方を見ずにハイラの言葉を聞いていた。
「……では、以上で朝礼を終わります。皆さん、今日もよろしくお願いします」
女たちはまたも、はい!と声を上げたが今度の声は勢いがいい、クララは完全に出遅れて周りを見ていた。
掃除用具を持って女たちがぞろぞろと詰め所から出ていくと、クララとライトミィが最後に残る。
「で、仕事なんだけど……あ、朝礼は毎日あんな感じだから。話の内容も段々わかるようになるわよ」
「そうなんですか」
よかったー、とクララがほっとすればライトミィは掲示板を指さし、メモの用意!と促す。
「この掲示板に今週の掃除場所が書いてあるわ。今日と明日は私たちは外廊下の掃除。こっちの紙には各掃除場所に持っていっていい掃除用具の種類」
「モップ二本とバケツ一つと箒二本、ちりとり一つ」
「掃除用具の数は限られてるから、間違わないように」
はい、はい、と頷きながらクララは『朝来たら掲示板』『掃除用具の数は正しく』とメモを取る。
「二階にも掃除用具置き場があるから、二階担当の時は手ぶらで二階まで行って、そっちで用意するのよ」
はい、はい、とクララはメモを取る。今は走り書きでも、寮に帰ったらちゃんと書こうと思いながら。
ライトミィは残ってる掃除用具を手に取って「さあ、行くわよ!」と気合入れのような声を出した。
「外廊下は長いけど、本当に簡単。掃いて、掃いて、掃くだけ。そしたら次はモップがけ。ゆっくり外を見ながら廊下が何処に繋がってるか憶えながらやりましょ」
じゃ、ここからね、と広く長い廊下の掃き掃除が始まった。スタート地点は昨日正面入り口から入った祈りの場のすぐ外らしい。
「祈りの場は別の担当区画になってて、夜明け前に来て掃除して、お昼に掃除して、夕方閉めた後に掃除する特殊な場所よ。途中の休憩が長いけど、一日中拘束されるの」
「そうなんですか」
「ここの廊下は私たち雑用係と精霊士が使うわ。間違って一般の人が入ってきたらやんわり追い返して。やんわりよ」
「まだ精霊士の方々と一般の方の区別が付きません」
「精霊士は精霊殿内ではローブ着用だからそこを頼りになんとかやっていきましょう。挨拶すれば返してくれる人ばかりだからちょっとずつ知り合いを増やせばいいわ。仕事は違くても、同じ職場なんだから」
はい!と返事をしながら掃き掃除は休まない。
掃いて、集めて、捨てて、でもそんなにゴミらしいものは無い。この廊下は掃き掃除の必要はあるのだろうか?、クララがそう思いながらも仕事をしているとこの日何度目かの廊下の分岐が出てきた。
分かれた廊下の先は外である。敷地内ではあるが、屋根のついた渡り廊下になったその先は石畳の広場。庭の一部だが周りには何も植わっておらず妖精パンダが数体踊っている。踊るのが好きな妖精のようだ。
「ミィさん、あの広場はなんですか?パンダの為のステージですか?」
ゴミ袋を少し揺すって整頓していたライトミィは「そんなわけないでしょ」と返す。空を見上げたライトミィの視線をクララも追いかけると翼を持った影が降りてきた。
「丁度使うところね。そこのパンダたちー!上から人が来るわよー!」
ライトミィがパンダに注意を促すとパンダたちは「きゃー」と楽しそうに散会する。
石畳の廊下の先、広場に両腕が翼の人が降りて来る。有翼人かと思っていたら足が石畳に着いた途端に両腕の翼がクララのものと同じ人の腕に変わっていった。
空から降りてきたその人は屋根のついた渡り廊下まで来ると背負っていた鞄を下ろし、中からローブを取り出して羽織る。女の精霊士だ。
「ここは、空から精霊殿に来る人たちの発着場。馬車なんかのサイズは降りれないけど、魔法魔術自力で空を飛べる人は此処に降りるの」
ライトミィの説明に「そうなのか」と思いながらもクララは疑問を口にした。
「あの方、腕が翼から人の手に変わりましたけど……」
「あの人は変身魔術ってのが使えるらしいわ。有翼人にも人魚にもなれるんですって」
「なんで背中に翼を生やさないで腕なんでしょう?」
「直接聞いたら?ソフィア、おはようございます」
翼の人はソフィアというらしい。クララもおはようございます、と挨拶をした。
「おはようございます、ミィ。そちらは新人さんね。昨日アンジェリカが迎えに行った子でしょう」
「はい!アンジェリカさんにはお世話になりました、クララと言います!質問よろしいでしょうか!」
元気なクララに少し気圧されつつ、ソフィアはどうぞ、と促す。
「何故、背中ではなく腕を翼になさるのでしょうか?」
その質問にソフィアは一つ頷くと口を開く。
「背中を変身させる時は背中の空いた服を着ないと服が翼で破れてしまうからです。後は肩甲骨の変身より腕を変身させる方が安定感がいいからですね」
「なるほど!勉強になりました。ありがとうございます!」
ソフィアの真摯な回答にクララは「この人はいい人だ」と思った。都会に来てからいい人にしか出会ってない。なんて素敵なことなのだろう!
新人の質問はソフィアもよく聞かれることなので回答は心に用意してある。初対面で質問が飛んでくるとは思わなかったが、昨日アンジェリカから「新人はなんか元気があるような無いような、多分元気な人でした」と聞いていたので気にならなかった。
そのまま出勤中のソフィアとは分かれ、クララとライトミィは掃除を再開する。
掃いて、掃いて、掃くだけなのでクララの頭の中には少しずつ精霊殿一階の地図が廊下分だけ出来上がりつつあった。