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クララとパンダとアンジェリカ  作者: 間取良可
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 ーー竜の背に乗りながら、その風景を見た時。確かに私の心臓は跳ね上がったのです。


 空を飛ぶ宝石竜の背から見えた谷の都アンゼ=ルーカはクララの暮らしていた集落も、集落から一番近い大きな街がいくつ集まってもまだ建物の数が足りないと思わせる巨大な都だった。

 台地になっている谷の上にも、広く開けている谷の下にも建物がある。岸壁にすら点々と建物がある、ということは人が居る。どれだけの人口なのだろう、谷の都と呼ばれるこの都はなんて大きいのか、クララは口を開けたまま旋回する宝石竜の背の上でハーネスを掴んでいた。

「そんなに口開けてると、喉渇いちゃうよ」

 竜騎手である青年(どう見てもクララと同い年くらいの少女に見えるのだが、成人男性だと言っていた)はクララを見て微笑ましいと笑うが、クララは竜騎手の青年の言葉に慌てて口を閉じて、また目をきょろきょろとさせた。

「この都はね、人が生きていく為の利便性より、精霊がどれだけ通り道にしているか、それだけの理由で作られたのが始まりなんだよ」

 竜騎手の青年はゆっくり竜が地上に降りる間、クララに都の説明をした。


 クララは街から離れた山の中の集落で羊飼いの家に生まれ育った少女である。そのクララが集落を出て宝石竜の背で風の結界に守られながら谷の都アンゼ=ルーカに到着したのは働き口を紹介されたからだ。

「谷の都で精霊士の身の回りの世話をしてみないか」

 そう言われて提示された給金を見て、家族にも相談せず谷の都行きを決めてしまった。家族とは大喧嘩になったものの、必ず仕送りする!と鼻息荒くクララは握りこぶしで主張した。

 別にクララの家は困窮している訳でもないのだが、年頃の娘が華やかな土地で働きたいと思うのは当然かと両親は諦め半分、人の多い土地だからこその心配半分もあったが「お前の人生だから、お前の好きにしなさい」と家族会議を締めてしまった。仕送りは要らないと念を押して。


 ゆったりと旋回していた宝石竜が大地に降りた。場所は谷の都アンゼ=ルーカの西側台地の外れ。宝石竜は大型の竜である為、降りられる場所は限られている。ハーネスが絡まるくらい体に巻きつけていたクララはまた竜騎手の青年に笑われて、なんとかハーネスの束から這い出てくると青年から小さな石を渡される。

「宝石竜に乗った記念。この竜の宝石だよ」

 手のひらにちょこんと載る小さな石は真っ黒に見えるが削ればまた見た目が変わるらしい。竜というのは不思議な生き物だなぁ、と感じていると、竜の背から尻尾の方へ歩き、尻尾の付け根付近に付けられたタラップから下りて近くに見える搬入出管理所兼待合所に行くように言われた。竜で搬送された荷物や人は記録を取っておくとの事だ。竜騎手の青年に別れと礼を言ってクララは大きなトランク片手に待合所へ歩き出した。


 搬入出管理所兼待合所に着くと直ぐに職員がやって来てどこの町から谷の都へ来たのか記入する書類を渡してくれた。クララは文字の読み書きは真面目に勉強していたので記入項目をサラサラと埋めて提出する。

 さて、ここからだ。竜の発着場に迎えは来ていると聞いているが、誰だろう。待合所は狭くなく、宝石竜以外の大小様々な竜に乗ってやって来た人が少なくない。

「アナタ、クララ・メイさん?」

 クララに話しかけて来たのは黒髪を高い位置で二つに結ってローブを羽織ったクララよりも小柄な可愛らしい少女だった。

挿絵(By みてみん)

「はい、メイの集落から来ました、クララです」

「精霊殿で見習い精霊士をやってるアンジェリカよ、アナタを迎えにきました」

 それだけのやり取りの後、アンジェリカはさっさと歩いて行ってしまうので、クララは大きなトランクを両手で持って小走りで追いかける。アンジェリカが小柄なのもあって直ぐに追いつくとアンジェリカは少しだけクララを見て、これからの話をし始める。

「メイさんは、精霊殿の雑用係としてこの都に来たと思うけど」

「あ、クララって呼んでください。メイは集落全体の名前なんでちょっと慣れません」

「クララ、アナタの勤め先はこの都で一番大きな精霊殿、谷底の精霊殿です。私も主にそこにいます。これからヒッポグリフ車で谷底まで降ります。この町でやっていくからには上下移動には慣れてください」

 それを聞いてクララは少し嫌気がさした。竜で空を飛ぶのもハーネスまみれになるくらい怖かったのだ。ヒッポグリフの車とはどんなものだろう。

 石畳で舗装された道を歩いていると、空を飛ぶ翼を持つ人々に目を奪われた。クララのその様子にアンジェリカはクララを振り返ってため息を吐く。

「田舎から出てきて有翼人が珍しいのだろうけど、そんなに凝視しないで。この谷の都には大勢住んでるわ」

「ご、ごめんなさい…あの、アンジェリカさんはお幾つなんですか?」

「十四よ、精霊殿に入って半年。一番下っ端ね。だからアナタの迎えをしている」

「え、あ、なんかすいません…」

 アンジェリカは望んで自分を迎えに行く仕事をしたかったわけでは無いのだとクララが理解したところで今度はアンジェリカがクララに歳を尋ねた。

「十五になりました。メイの集落ではブラッドシープの世話をしていたんですよ」

「アクセサリーの原料よね」

「そうです!ここに来る時に乗せてもらった宝石竜の騎手さんもブラッドシープの角を使ったバングルしてくれてたんですよ!」

「宝石竜の騎手…あの方ね、結構有名人よ、あの方」

「そうなんですか!」

 会話が弾みだしてクララはホッとしていた。アンジェリカはどこか冷たい感じがするけど、世間話には応じてくれる。都会に来たので田舎者を馬鹿にするような人に当たったらどうしようかと不安だったが、無用な心配だったようだ。


 石畳の道がどんどん広くなってくると、馬車が並ぶ車止めに着いた。アンジェリカは馬車の前方に一頭、後方に二頭のヒッポグリフ(鷲の頭と翼に馬の身体を持つ動物)が繋がれている車に近寄り、馭者に話しかける。

 段々と人も多くなってきてクララは大きなトランクの持ち手を改めて力強く握りしめて深呼吸をした。

「この車よ、乗って」

 アンジェリカに言われるまま赤いヒッポグリフ車に乗ると座面にはこれでもか!とスプリングが効いていて、ベルトも頑丈そうなものが付いていた。これにはクララも安心する。今からまた空を飛ぶのだ。

 クララとアンジェリカ、二人が並んで座るとヒッポグリフ車が動き出した。

「え?私たちだけ?まだ乗れるのに」

「今日は半日貸切にしてあるの」

 えぇ!とクララは声を上げる。普通の馬車を貸し切るのだってお金がかかるのに、ヒッポグリフの車ともなれば幾らかかるのだろうか。

 馬が牽く馬車のように石畳を歩き始めてヒッポグリフ車は動き出す。

「あ、まだ飛ばないんだ」

「崖近くに離陸専用の道があるからそこから飛ぶの」

 谷の都は怖い。都会が怖いとかじゃなく、谷の都は怖いな、クララはそう思った。

 怖くとも都会は都会、車に付いている窓から外を見れば商店が並び、人で賑わっている。花が売っている、菓子が売っている、綺麗に染められたワンピースが売っている。それはとても魅力的な光景だった。

「ねえ、アナタ」

「はい?」

「本当に雑用係でうちの精霊殿に来るの?」

「え、そうですけど?」

 クララは故郷のメイ集落近くにある町で確かにそう仕事を斡旋された。町には小さな精霊殿があって、折角町に来たのだからと精霊に今後も良い天気が続くようにと祈りを捧げに行った時、谷の都から来たという大柄な男に話しかけられたのだ。最初は怪しすぎて逃げようと思ったが、町に一人しかいない精霊士に身元を保証され信用した。

「もしかして、話がちゃんと行ってないんですか?」

「いいえ、ちゃんと話は来てる。一番偉い精霊士様から下っ端の私まで、ちゃんと。それにアナタをスカウトした精霊士もうちの所属よ。出張が多くて最近は見ないけど」

 あの人、精霊士だったのか。クララは内心驚いていた。町に一人の精霊士はなんだかヒョロヒョロしていたのでクララの精霊士のイメージはその人だ。大柄で逞しく、粗野な印象の男までも精霊士だったとは。

「あの、私、本当に田舎者で、精霊士の仕事もわからないのですが、やっていけますか?」

 クララの正直な言葉にアンジェリカはふん、と顔を上向かせ、

「私は雑用の仕事なんて知らないわ。やっていけるかいけないかはアナタ次第よ」

 とだけ返した。

 少しの沈黙、窓から見る魅力的な風景は口の中でモゴモゴとした感情が邪魔をして殺風景にすら見えてきた。クララは勢いだけでこの都に仕事をしに来た。なんの準備も無いその行動に今更不安感が押し寄せてくる。

「あの…」

「そろそろベルトを締めて、飛ぶわよ」

 車輪が滑らかなものの上を行く感覚に変わった。石畳ではなくなったのだ。アンジェリカの忠告に慌てて座席に付いていた頑丈そうなベルトを締める。本当はあと二つはベルトを締めたかったが、一つの座席には一つのベルトしかなかった。なのでクララは奥の手を使う。

「あの、手を繋いでもらっても…」

 恐る恐る、と言ったクララの奥の手にアンジェリカはにんまり微笑む。

「ダメよ」

 慣れなさい、それだけ言われるとヒッポグリフ車のスピードが上がってくる。窓から外を見ると車の後ろをついてきていたヒッポグリフ二頭が車の斜め後ろを走っている。前方にいる一頭と後ろの二頭で車を三角形に囲むような隊列になっているのだ。車とヒッポグリフを繋ぐ鎖がガチガチと音を立て、先にヒッポグリフが、次いで車が浮かび上がった。


「う、うわっ、ふわっとした!ふわっとした!」

 竜の離陸とは全く違う感覚にクララは混乱しているが、隣のアンジェリカは「落ち着きなさい」と迷惑そうだ。

「ヒッポグリフやペガサスなんかの小型飛行生物の為の離着陸場所は都中にあるわ。谷底の精霊殿の側にもね。すぐ着くわよ」

 離陸の感覚をやり過ごせばいくらか落ち着いたのか、クララはそっと窓の外を見た。急降下はしていない。宝石竜の背中から見た景色が今度はより近くに見える。崖の窪みに埋まるように建てられてる家から有翼人が羽ばたいたのが見えた。

「これから暮らす場所なんだから、ちゃんと見て、慣れて、好きになりなさい」

 少し拗ねたようなアンジェリカの言葉に頷いてじっと窓の外を見続けた。


 ヒッポグリフ車は少し乱暴に着地し、クララの大きなトランクが向かいの座席に跳ねていってしまったが、それだけだった。クララは背中に汗が滲んだだけで、アンジェリカは澄まし顔で谷底に着陸し、そのまま谷底の精霊殿にやって来た。

 ヒッポグリフ車を降りる段階になってクララの膝から一瞬力が抜けたが、馭者の男が支えてくれて事なきを得た。

 谷底の精霊殿はクララが暮らしてたメイ集落の近くの町の精霊殿なんて比べ物にならないくらい大きかった。五階建ての石と木が混ざった建物で、空からも見ていたのにクララの目には全貌が今ひとつ明らかにならない。三階だと思われる一画から大きな木が生えているのだが、あれの根っこは何処になるのだろうか。

「普段は裏口から入るけど、今日は案内がてら正面から入るわ。ついてきて」

 アンジェリカはローブの裾を払ってから正面入り口をくぐる。クララは大きなトランクを忘れずに持ってついて行った。


 入っていった先は、広く、天井が高く、外よりも何故か明るく、風が柔らかく感じられる祈りの場だった。

 都の人々が思い思いに祭壇に向けて祈りを捧げ、穏やかな顔で去っていく。アンジェリカもクララの前から去っていく。

「え」

 何か感傷のようなものに浸ろうとしたがアンジェリカの歩みはクララにそれを許してはくれなかった。再び急いでついていき、明らかに関係者以外立ち入り禁止の廊下に入ったところでようやくアンジェリカに追いついた。

「……今のが、祈りの場。朝八時から解放されてて夜八時には閉鎖するわ」

「え、いや、もっとなにか凄い歴史とかないんですか?」

「凄い歴史ならいくらでもあるけど、アナタ雑用係で雇われるんでしょ?」

「そ、そうですけど……」

「アナタ、精霊の存在を信じる?」

「当たり前じゃないですか」

「精霊は、見える?」

「見えませんけど?」

「そう」

 アンジェリカはどこか白けた顔をして歩き出した。

「これからアナタを雑用係や事務員の統括をしている偉い人のところへ連れて行くわ。ワトゥールさんっていう人よ。精霊士ではないけど、偉い人だからね」

「はい!」

「壁の模様を良く覚えて、迷ったらぶどう色の模様を辿ればいいわ。ぶどう色の範囲で迷ったら洗濯係、食事係、掃除係、色んな人がいるから聞けばいいの。緑の模様の範囲は精霊士の仕事場よ。私と同じようにローブを着てる」

「はい!」

 そうやってアンジェリカから説明をされながら歩けば、目的の部屋についたのかアンジェリカが扉の前で振り返った。

「迷ったら?」

「ぶどう色です!」

 アンジェリカは満足そうに微笑んで扉をノックする。

「精霊士見習いアンジェリカ・オーキッドです。新しい雑用係を連れてきました」

 扉の中から入室の許可が出るとアンジェリカは失礼します、の一言と共に入っていく。クララがその後ろ姿をじっと見ているとスッと首だけこちらに向けて「アナタも入るの」と小声で言ってきたので慌てて「失礼します!」と大声を出してしまった。

 中には大きな机に沢山のファイルを載せた白髪の中年男性がいた。ワトゥールである。

 彼はファイルの上に置いてあった手紙を開いて「クララ・メイさんだね?」と確認をしてきた。

「はい、メイ集落から来ました。クララ・メイです。よろしくお願いします」

 大きなトランクをその場に置いてお辞儀をしている間にワトゥールはアンジェリカに目配せし、それにアンジェリカは静かに首を横に振った。

 それに気付かないクララはハッとしてトランクを開けようとし、更にハッと気付いたようにワトゥールへ話しかける。

「あの、紹介状をトランクに入れたままなんですが、ここで開けてもいいですか?」

 ああ、なんて情けない、そそっかしい!クララの困った顔にアンジェリカは眉根を寄せて、ワトゥールはなるべく笑顔で「どうぞ」と応えた。

 衣類も入っているトランクを大きく開けるのは恥ずかしい、そう思ってクララは床に置かれたトランクを小さく開けて取り出しやすい場所に入れていた紹介状を手にした。大柄な精霊士が書いてくれたものである。

「こちらが紹介状です!よろしくお願いします!」

 やり遂げたぞ!そう顔に書いてあるクララから紹介状を受け取ったワトゥールは中身を改めて確認をする。

「エルジャイブくんからだね、確かに受け取りました」

 エルジャイブと名前を聞いてアンジェリカの脳内には大柄で筋肉質で声の大きいエルフの男が浮かんだ。

「では、クララ、君にはこちらの寮に住み込みで働いてもらいます。雑用係というのは色々な仕事の総称で、最終的にどの仕事になるかは現場の判断になります。頑張ってください」

「はい!」

「アンジェリカ、クララを二番寮へ案内してください。それが終わったら君もソフィアさんの所へ戻っていいですよ」

「わかりました」

 アンジェリカはワトゥールにお辞儀をし、クララもそれに倣ってから部屋を出る。

二人が出て行った後にワトゥールはエルジャイブからの紹介状を見直して、少し残念だと感じた。

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