第九十六話 波乱万丈の体育祭 その6
(お願い!シンプルなの来て!)
そう心の中で叫びながら、香織はレーン上に並べてあるテーブルの上から、紙をひったくった。
そしてパッと開き目をやる。そこに書かれた文字を読み、(これはどうなの...?)と唇を噛んだ。
借り物競争のお題としては、かなり微妙だ。確かに別に珍しいものではないが、体育祭にわざわざこれを選んで持ってきている人がいるかどうか...。
しかし次の瞬間、朝チームメンバーの一人が、それを持ち込んでいるという話をしていたことを思い出した。
(そうだ!...テントの位置は!?)
バッを顔を上げ、周りを見渡す。
そしてトラックの対面辺りに、【白】チームのテントがあるのが見えた。
(遠いわね!...でも、手あたり次第周りのテントに声をかけていくよりも、確実な方を選んだ方がいいわよね。)
そうと決まれば、悩んでいる暇はない。
香織は【白チーム】のテントに向かって、全力疾走で駆け出した。
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不良グループの最後の一人、ゆうき君は違和感を感じる方向に向かって足を進めていた。
(あいつらとも別れてしばらくたつが、この違和感は一向に薄れないな。こんな経験は始めてだ。)
春先に彰人にぶっ飛ばされて以来、毎日自販機の周りを掃除こそすれど今でも校内一の不良を自称しているゆうき君は、その腕には自信があった。
しかし、その戦い方はどんな相手にも両の手のみで戦いを挑んでいくというような男気に溢れたタイプではない。喧嘩は勝てば正義という信念の元、使えるものはなんでも使うというタイプだった。
だからこそ、その違和感の正体を目にしたとき、(バットくらい持ってればよかったぜ...。)と心の中で愚痴が零れた。
校舎の裏からパッと表に出て最初に視界に入ったのは、大男だった。
おそらく身長は190㎝近く、腕も足も筋肉が盛り上がっている。少なくとも、ゆうき君が今まで喧嘩してきた高校生たちとは一線を画す姿をしていた。
「ん?なんで生徒がここにいるんだ。」
思わず足が止まったゆうき君を相手も見つけ、怪訝そうな顔をした。
出来れば何かしら武器を持って再び戻ってきたかったが、バレてしまっては仕方ない。そこはいち不良として、虚勢を張る場面だった。
「それはこっちのセリフだ。こんなことで何してる。」
目の前の大男から感じる威圧感に気圧されないよう、グッと拳を握りながらゆうき君は相手を睨みつけた。
しかし、明らかに学校関係者でない大男は特に慌ててた様子もなく、ボリボリと頭を掻きながらめんどくさそうにため息をついた。
「何って...まあ窃盗だな。お前知っているか?今年入学してきた一年生に大金持ちのお嬢様がいることを。そいつの私物狙いだ。」
「なんっ...窃盗?金持ち?」
大男が言った言葉にゆうき君は混乱する。
もちろん過去の経験から自分の身辺周りを隠している葵の事をゆうき君が知るはずもない。だから、急に自分の下級生にお金持ちがいると言われてピンと来ないのが一点。
しかし、それに拍車をかけてゆうき君の混乱を招いていたのは、その大男がここにいる自分の目的を“窃盗”だと言い切ったことだった。
窃盗。それは紛れもない犯罪行為だ。
それに加え、今大男は学校に不法侵入もしている。ただでさえその姿をゆうき君に見つかっているのに、目的が窃盗だとわざわざ自分から言い切る意味が分からなかった。
「知らねえようだな。まあ、さすがに自分の正体は隠すか。特にこんなろくでもなさそうな不良には。」
「...!なんだとオイ。」
混乱する頭であっても、相手が自分を馬鹿にしていることだけは分かった。そうなれば、やはり噛みつかねば不良が廃る。
ゆうき君は大男に向かって声を上げながらも、素早く左右に目を走らせた。そして目的の物が、いつも通りの場所にあることを確認した。
「別に学校のためじゃないが、不審な野郎を見逃すのも気分が悪いからな。」
ゆうき君はそう言いながら、少しづつ左手に向かって歩いていく。その先には自分たちが毎日掃除している自販機が置いてあった。
そして掃除をしているということは、掃除道具を使っているということだ。
もちろん各々が毎日持ち寄るわけにもいかないため、いつも使っている掃除道具は自販機の近くに隠してあった。
そしてそのうちの一つである大きな箒が、ゆうき君の左側に立っている柱の陰に立てかけてあったのだった。
「別に見逃してくれと頼む気はねぇさ。」
しかしあくまで落ち着いた声で大男はそう言うと、じっとゆうき君の動きを見ていた。
その間にも移動し続けていたゆうき君はついに柱までたどり着くと、大男にバレない様にそっと箒の柄を握りしめた。
「でも、校内に忍び込んでるのが見つかっている時点で、窃盗はほぼほぼ失敗...」
「だから、そうじゃねぇ。少し認識がずれてるんだよ。」
相手をイラつかせ、こちらに近づいてきたところでその頭に向かって箒を振り下ろしてやると思っていたゆうき君だったが、自分の煽り文句は大男の言葉によって途中で遮られてしまう。
「認識だ?」
「そうだ。確かに姿を見られたのは予想外ではあったが、別に問題にはならねぇ。」
大男はそう言うと、ゆっくりとゆうき君に向かって歩き始めた。
その目は未だにゆうき君に固定されており、少しも焦った様子はなく淡々と話し続けている。
「そもそも、お前あんまり頭良くないだろ?不良だから当然かもしれねぇが、なんで俺が正直に目的が“窃盗”だと明かしたと思う?」
「なんでってそりゃあ...。」
「明かしても問題ないからだよ。」
大男がそう言った時、その位置はゆうき君にかなり近づいて来ていた。
大男の話す言葉を聞きながら(もっと近くだ。まだ届かない。)と我慢していたゆうき君は、もう少し大男に話をさせようと喋りかける。
「犯罪行為間近で見つかってんだ。問題はあるだろ。」
「...人の記憶はどこに入っていると思う?」
突如大男はそんなことを言った。
心の中で冷静に自分と大男との距離を測っていたゆうき君も、思わず「は?」と言いながら呆けた顔をしてしまう。
「だからだ。今お前が見ている風景、そして聞いた言葉。それらの記憶だ。」
「脳...だろ。」
「おお、すごいな。見事に正解だ。」
大男はおどけたように手を開く。
「...つまりはだ、その記憶を保管している脳みそから、お前が俺を発見してから見たこと聞いたことの記憶を失えば、俺がここにいることも、そして窃盗しようとしていることも...。」
そう言った大男は、再び一歩踏み出しながらすっと目を細めて言った。
「何も問題はねぇだろう?」
大男の口から出た言葉、そしてその目の光を見て、ゆうき君の中で危険のアラートが鳴り響いた。
しかし、一歩踏み出した大男の立つ位置は、箒が届く範囲だ。ゆうき君は一撃で終わらせる!と気合を入れながら、箒の柄を握った手を思いっきり振り上げた。
「オラぁっ!」
そう叫びながら、大男の頭に向かって箒を思い切り振り下ろした。
いつも掃除で使っている箒はすっかり手になじんでおり、自分の想像以上の速さで箒は大男の頭に向かって近付いていった。
(いける!)
ゆうき君が心の中でそう思った瞬間、大男の姿が視界から消えた。
「は?」と呟いたと同時に、妙な匂いのするハンカチをその手に乗せた大男の掌底が、ゆうき君の顔を貫いた。
「うぐっ」
視界の中で光が弾けた。後方へ吹き飛ばされたゆうき君は自販機へと背中をぶつけ、地面に倒れる。
そしてくらくらとする頭の上から、大男の声が降ってきた。
「これは俺が一からブレンドした特殊な薬だ。これを嗅がせた瞬間、脳みそを揺らせることで手前の記憶を消し去ることができる。どこまで消すかは薬の濃度によるが、今回は俺と出会ってそれほど立ってないからな。5分ほどにしておいた。」
「ぐぅぅ...。」
「苦しいか?まあ、意識を失うまでの我慢だ。あとは目覚めれば俺の事もその目的も綺麗さっぱり忘れてる。...な?なにも問題ないだろ?」
そう言った大男はゆうき君に背を向け歩き始めた。
(くそが...。)と悪態をつくゆうき君だったが、視界の揺れは増すばかりで立ちあがれそうもない。
そのまま大男の言う通り意識を失いかけた時、頭の中に声が響いてきた。
“危ないところであった。攻撃自体は防げなかったが、薬の効果は無効化しておいたぞ。”
(なんだ...何を言ってやがる...。)
ゆうき君は頭の中で聞こえる声に応えようとするが、未だに意識が混濁しており、うまく考えがまとまらない。
“ふむ、記憶は無事だが混濁は続いておるようだな。まあ、それは仕方ない...ところでやられっぱなしもなんだろう。一矢報いたくないか?”
相変わらず正体不明な声は、マイペースに何かを話している。
その言葉の意味はほとんど理解できなかったが、最後の“一矢報いる”という言葉はゆうき君の心の中に響いた。
(当たり前だ...!)
“ふっ。では、日ごろから掃除を頑張っているお主にご褒美だ。足元を見ろ。”
そういった声に導かれるまま、ゆうき君は目を開き、揺れる視界で足元を見た。
すると自販機が小さく音を立てたかと思うと、なぜか取り出し口から赤い缶が転がり出てきた。
“やることは簡単だ。その缶を手に取り、気力を振り絞って立ち上がった後、全力で前に向かって投げろ。”
そう言ったっきり謎の声は聞こえなくなった。
ゆうき君は荒く息を吐きながらも、“一矢報いる”という言葉を何度も反芻し、心の中の炎を燃え上がらせていく。
(俺は、この学校一の不良だ...。不良の喧嘩は何を使っても最後まで足掻いた奴が勝つんだよ...!)
そう自分を鼓舞すると、ゆうき君はゆっくりと足元に転がる缶に手を伸ばし、掴んだ。
そして小さく呻きながらも、全身の気力を振り絞って立ち上がる。
(あとは...前に向かって...)
倒れそうな体を支えるように、大きく一歩足を踏み出す。
(全力で投げる!)
「...オラぁぁああ!」
身体の奥底から声を絞り出しながら、手に持った缶を全力投球した。
それと同時に気力を使い果たしたゆうき君の視界は暗転し、白目を向きながらその場にばたりと倒れた。
「ん?なんだ?」
その時、すでにゆうき君から離れていた大男だったが、背後から聞こえた声に足を止めた。
(まさかさっきの生徒か?いや、そんなはずは...俺の薬を吸って倒れたんだ。すでに意識はないはず...。)
そんなことを考えながらも、一応振り返りかけた大男はその直後、こめかみに強い衝撃を感じた。
「ぐあっ!」
身体ごと横に吹っ飛ばされるほどの衝撃に、大男の意識は一瞬で刈り取られた。
そして、大男のすでに記憶できない視界に映っていた最後の風景は、自分のこめかみに恐ろしい速度で当たった赤色の缶が、そのまま空中で消える風景だった。




