第九十七話 波乱万丈の体育祭 その7
ゆうき君と大男のが共倒れをする少し前。
【白】チームのテント内では、香織の焦ったような怒号が響いていた。
「か、空っぽ!?まだ一つの競技にしか参加してないのに!」
「あの競技は非常に苦しい戦いだったから...。」
「なに球投げ程度の競技を仰々しく言ってんのよ!それに、肝心のサイダーは飲み干してるし!」
そう言いながら、先間が手に持つサイダーのペットボトルを指さす香織のもう片方の手には、【炭酸飲料】と書かれた紙が握られていた。
そう、障害物競争の最後のギミックである借り物競争。それで、香織が引き当てたお題は【炭酸飲料】だったのだ。
体育祭の日に水分補給をわざわざ炭酸で行う奴なんているかしら?と唇を噛んだ香織だったが、朝先間が「昨日の帰りにめっちゃいい物見つけてさ...見てこれ。凍らせれるサイダー。これで今日の体育祭も冷え冷えのサイダーで乗り切れるよ。」と、どや顔で彰人にペットボトルを見せびらかしていたのを思い出したのだった。
だから、急いで先間のいる【白】チームのテントまで駆けつけたのだが...。
テントに飛び込まんばかりの勢いで駆け付けた香織は、先間をバッと見ながら「サイダー出して!ほら、私のお題!」と言いながら【炭酸飲料】と書かれた紙を見せた。
しかし、困ったような顔と共に「...炭酸飲料のペットボトルでもいいのかな?...駄目だよね。」と言いながら先間が出してきたのが、中身が空っぽになったサイダーのペットボトルだったのだ。
「あんた、これで今日乗り切れるとか言いながら、午前中に全部飲んじゃってんじゃないわよ!」
「だって、暑いんだもん!それに運動した後に飲むサイダーが美味しすぎて...へへ。」
なぜか照れたように笑う先間を見て、(とくかく早く炭酸飲料を見つけないと!)と頭を切り替えた香織は再度、テント内を見回しながら声を上げる。
「他の人で炭酸飲料持ってきてる人いたりする?」
しかし、やはり誰も持ってきていないのか、全員が首を横に振っている。
香織は念のため、一応申し訳なさそうに眉を下げる先間の隣に立つ彰人もチラ見をした。
そこには片目を瞑ったまま地面を見つめ、何かを呟いている彰人がいた。
(日ごろから変わった奴だけど、今は完全にやばい奴ね。)
香織はそんなことを思った。
そんなやばい言動をとっている彰人だが、最初香織がテントに飛び込み「炭酸飲料!」と叫んでいるときは、まだまともな様子でこちらに目を向けていた。
しかし先間が空のペットボトルを持ってきた辺りから、小さな声で「なるほど。」と呟いたきり片目を閉じると、今の様子になっていた。
(唯一思い当たる節だった炭酸飲料は空っぽ。なんだかんだ言いつつ、一応頼りになる豊島はもう手遅れな様子。...はあ、落ち込んでても仕方ないわね。)
こうなったら手あたりね!と考えた香織は、「じゃあ周りのテントに声かけてみるわ!」と言いながら、テントに背を向け走り出そうとした。その時だった。
「朝霧、待て。」
突如、やばい奴こと彰人が急に香織を呼び止めた。
「何よ!」
案がないなら不用意に呼び止めないでよ!心の中で叫びながら香織は振り返った。
しかし、そんな香織の目に飛び込んできたのは「欲しいのはそれだろう?」という言葉と共に、自分に向かって緩く放り投げられた赤い缶だった。
「おっと。」
そう言いながら缶をキャッチした香織は、改めてその缶を見る。
正真正銘中身が入っている某有名メーカーの炭酸飲料だった。しかし、歓喜と同時に様々な疑問が頭を埋め尽くす。
なんでこれを持ってるの?あるならなぜもっと早く出さないの?さっきまでのやばい言動は何だったの?
しかし、どんな理由があろうが今炭酸飲料が香織の手の中にあるという事実は事実だ。
だからこそ、それらの疑問は無理やり投げ捨て...最後に残った唯一の疑問だけを口にすることにした。
「なんでこれ...こんな凹んでるの?」
そう、今香織が手に持つ赤い缶は、まるで何かに強く打ち付けたように大きく凹んでいた。
それを聞いた彰人は「ふむ。」と呟くと、顎に手をやりながら答えた。
「勝利の証だ。」
その言葉の意味は分からなかったが、香織は「ふーん。」と言いながら、再び前を向くと言った。
「じゃあ、私も勝ってくるわ。...ありがと。」
そして猛然とゴールテープに向かって駆け出していった。
その後ろ姿を満足気な表情で見送った彰人に向かって、先間が声をかけた。
「ありがとう彰人。絶妙なフォローだったね。」
「...まあ、そうだな。近くに自販機があってよかった。これも何かの運命か。」
「自販機...?」
先間は首を傾げながらそう言い、彰人は軽く手を振って「気にするな。独り言だ。」と言った。
少しの間、はてなマークを頭の上に浮かべていた先間だったが、「まあ、いいや。」と言うと今度は自分のバッグを手繰り寄せ、「あっれー?おかしいな...。」と言いながら漁り始めた。
「...どうした?」
「いや、さっきのサイダーだけど、実は昨日2つ買ったような記憶があるんだよね...。でもバッグの中に入ってなくて。」
そう言いながらガサゴソとバッグを漁る先間だったが、彰人はあることに気づく。
「...先間。今日の朝、我にサイダーを見せていた時、もう一つは他の人に盗られないようにと別の鞄の奥に仕舞ってなかったか?今、教室に置いてある方の鞄だ。」
「あ。」
先間の体がビシッと固まった後、ぎこちない動きで首が彰人の方へ向いた。
「...朝霧さんには内緒にしておいてね。」
彰人は軽くため息をついた後、言った。
「承知した。」
それから、先間は再び彰人の隣に立つと、ふと尋ねた。
「そう言えば、さっき朝霧さんに渡した飲み物だけど...。彰人、●カ・●ーラ好きだったっけ?」
「飲んだことは無い。だが、あれは勝利の味がするのだろうな。それならば好きになれそうだ。」
「うーん?...よくわかんない。でも。」
そう言いながら先間も前を向いた。
「勝利の味はいい味がしそう、少なくとも味わった人が笑顔になれる味だね。」
そう言う先間の視界の先では、赤い缶を片手に一位で笑顔のままゴールテープを切る香織の姿があった。
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「朝霧さん、おつかれー。」
「朝霧、よくやったぞ。」
「なんで上から目線なのよ。」
【白】チームのテントに戻ってきた香織を、彰人と先間は迎え入れていた。
彰人の言葉にジトッした目で睨んだ香織だったが、自分の手に握られている赤い缶をちらっと見ると、はーとため息をつきながら視線を元に戻した。
「これ、助かったわ。ありがと。」
そう言いながら香織は赤い缶を彰人に手渡した。彰人は「うむ。」と言いながら、それを受け取った。
そして、手に持った缶をまじまじと見た。
「なに凝視してんのよ。別になにもしてないわよ。」
そう言う香織の隣で、先間がポンと手を叩く。
「そう言えば、彰人さっき●カ・●ーラ飲んだことないって言ってたもんね。味が気になってるんじゃない?」
「は?飲んだこと無いの!?...珍しいわね。」
先間の言葉に香織が仰天した顔をした。
そんな周りの声を聞きながら彰人は(せっかくだ。飲んでみるか。)とタブに指をかけた。
その瞬間、先間の焦ったような声が響く。
「え、ちょ!その角度で開けると、朝霧さんに...。」
しかし時すでに遅し。
先ほどから色々な人の手で、これでもかと振られていた缶は、彰人がタブをカチリと開いた瞬間、中身を勢いよく噴き出した。目の前にいた香織に向かって。
「お。」
少し素で驚いた彰人の前で宙を舞った炭酸飲料は、そのほとんが香織の顔に当たり、飛沫がキラキラと輝いた。
そして缶の中身のほとんどが飛び出した後、飛沫の向こう側から現れた香織の顔は鬼の形相になっていた。
「ぼ、僕はこれで...。」
そう言って後ろに一歩下がった先間だったが当然間に合うはずもなく。
「何してくれてんのよぉぉおおお!」
香織の特大の雷が落ちた。
そしてその矛先である彰人は、自分に飛びかかってくる香織を見ながら思った。
(勝利の味は刺激が強いな。)
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「葵ちゃん、2位で惜しかったねーって何見てるの?」
自分にかけられた声に気づき、葵は今まで眺めていた光景から慌てて顔を反らした。
しかし、相手にはばっちりとばれてしまっていた。
「ああ、香織ちゃんと豊島君アンド先間君グループね。葵ちゃんいつも一緒なのに、今回はチーム分かれちゃって残念だね。」
「そうだね。でも、香織とはいつも一緒にいるからこそ、体育祭くらいは本気で戦える別チームで逆に良かったかな。」
「そうなんだー。...てか、それにしても。」
目の前で同じ【紅】チームのクラスメイトがそう言った瞬間、葵は嫌な予感がした。
しかし、もちろん他人が喋る言葉を止めるなんて特殊な能力を、葵は持ち合わせていない。せめて、話をそらそうと「そういえばさ、」と口を開いたが、遅かった。
「香織ちゃんと豊島君って仲いいよね。」
その言葉を聞いた瞬間、葵の胸に自分でも驚くほどギュッと締まったような感覚が走り、周りの音が遠くなった。
そう、先ほどまで自分が眺めていた方向では、障害物競争を1位で終えた香織が、【白】チームのテント前で彰人と先間に合流し何かを話した後、彰人に向かって香織が飛びかかる光景があった。
それを見ながら必死で何かを閉じ込めようとしていた葵だったのだが、先ほどのクラスメイトの発言でそのタガが外れてしまう。
目の前でクラスメイトが「といっても、なんか小動物をあやす飼育員みたいだけど...ってこんなこと言ったら香織ちゃんに怒られるか!」と続けるが、葵の耳には聞こえない。
しばらく忘れていた自分の中に黒いもやもやが広がる様な感覚を覚えた葵は、そのまま暗澹とした気持ちに呑まれていく。
別に香織と豊島君が仲いいのは分かってるよ。
てか、私もそうだよ。先間君も加えて4人で過ごした時間も少なくないし。
でも、ずっと自分がお金持ちなことを秘密にした根暗な私より、いつも元気で明るい香織の方が男の子も一緒に接してて楽しいよね...。
現にこの体育祭でも、豊島君と先間君は私とチームが離れてもショックな素振りを見せてないし...。
いつも4人で楽しかったけど...実は私を除いた3人の方がみんなにとって楽しい時間を過ごせたりするのかな...。
...それか、香織がいなければ。
(今、私なんてっ!)
どんどんと黒いもやもやが広がっていく中で、思考の沼に嵌っていた葵ははっと顔を上げた。
その時には先ほど目の前にいたクラスメイトもすでに【紅】チームのテントに帰っており、その場には葵だけが立っていた。
浅く短い呼吸を重ねながら、葵は自分の胸に手を置く。
心臓はいつもより少し早い鼓動を打っていた。
(わ、私...ううん!これもみんなと別チームに分かれて、悲しんでるから!もう、そんな小さなことをいつまでも引きずってて、本当に気持ちが弱いんだから!)
葵はぶんぶんと頭を振ると、何度か深呼吸を繰り返した。
しばらくすると、心臓もいつも通りペースで鼓動を打ち始めた。
(よし...。今日は勝っても負けても、体育祭が終わった後は香織たちとみんなで楽しく喋ろう。なんなら、先に家の人に連絡をしておいて、みんなでご飯を食べに行きたいな。)
そんなことを思いながら、葵は気持ちを明るくするようその場でニコッと笑った。
しかし、誰も近くにいないから気づかない。その笑顔はどこか...ぎこちなかった。
更に葵が先ほど思考の沼に嵌っていた時、最後の一瞬だけその首元に幾何学的な模様が組み合わさった数式のような痣が現れ、赤く光った後また消えていたことも。




