婚約破棄された令嬢は、変人画家と食虫植物を愛でる
***
私、子爵令嬢ルルフィーナにとって、今日は人生最高に最低な1日でした。
というよりも、私の人生自体うまくいかないことの方が多かったように思います。
家族は、野心の強いお父様とお兄様、そして病弱なお母様。
そして、お父様に家族を支える為だと言われ、第8皇子エドガー様と婚約を結んだのはまだたった12歳の頃でした。
その時から6年間、私なりに誠意を持ってお支えしてきたつもりでしたが、今日、婚約を破棄されてしまいました。
「僕はお前みたいな、面白みのない女だとと一生すごすような人間ではない!
真実の愛を育む天使を探しに行くんだ!」
そう言って婚約破棄した王子様、私の苦労も知れるというものだと思いますが……
「なぜ私が結んできた婚約がなくなったのだ!」
帰ってきてお父様に報告をすると途端に部屋に怒声が響き渡りました。
お父様とお兄様の野心の強さを知っていて、自分を出世のコマとしか見ていないことを重々承知していた私ですが、これにはかなり傷つきました。
「家族」ではなく、所詮は「道具」
役に立たなければ、何の意味もないのだということです。
こうして、婚約者からも家族からも十分に傷つけられたと思っていた私でしたが、まだまだ甘かったのです。
「これからしばらくはこの、王都屋敷にいても醜聞になるだけだろう。領地の離れ屋敷に滞在することを命ずる」
えっ、そんなこと……
この王都から馬車で半月近くかかる領地の中でも、離れ屋敷はとんでもない僻地。
そんなところに行くなんて、閉じ込められるのとそう変わりません。
「お前ももう18歳になっている。今からでは、家のためになる縁を探すこと自体が難しくなっているが、少なくともお前がこの辺りをウロウロするよりはマシだ」
お父様は本気のようです。
どうしたら良いのでしょう。
「そんな顔をしても無駄だ!役立たずは離れ屋敷で反省していろ」
そう言われてお父様のお部屋から出された私は、もう次の日には、領地へ向かって旅立ちました。
***
長い旅路を経てたった1人屋敷へ入った私。
最低限屋敷の管理をする人はいるものの、全く知らない人たち。
そればかりか、彼らにとって私は厄介者以外の何者でもありません。
しかも、なぜここへ送られてきたのか?という少しばかりの興味も含んだ視線を投げかけられて、嫌になってしまいます。
そんな私はとにかく屋敷から出ることにしました。
いない方が、私にとっても、屋敷の皆にとってもいいと思うのです。
とはいえ、屋敷の周りにあるのは雄大な自然、という名の山です。
ほとんどが山です。
その中に数軒の民家がぽつぽつと建っているだけ。
そんな中でひときわ目を引く建物がありました。
なんと、ガラス張りなのです!
ガラスは壊れやすく、とても高いものですので窓ガラスの建物は王都にだってそうそうありません。
そんな貴重なものが、なぜこんなところにあるのでしょう?
もしお父様ならこんなところではなく、王都に作るでしょうから、我が家とは関係ない人が作ったのかもしれません。
とっても気になってしまうので、少し近づいてみることにしました。
周りの家よりも高く作られた囲いの隙間から中を伺う私は、十分に不審者であったでしょうし、貴族令嬢としてあまりよろしくない振る舞いであることもわかっております。
でもそんなこと気にならないくらいに素晴らしいものなのです!
私でもそうそうお目にかかることもないほど透き通ったガラスが全面に使われており、中にはなにかの植物でしょうか?緑が生い茂っています。
普通に見れば、これだけ緑豊かな土地でわざわざ高いガラスの建物を作っているというだけで、だいぶ変わった方が作っておられるのかもしれません。
でも、もしかするととっても重要な研究が行われているかもしれないのです。
自分だけの秘密を見つけたみたいで、心が踊りました。
囲いをこえてもう少し近づいてみようかどうか、考えていると中で何かが動きました。
咄嗟にまずいと思って飛び退きかけてガサガサと大きな音を立ててしまい、更にびっくりしました。
しかし、中の人はこちらに気付く様子はありません。
普通に考えれば中に人はいるはずで、その人はここの所有者なのです。
そこまで考えて閃きました。
「もしかすると、もっと近くで見せてもらえるかもしれませんわ!」
そう気づけば、早速行動です。
とりあえず入り口を探さなければいけません。
一周くるっと回ると私が先程いた所とちょうど逆側に木の扉がありました。
コンコン
ノックをするとすぐにドサドサと何かが崩れるような音がしました。
気づいてもらえているのだとは思いますので、少し待ってみます。
「……はい?」
中から出てきたのは綺麗な銀髪に葉っぱがくっついてる、ちょっと残念そうな男の人でした。
「……どちらさん?」
「初めまして。私、最近引越して参りました、ルルフィーナ・フォン・フートと申しますの。よろしくお願いしますね」
「はぁ……」
何とも気の抜ける返事です。
「ん……?フート……?」
別に構いませんけど、かなりのんびりしたペースの方のようですね。
「あぁ、領主さんかぁ……」
「何を考えていらっしゃるのかと思ったら、そこでしたか。私、領主の娘のルルフィーナと申します」
名前を忘れられそうな雰囲気の方なので、もう一度名乗ってみました。
「あぁ、うん、領主さんね……それで、何の用……?」
「特に何と言うわけではありませんが、とても素敵な建物でしたので……
もしよかったら見せていただけないかと思いまし「やっぱり君もステキだと思うよね!?」
なんなのですか、この方は!いきなり暴漢になったのですが!?
私の言うことに食いぎみにそう言われ、噛み付くのかと思うくらいに前のめりで肩をガシッと掴まれてしまいました。
「そうだよね、みんな見たいよね!
おいで、可愛い僕の友達を見せてあげる!」
……ん? 友達?
一瞬疑問に思ったものの、雰囲気と勢いに流されるままについて行きました。
外から見ていた通り、中には植物が生い茂っています。しかし……
「これは何なのですか?」
言ってしまっては悪いと思いますが、そこに生えていた草は、そこいらの雑草よりもずっと気持ちの悪い見た目をしていたのです。
「かわいいよね! みんな僕の友達なんだ! 食虫植物って言って、ぱくって虫を食べるんだよ!」
……虫を?
「草が虫を食べるのですか?逆ではなく?」
「そう!普通の草は虫に食べられるだけだろう?でもこの子たちは違うんだ!虫を食べて養分にするんだよ!」
目を輝かせて話す彼は、最初に会ったときの鬱屈した雰囲気ではなく、確かに美男と呼べるものでした。
しかし、言うことの印象がそれを遥かに上回ってしまっております。
「まず、この子はね……」
そして、1つずつの植物についての解説が始まりました。
「一口に虫を食べるっていってもいろんな食べ方があるんだ!
落とし穴みたいな技だったり、粘ついた部分が張り付いて逃げられなくなったり、近づいてきたところを狙って閉じ込めたりとかね!」
「あー……そうですか」
ガラスに興味があっただけで、中のもののことなど考えてもいなかった私は、面食らってまともに話せていません。
確かにすごい秘密があるかもと期待をしましたが、虫を食べる草があるなどとは想像もしませんでした。
そんな上の空の私を気にせず話しかけていた彼でしたが。
「あそこに生えているのはハエトリソウって言うんだけど、ちょっと見ててごらん!?」
肩をつかんで無理矢理体の向きを変えられた私は、彼の指差す先を見るしかありません。
その草は2枚の真っ赤な葉っぱが貝のように並んでいて、まるで口を開けているような形をしています。
あまりに毒々しい赤色ですので、特に気持ち悪いと思っていました。
少し経つと、そこに1匹の虫が飛んできて草の上に止まりました。
すると、止まるのとほぼ同時にぱくっと口を閉じるように動いたではありませんか!!
「は!?あの、動きました!!!」
「そう、動くんだよ!それがこの子の一番可愛いところ!」
「風とかじゃないですよね?本当に自分で動いていますよね?」
「もちろん!」
さっきまでの、ただ雰囲気に流されているだけの私はもうどこにもいませんでした。
ただ、このハエトリ草とかいう草が、草なのに動くということにとりつかれてしまったのです。
***
そして、次に気がついた時には日も暮れかかったところでした。
ですが、それまでの間に二度虫を捕まえるところを見られて、私は非常に満足でした。
私がずっとハエトリ草を眺めている間、彼もずっと隣にいてくれていました。
今までこんな風に隣で一緒にいてくれる方などいなかった為、とても嬉しいのですが、反面少し申し訳ない気持ちもあります。
「長くお付き合いさせてしまい申し訳ないです。とっても素敵なものを見せてくださってありがとうございました」
「……いえ、どうも……」
あら、途中まで生き生きと話してらっしゃったのに、最初の状態に逆戻りですね。
「では、勝手ながらそろそろお暇させていただきますね。また来てもよろしいでしょうか?」
「……いえ、どうぞ……おすきに……」
「まぁ!本当ですか、ありがとうございます!ではまたよろしくお願いしますね。お邪魔しました」
「……はぁ」
また何とも気の抜ける言葉に送られて家帰りました。
帰宅後、それとなく家の者に彼のことを尋ねてみましたところ。
「何をしているかわからない」
「不気味な不審者」
「出て行ってほしい」
「悪い薬を作っているのでは?」
などなど。
結構散々な評判ですね。
彼はあまりそれを気にしてはいないようでしたが……
もしくはこんな言われようだから人間が苦手そうな人になってしまったのでしょうか?
ですが、私は周りの評判なんて気にしません。
貴族令嬢としては良くない考え方かもしれませんが、ここは王都ではありませんし、気にするほどでもないと思います。多分。
翌日も可愛いハエトリ草ちゃんを見るべく朝からガラスの館を訪ねました
コンコン
ガラガラガラ
昨日も思いましたが、客が尋ねてくるだけで一体何がこんな音を立てているのでしょうか?謎です。
確かにかなり散らかってはいましたが……
「……誰……?」
「おはようございます、また来ました!」
「……ああ、君……」
今日も綺麗な銀髪がぐしゃぐしゃです。
手入れとかしなさそうですもんね。
でもそんなことはどうだっていいのですよ。
「お邪魔させていただいても、よろしいでしょうか?」
少し遠慮気味に言ってみたのですが。
「……好きに、したらいい……」
そう言って去っていきました。
どこへ行くのか少し気になってついていくと、とても美しい絵が、台のようなものに立てかけて、飾られていました。
描かれているのはもちろん、食虫植物です。
「とても美しい絵ですわね!」
「……ん……まだ……」
「まだ、どうしましたの?」
言い淀んだままだったので、続きを促すと、顔どころか耳まで真っ赤になっていました。
「どうされましたの?」
急に熱でも出たのでしょうか?
「……それ、まだできてない……」
「えっ?まだ、ということは、この絵はあなたが描いていらっしゃるのですか?」
沈黙がとても長かったですが、もしかして照れていらっしゃるのでしょうか?
「こんなに素敵な絵を描くには、大変な練習が必要なのでしょうね。本物そのものですわね」
「……ああ」
ふぃっ、とそっぽを向いて倉庫へ行ってしまいました。
あんまり言いすぎて嫌がられてしまったのでしょうか?
出入り禁止にはしないでほしいのですが。
それにしても、美しい絵です。
なんという草なのかは分かりませんが、黄色い壺のような形で、すぐ近くにある本物と見比べても本当にそっくりです。
昨日はハエトリ草を1日眺めていましたが、この絵も1日見ていられそうです。
全然戻ってこないのですが、本当に嫌われてしまったのでしょうか?
もしかして帰った方がいいの?
私がちょっと不安になって周りを見回すと、すごく強い視線でこちらを見られていました。
「申し訳ありません」
やっぱり何か機嫌を損ねるようなことをしてしまったのでしょうか?
「……ちがう。これ……」
音もなく近寄ってきて、差し出されたものは手のひらサイズのノートでした。
しかも、そこに描かれていたのは。
「まあ、とても美しいハエトリソウですね!」
一目見た時には気持ち悪いと思ってしまうほど毒々しい赤色。
歯のように並んだ棘の一本一本までが精密に描かれていて、今にも動き出しそうです。
「とっても丁寧で、素晴らしい絵ですね」
私が絵を見て感動している間ずっと、彼は顔全部を真っ赤にしています。
なんでしょう、ちょっとかわいいですわね。
1枚目をひとしきり眺めてから、次のページを捲りました。
「え?」
何故か、1枚目と同じ絵が描かれているのです。
とても素敵な絵ですので何枚あっても良いとは思いますが、何故なのか気になって彼の方を見ました。
「……」
すると、無言のままノートを取り上げられてしまいました。
それでも、まだ顔は真っ赤なままですので嫌われてしまった訳ではないと思うのですが……?
取り上げられたノートを、私に見えるように開いてくれます。
そのままパラパラとめくっていくと!
なんと!
絵が動いているのです!!!
「ハエトリソウちゃんが、動いていますよ!」
「…………ぅん」
「素晴らしいです、とても素晴らしいと思います!王都にだって、こんなものはありませんよ!」
「……ありがとう」
「止まっているハズの絵が、めくるだけで動き始めるんですね」
これさえあれば、動くハエトリソウちゃんがいつでも見られるのです!
「…………ん」
相変わらず少し目を逸らしながら、ノートを突き出してきます。
「ありがとうございます。少しお借りしますね」
やったああああ!
ハエトリソウちゃんの隣でこれ見るんだ♪
「あ、そう言えば、大切なことを忘れていたんでした。お名前、お伺いしてもよろしいですか?」
自分が名乗った記憶はありますが、お名前知らなかったのです。
家の者も何故か名前を知りませんでしたしね。
「……ハンス」
「ハンスさんとおっしゃるのですね。昨日一日中お邪魔していたのに、本当に失礼しました。
改めて、よろしくお願いしますわね!」
「……あぁ」
軽く頷いてもらえましたので、ハエトリソウちゃんのところへ行きましょうか。
それにしても、彼は名前しか名乗りませんでした。もしかして下級平民の出身なのでしょうか?
でも、これだけのガラスの館を建てられるのであれば姓を買うことだってできるはずなのに。
……深く考えるのはやめましょうか。
今は、ハエトリソウちゃんの本物と、この素敵な動く絵を眺めて見比べるほうが先です!
昨日は、彼はずっと私の隣に居ましたが、今日は他のところで作業をしているようです。
彼が絵を描いているところを見てみたいのですが、今日は描かないようですね。
そんなことを考えながらも視線はハエトリソウちゃんに固定したまま。
そうして、今日もハエトリソウちゃんと一緒にいた一日が終わりました。
「ありがとうございました。とっても楽しかったです。こちら、お返ししますね。また貸していただけると嬉しいです」
ちょっと名残惜しいですが、ノートを返します。
「……ぃや……」
ん?
「……あげる」
「ぇっ、本当ですか?」
こんなに精密な絵を1枚1枚描くのはとても大変だと思うのですが……
「……ぁあ」
「ですが、私には勿体ないと思います。またこちらに来た時に貸していただけたら充分ですよ?」
「……ぃや。……持って帰って」
「本当に、本当に、貰ってしまっていいんですね!?」
「……あぁ」
「やったー!ありがとうございます」
素直に喜んでいると、真っ赤なままの顔がほんの少し微笑んだ気がして、もっと嬉しくなりました。
「お礼に何か持ってきますよ。お好きなものとかありますか?」
「……特には」
「甘いものはお好きですか?」
先程、倉庫の作業台の上にクッキーが置かれているのを見つけたのでそう聞いてみました。
「……あぁ」
「では、明日は何か持ってきますね。我が家のコックの焼くスコーンはとっても美味しいんですよ」
「……」
無言で倉庫へ行ってしまいましたが、耳は隠せないほど真っ赤でしたし、頬が少し緩んだのも見逃しませんでした。
***
数ヶ月後。
あれから、私はほぼ毎日ガラスの館に入り浸っています。
本当に毎日楽しくて仕方がなくて、人生で一番幸せなのは間違いないです!
ハエトリソウちゃんが一番好きなのは変わりませんが、そのほかの食虫植物の名前と捕食方法も教えて貰ってどんどんファンになっています。
ハエトリソウちゃんの次に好きなのはウツボカズラちゃんです。
ハエトリソウちゃんは自分で動いて捕まえにいく、積極的な子ですが、ウツボカズラちゃんはただひたすら待ち続けて虫が策にハマるのをまつ大人しい子なんです。
みんな生きるために工夫していて、それぞれ可愛くて仕方ありません。
それに、最近は少しですが、絵も教えて貰っています。
教えてもらうというよりは、ハンスさんが描くのを横からマネして描いているだけなのですが。
おんなじようにしているつもりなのに全然上手く出来なくて、まだまだ練習がしたいんです。
でも、この生活が楽しければ楽しいほど、いつか来る別れが辛くてなりません。
父はまだ私の縁談を探しているでしょうし、そう遠くなく、私はどこか知らない場所に嫁ぐことになるのです。
そうでなくても、手頃な期間で王都に呼び戻される可能性だってあります。
辛い未来は私にはどうしようもない事ですから悩むのはやめて、せめて今だけは、この生活を楽しみましょうか。
こんなことを考えているのは、父から手紙が届いたからです。
表向きはほとんど中身のない挨拶ばかりでしたが、「王都に帰って来たくないのか?」
というようなことも書かれていました。
父との手紙でさえ裏を読み合う前提の関係なのが嫌になりますね。
おそらく、父は私が田舎の生活に耐えられずに泣きつくとでも思っていて、交換条件としてどこかへ嫁がせようと考えていたのでしょう。
でも、いつまで経っても私が連絡をしないから痺れを切らしたのかもしれません。
父への返信は、本当に中身のないただの挨拶だけを送っておきます。
できるだけこの生活が長く続くように、私にできる最大限の抵抗ですので。
***
そんなある日。
いつものようにスコーン片手にガラスの館を訪れました。
ハンスさんは倉庫から出てきていませんが、ここ数日はいつも閉じこもっているのであまり気にしません。
強いて言うなら絵の練習が出来なくて寂しいので、今日は一人で練習してみましょうか。
ドンドンドン
絵の準備をしていると強く扉を叩く音がします。
この数ヶ月、お客さんは来ていませんし、なんだか乱暴に叩いていますので少し怖いです。
私がノックした時にはガラガラ音をたてながらも応対してくれたハンスさんですが、倉庫から出てくる気配もありません。
「あの、お客様が来ているようですが、出なくて良いのですか?」
もしかして気づいていないのかと思って声をかけてみますと、倉庫の片隅で毛布を被って動かないハンスさんの姿がありました。
「ハンスさん?どうしました?」
「……ぃや」
そして、無言が続きます。
「お客さん来てますよ?」
「……兄だ。諦めるまで……待つ」
「お兄さん放ったらかしは良くないのでは……?」
そう聞きましたが無言です。
兄弟でも色々な関係があるでしょうし、深くは聞かないことにしましょう。
「邪魔するぞ〜」
なんだかんだ言ってるうちに、お客さんが勝手に入ってきたようです。
ハンスさんは嫌がっていますが、家族であれば入ってきても犯罪ではありませんしね。
「おっ!?」
入ってきた人は、私と毛布の塊と化したハンスさんをみて声を上げ、少しの間固まりました。
「こんにちは」
目が合いましたのでとりあえず挨拶だけはしておきます。
ハンスさんの反応からしてあまり良い印象ではありませんでしたが、見た感じは好青年といった雰囲気で乱暴したりはしなさそうです。
「あぁ、こんにちは。ここで初めて毛布以外の人間を見たものだから少し驚いてしまってね。
俺はフィリップ。そこでうずくまってるハンスの兄だ」
「こんにちは。私はルルフィーナ・フォン・フートと申します」
少しばかりの警戒心を込めて、必要最低限の挨拶だけを返します。
「ここにいるってことは弟とは仲良いのかな?」
「よく、お邪魔させて頂いております」
「ふーん。君の父は何か言ってる?」
なぜ父の話が出てくるのでしょうか?
「いえ、特に何も」
ズケズケ聞いてくるのがちょっと怖くて、ハンスさん並に無口になってしまいます。
「あ、そう。じゃあ帰るよ。様子見に来ただけだからね」
そうやって、言いたいことだけ言ってさっさと帰ってしまいました。
なんだったんでしょうね?
「……ふぅ。帰った……」
毛布の塊だったハンスさんがようやく人間に戻りました。
「よくいらっしゃるんですか?」
「……半年ごと?」
「気にしてくださっているんですね」
「……違う」
「まぁ、家族との付き合い方って色々ありますよね。私も家族はあまり好きではありませんし」
ゆっくり頷いてもらえたので、ハンスさんも家族との関係に苦労しているのでしょう。
ここ数日倉庫にこもっていたのはお兄さん対策だったようで、それからは一緒に絵を描いて過ごしました。
少し驚くこともありましたが、概ね今日も穏やかですね。
***
しかし、私たちがそうしてのんびり暮らしている間にも、王都では様々な策略が巡らされていたのです。
***
毎日をのんびり過ごしていて、ハンスさんのお兄さんとお会いしてから、もうすぐ2ヶ月近いでしょうか?
ほんの少しずつではありますが、絵の腕も上がってきて練習が楽しくなってきています。
相変わらずハエトリソウちゃんは可愛いですから、かわいく描くために頑張って練習しているのです。
しかし、私にとって一番来て欲しくなかった手紙が、手元に届いてしまいました。
『ハンス・メルケンスとの結婚が決まった』
ついに、私の結婚が決まってしまいました。
しかも、何の偶然か名前が「ハンス」さんです。
よくある名前とはいえ、彼を思い出してしまいますのであまり嬉しくはありませんね。
メルケンス家といえば、王都でも有名な商家です。
財力も他国へのコネも充分に持っていますから、父が私の結婚相手として選んだのも納得です。
「ハンス」さんは次男のようですから父としては妥協した方でしょう。
私は婚約破棄された半出戻りの上にそこそこ年もいっていますからね。
この手紙には、今後の詳細は書かれていませんでしたがそのうち決まるでしょう。
双方の家の都合で日取りなどは決まりますので私の都合などは気にして貰えません。
いつ王都へ行くことになっても良いように、ハンスさんに報告しに行きましょうか。
かれこれ半年近くお世話になっていますから。
「こんにちは。少しよろしいですか?」
食虫植物たちに水をやっていたハンスさんにそう声をかけると、ジョウロを近くの台に置いてこちらの話を聞く姿勢をとってくれます。
私の真剣さが伝わったのでしょうか。
「今朝、実家からの手紙が届きまして。
私は結婚せねばならないようです。王都に呼び戻されるかもしれません」
とてもとても嫌なことですが、思い切って言い切ったのに。
何故かハンスさんはキョトンとした顔をしています。
「……結婚?俺も……」
そう言って倉庫の方へ消えていきました。
彼は、『俺も』と言っていました。
同じタイミングで結婚が決まったのでしょう。
彼もそれなりの年齢ですし、仕方の無いことだと思います。
ですが、出来れば知りたくなかったとも思います。
だって、私は、ここでの楽しかった思い出だけを持ってこれからの一生を過ごさなければならないのですから。
しばらく待っていると、何か書類を持って戻ってきました。
「……これ、君……?」
こちらに向けてくれましたので読んでみると、確かに私の名前です。
しかも、
「えっ、結婚相手ですか!?」
そう、この手紙は間違いなく、ハンスさんに当てられた結婚命令で、相手は、私、だったのです!!!
「…………ぅん」
ハンスさんは顔が赤くなりやすい人ですが、これまでに見たことがないほど真っ赤になっています。
「あの、ハンスさんの苗字は『メルケンス』ですか?」
「……はぃ」
えっ、えっ、えっ!?
と、いうことは。
私の結婚相手は、どこかの知らない「ハンス」さんではなくて、この、目の前にいる方なのでしょうか!?
おそらく私の慌てぶりが存分に伝わったのでしょう。
補足で説明を足してくれました。
「……これは、兄からの手紙。結婚、しろと……」
はい、私と、ですよね。
少しずつですが、落ち着いてきました。
「というか、ハンスさんは結婚する気がないのだとばかり思っていました」
ん?こんなことを口走る時点で、まだ落ち着いてないのかしら?
「……結婚する気は、なかった。兄も放置してくれてたし……でも、もしも、君が相手なら……そう思うことも、あった……」
ハンスさんと出会ってから、一番長く話していると思います。
照れてしまってどうにもならない、とでも言うかのように顔を手で覆ってしまいました。
「……君には、決まった人がいるだろうと。家が決めるだろう……?それに、性格もこんなだから……」
言い淀む彼の気持ちもよく分かります。
私だって、彼との未来があるなんて考えもしなかったのですから。
おそらく、王都の父とハンスさんのお兄さんの間には、それなりにお互いの策略があってのことだと思います。
私は半分出戻りで厄介者、彼もここに閉じこもっている人。
お荷物2人をくっつけて、それで双方の家が縁続きになれば利益があると思ったのでしょう。
ですが、そんな策略なんて、正直に言ってどうでもいいのです。
私は人生で初めて父に感謝してるのですから。
私とこの人を結んでくれたのなら、あとはなんだって構いません。
「私、今、すごく幸せです。とってもとっても嬉しいです」
そんな言葉では表しきれないほど、私は本当に嬉しいのです。
「……ぅん。ありがとう」
躊躇いがちに、壊れ物に触れるかのように頭を撫でてくれました。
子ども扱いみたいだけど、きっと彼にとっては精一杯の愛情表現なのだと思います。
手のひらから、じんわりと優しさが伝わってくるようで、とてもあたたかい気持ちにさせてもらえます。
ずっとずっと、こうしていたいくらいです。
でも、結婚するのですから、ずっとこうしていられるのだと、ふと気づきました。
いつかは終わる関係だと知っていましたから、踏み込み過ぎないようにと思う気持ちが、いつもどこかにありました。
それでも、彼と食虫植物の魅力に抗えずに毎日通っていたのです。
現実を見ないふりして逃げていた私たちでも、幸せの神様は助けてくださいましたね。
***
私たちの間には、物語のように燃え上がる恋はありませんでした。
けれど、こんなにも一緒にいて心地よい人と出会えて、そしてこれからも生きていけることは、これ以上ない幸せなのだと思います。
ありがとうございました。