3
クララの朝の目覚めは比較的良い方だ。昨日は地元から都会へ出てきて疲労してるかと思いきや、意外とパッチリ起きれた。
部屋に備え付けられた洗面台で朝の支度をしてから昨晩受け取った雑用係の制服に袖を通す。
紺色に白いラインが入った幅広のパンツスタイルの制服を着て、髪を三つ編みにしたクララは寮の一階に降りた。
「おはようございます!」
おはよう、昨日は寝れた?、早いね、と同じ寮の女たちが声をかけてくれる。もう大食堂は開いているが、二番寮の管理人ミチルは料理が上手いということでこの寮は朝に大食堂には行かず軽食を取る者が多い。夜の内に翌朝の食事の用意を頼むリストに名前を書いておけば朝食は用意される。
「おはよう、クララちゃん、今朝は米のお粥作ったけど、それでいいかしら?パンもあるわよ」
「お米のお粥!初めて食べます!お願いします」
クララの住んでた地域は朝昼晩とパンを食べていた。流石都会は違う。食文化から違うのか、とクララが感動に打ち震えていると、席に迷ってるのかと勘違いした女たちが「ここ座りなよ」と椅子を引いてくれた。
食べた米粥は美味かった。ほんわりと味が付いていていくらでも食べれる。アクセントに入ってた揚げた何か(揚げパン)もパリパリしてる。香りも良くて気付いたら食べ終わっていた。これは明日の朝食も頼まなければ!クララ新たな決意である。
「昨日来た…えーと、クララ?」
「はい!クララです」
「私も一階・二階の清掃だから連れてってあげる。集合場所わからないでしょ?」
本来ならクララはミチルに仕事場まで連れて行ってもらう予定だったのだが、よいのだろうか?その気持ちそのままにクララが言葉にすれば目の前の女(同じ寮とは言え、昨日の今日で全員の名前は憶えられない)は台所にいるミチルに向かって大声を出した。
「ミチルさーん!新人連れてっていいー?」
「いいわよー」
ミチル即答である。
「あの、あの、ありがとうございます…それで…あの…お名前は…?」
「ライトミィよ、みんな『ミィ』って呼んでるわ」
「ミィさんですね!クララです」
「知ってるっての。じゃあ着替えは済んでるみたいだから二十分後に寮の玄関の外!お金はお昼代に二〇〇パルだけ持って、あとは金庫に入れて鍵かけておきなさい。持ち物は財布とハンカチとペンとメモ帳、持ってる?」
「持ってます!」
「なら二十分後ね、……時計は?」
「持ってます!」
ライトミィはよし!と言うと自分の部屋へ戻って行った。クララも部屋へ戻り、言われた通りに財布の中身を抜いて金庫に入れて鍵をかける。金庫は部屋の隅に壁に接して置いてあり、動かそうとしても動かない。壁と床に魔法でくっつけられているのだと昨晩クララは聞いた。
食事をしたので歯を磨いて髪をもう一度結い直した。持ち物を揃えて時計を見ていれば時間になったので部屋から出てミチルに挨拶をして玄関を出る…前にライトミィと出くわした。同じ時間に同じ寮内から出ようとすれば当たり前である。
クララとしてはライトミィと並んで歩きたかったが、昨日一度通っただけの道を遡るのは少し戸惑いがあり、ライトミィに道案内されるかのように再び精霊殿へと足を踏み入れた。
「新人は基本的に一階・二階の掃除から。三階より上は精霊士の仕事場が多いから憶える事も増えるわ。何か用があっても新人には回さないわ」
ライトミィは壁の模様を指さす。
「迷ったら壁の」
「ぶどう色ですね」
「うん、そう、綺麗な紫色の模様がある場所まで来れば私たち雑用の仕事場が近いから、誰か探して道を聞きなさいな」
一階詰め所に行くわよ、とライトミィは言って歩き始める。クララは道を憶える為に周りをきょろきょろと見回しながら後を歩く。大丈夫、物覚えは良い方でしょう、そう自分を励ましながら。
詰め所には雑用係たちの荷物置き場と掃除用具、部屋の真ん中に大きめの机と壁には紙が貼られた掲示板という簡素なものだった。
ライトミィは奥にある荷物置き場で鞄の中から制服の一部であるウエストポーチを取り出して腰に着けている。クララはウエストポーチにライトミィに言われた必要なものを入れてきたので特に置く荷物は無い。
「貴重品は常に肌身離さないようにね、泥棒なんて此処には来ないと思うけど、万が一もあるから」
「ミィさん、ミィさん」
「なぁに?」
「これはなんですか?」
クララが初めて見た!と指さした先には白黒のフカフカしたパンのような、なんというか雑に作ったぬいぐるみのようなものが居た。
「おはようなのよ」
白黒ぬいぐるみもどきは喋った!
「喋りますよミィさん!」
「喋るわよ、妖精なんだから」
「これが!妖精!?」
クララが居た集落から一番近い精霊殿に時々やって来る妖精は美しい鳥のような姿をしていた。こんな丸と丸と丸をくっ付けて綿を詰めたような妙な姿ではない。
「妖精よ、妖精のパンダよ」
「パンダは動物ですよ!?」
クララは過去に読んだことのある動物図鑑を思い出し、パンダなる動物を脳に呼び出す。確か熊の一種の見た目は愛らしい珍しい動物だった筈だ。
「あー、パンダ、自己紹介なさいな」
ライトミィに言われて一.五頭身の猫と同じくらいの大きさをした妖精はぴょこぴょこ動く。
「勇気の妖精!パンダリオンなのよ!仲間はたくさんいて、この谷の都にすんでるの!でも気づくと世界中にいたりいなかったりするわ!」
小さな体から大きな声を出すと、次はお前の番だ、と言いたげに腕をチョイチョイ動かした。
「う…、あの、メイの集落から来ました、クララです。この前まで羊飼いでした…」
「羊さん?あなた羊さん飼ってたの?」
「ブラッドシープっていう、ちょっと変わった羊だけど…」
「ふーん。クララ、クララね。みんなにも伝えておくわ」
「みんなって誰?」
「パンダのみんなよ」
「なんで本物のパンダの姿じゃないの?」
「パンダ会議でこの姿が一番かわいいって決まったのよ」
パンダは後ろを向いてクララに尻尾を見せつけてきた。その色は黒。パンダの尻尾は本来白い筈だ。
「パンダたちはアニマルのパンダを見たときにあまりのかわいさに感動してパンダになったの。でもしっぽは黒よ。その方がかわいいでしょ?」
「パンダになる前は何だったの?」
「かわいくない感じだったわ」
話しながら踊り始めた妖精パンダにクララは何だかよく分からないな、と思い始めた。メイの集落から一番近い精霊殿の鳥のような妖精とは話をする機会が無かったが、美しい姿の中身はどんなものか。
「そろそろいいかしら」
ライトミィが声をかけてくれてクララは正直助かったと思った。
「なんでパンダは詰め所に居るのかしら?」
「パンダ、昨日そのへんで寝てたら誰かがおなかにハンカチをかけてくれたの。他のパンダにも聞いたら一階掃除のネイローがかけてくれたって!ハンカチ返しにきたの」
なるほどなるほど、ライトミィはそう呟いてパンダのおでこを指でくすぐった。
「もうすぐネイローも来ると思うから待ってて」
詰め所に次々と入ってくる女たち。
ライトミィに聞けば、一階・二階の掃除はそこまで力仕事が要らないので女性だけになることが多いそうだ。男の新人は何処に?と聞けば、偶に居る、偶にしか居ないからいきなり力仕事で大食堂への搬入作業に回されたりする、という答えが返ってきた。
その内に一人、鳥の翼を背中に持つ有翼人の女が入ってきた。彼女がネイローだとライトミィが小声で教えてくれる。
「ネイロー!パンダなのよ!」
「あらパンダ、おはようございます」
「おはようなのよ。これ、ハンカチをかけてくれてありがとう。おなか冷やさなくてすんだのよ」
「わざわざ返しにきてくれたのね、ありがとう」
そうしてネイローにハンカチを返したパンダはバイバーイと騒がしく詰め所を出て行った。
パンダはあのパンダだけではなく沢山居る。世界中に居たりいなかったり。クララはパンダの言葉は真実なんだろう、だって妖精だし。そう考えながらパンダを見送ったのだった。