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「さあ、次は精霊殿から出てアナタの暮らす寮へ行くわよ。入ってきた場所が正面、正面の反対側が寮に一番近い裏口よ。壁の模様はぶどう色の範囲ね」
「はい!」
「正面口以外の出入り口は多いけど、使う場所から覚えていけばいいわ」
前を行くアンジェリカに付いてクララはきょろきょろと辺りを見回しながら歩く。
谷底の精霊殿は広く、裏口はまだかまだかとクララが思い始めた頃にようやく外へ出ることが出来た。
「……精霊殿……大きくないですか?」
「様々な精霊と交信する部屋がいくつもあるから大きくもなるわ。一人前になれば個人の部屋も貰えるしね。仕事も精霊士も多いし、それを支えるアナタたちも人数は多いのよ」
精霊士を支える仕事、とアンジェリカに面と向かって言われ、クララは谷の都に来てから上がったら下がったり忙しい気持ちが再び上がっていくようだった。
「さあ、ここから寮まではすぐよ」
精霊殿から二番寮までは本当にすぐだった。なんならワトゥールの部屋から裏口へ歩いた方が長かった気がする。何より崖の上への上下移動が無いのが良いとクララは思った。
「こちら、クララ・メイ。明日からなんでもいいので働かせてください」
「あらまぁ、なんでもいいの?」
二番寮の管理人の女性、ミチルとアンジェリカの会話がなにかおかしい気がしたクララだが、今のクララには自己紹介以上の事は何もできず、二人をただ見ていた。
「以上、新人の引き渡しは終わりです。寮のルールや仕事の研修をお願いします」
「はい、お疲れ様でした」
くるり、と振り返ってクララを見たアンジェリカは「頑張りなさいよ」と尊大に言って二番寮を出て行った。クララは慌てて追いかけて「ありがとうございました!」と大声で叫ぶと、アンジェリカは人差し指を口に当てるジェスチャーをする。「静かに!」の意味だ。
静かに手を振ったクララはアンジェリカが振り返らないのを見てから二番寮の中に戻った。ミチルが笑顔でこちらを見ている。
「すいません、突然飛び出して」
「いいのよぉ、挨拶したかったんでしょ?」
「改めまして、メイの集落から来ましたクララです。ここに来る前は羊飼いをしてました」
「はーい、二番寮の管理人のミチルです。この時間はみんな仕事に出てるから夕方にはみんなと会えるわよ。この寮はみんないい子たちだから安心してね」
ニコニコと愛想の良いミチルにほっとした気持ちになっていると、まずは部屋へ案内された。
寮は二階建てで全て一人部屋である。細長く狭い部屋だが、家具が備え付けてあってクララは目を輝かせた。
「この部屋、私が使っていいんですか!」
「あなたのお部屋よ、でも壁紙を変えたり、家具を入れ替える時は相談してちょうだいね。寮生活でやったらいけない事はこのファイルにまとめてあるから読んでおいてね」
小さめだが鏡も付いてるドレッサーにファイルを置いたミチルは部屋の説明を簡単に済ませ、「次はシャワールームの説明よ」と部屋を出ようとして、「あらやだ!」と声を上げた。
「クララちゃんに部屋の鍵を渡してなかったわね、うっかりしちゃった」
はい、と渡された鍵を手にしてクララは更に目を輝かせた。いや、鍵が輝いていて、それが瞳に映ったのかもしれない。
両手で鍵を恭しく待つクララにミチルは思わず笑顔になる。
「嬉しい?」
「はい!嬉しいです!」
人によっては「狭くて嫌だ」と言われる部屋なので、こんなに素直に喜んでくれるクララが来てくれるのはミチルも嬉しい。今回の入寮者も良い子そうで良かったと一安心である。
シャワールームは夜十時までに使う、寮で出せるのは軽食まで、食事は精霊殿側に少し歩くと精霊殿関係者が使える大食堂で。ベッドシーツや仕事の制服は部屋の番号が付いたネットに入れて目隠し袋に入れた上で所定の場所へ、個人的な洗濯物は洗濯室で各自行う。寮の一階にある談話室も夜十時まで。
ファイルを読み、仕事から帰ってきた同寮の女たちと大食堂へ出かけ、寮に再び戻り談話室でアレコレ教えてもらいながらクララは頭がパンクしそうになった。
「まあ、おいおい覚えていけばいいのよ、聞かれたら答えるし」
「あ、ありがとうございます……」
「クララは明日からよね?持ち場って聞いた?」
「いいえ、ミチルさんが、夜になったらわかるって……もう夜ですよね?」
「八時だから夜ね」
その時、談話室にミチルが入ってきた。
「はい、みんな〜、賑やかなところ失礼するわね〜、クララちゃんの職場が決まったわ」
周囲は「ああ、そうなのか」と軽く受け止めたが、クララだけは「そうなのですか!」と重く受け止めていた。
「クララちゃんは精霊殿一階・二階の清掃です」
それを聞いた周りの女たちは「まあそうなるよね」「最初は清掃からだよね」と納得の表情だ。
「清掃係…お掃除ですよね?」
「そうよ、最初は掃除しながら精霊殿一階と二階の部屋や通路を覚えるの。一階は精霊士以外に一般の人が入る場所もあるからやり甲斐もあるわよ〜」
掃除ならできる!クララが「頑張ります!」と立ち上がると周りは賑やかな笑い声に包まれた。