第九十五話 波乱万丈の体育祭 その5
香織は次に現れたギミックを見て、思いっきり顔をしかめた。
(最初のボール避けが俊敏性だと考えるなら、これは腕力ってところかしら?)
そんなことを思いながら香織は自分の手元にあるバケツと後ろに置かれている大量の水が入った小振りのプール。それと、5メートルほど先に置いてある水槽を交互に見比べてため息をついた。
先ほど放送席から響いたアナウンスによると、今手元に大量に置かれているバケツを使ってプールから水をくみ取り、向こうに見える水槽の中に水を移し終えたらクリアらしい。
しかし、一度入れればそれで終わりではないのが、このギミックの鬼畜なところだった。
どうやら、水槽の中についている目印の位置まで水を入れなければ次に進めないらしい。
その既定の量だけで言えば、バケツに並々と一杯水を入れれば1回で済む量なのだが、もちろんその重さのバケツを運ぶのは容易ではない。
つまり香織の腕力で普通に考えるなら、2~3回の往復が必要な計算だった。
(男女混合の競技で、このルールは頭が悪いとしか言えないわ...。まあ、考えてても仕方ないし運ぶわよ!何回も往復するのは効率が悪いし、少し多めに入れてみようかしら...って重っ!)
体育委員の頭の悪さに辟易としかけた香織だったが、頭を振り気持ちを切り替えると、半分くらいまで水を入れた状態で、プールからバケツを取り出してみた。
しかし想像以上の重さに、思わず顔が引き攣ってしまう。
(なんとか1回は運べると思うけど...2回目同じ量いけるかしら...?)
そんな不安を残しつつ、両手でバケツを持つと、香織はなるべく速足で水槽の方向へ向かって歩き始めた。
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「お?」
原因不明の違和感に導かれるまま、非常階段を使って2階へ上っていた不良Bは、不意に3階から同じく非常階段を使って降りてきた人物に気が付いた。
(これが違和感の正体か...でもな...。)
そう思いながら、2階ですれ違った人物に思わず会釈をした。
その人物とは日ごろから校内を掃除してくれている清掃員だった。いや、正確には顔を知っているわけではない。
しかし薄いグリーンの帽子と作業着、それにモップとバケツを持ち、こちらに向かって会釈を返してくるその姿は、時折校内で見かける清掃員そのものだった。
不良Bが何か釈然としない思いのまま立ちすくんでいると、清掃員はそのまま2階の扉を開けて、校内へと入っていく。
その後ろ姿を眺めながら、不良Bはやはり自分の中にある違和感が消えないことに気づいていた。
(なんか引っかかるんだよな...。まあ、別になんもなければ上手くごまかせばいいか。)
不良Bはそんなことを考えながら、清掃員の後を追って校内へと入った。
そして廊下を歩いていた清掃員に後ろから声をかけた。
「おい、ちょっと。あんたさっき3階から降りてきたけど、どこ掃除してたん...うお!」
話している途中で急に目の前の清掃員が振り向いたかと思うと、手に持ったモップを振り上げ、不良Bに向かって叩き付けてきた。
不良Bは間一髪後ろに下がり、その一撃は鼻先を掠めた。
「あれ、外したか。」
清掃員はモップを振り下ろした体制のままそう呟くと、ゆっくりと不良Bを見た。
その目には、先ほどまでには見られなかった危ない光が宿っていた。
「何しやがんだてめえ!」
不良Bは一気に臨戦態勢に入ると、そう吠える。
しかし清掃員は、首を傾げながら「なんでバレたんだ?服装は完璧のはずだが...。」と言った。
そこまで聞くとさすがの不良Bでも、目の前の人物が本当の清掃員ではなく、清掃員の恰好をした不審者だと気づいた。
「この不審者野郎が!俺らの高校に何の用だ!」
「はあ、粋がったガキの相手は面倒だ。心配しなくても一瞬でお前は伸びることになるから、俺の用を気にする必要はない。」
偽清掃員はそう言うと片手に持って言えたバケツを床に置き、両手でモップを握り直した。
次の瞬間、モップが目にも止まらぬ速さで回転したかと思うと、ビシッと不良Bの眉間に合わさった場所で止まった。
「な、なんだ...?」
「ふん。お前らみたいなただの不良と違って、俺は棒術をやってんだ。気合だけでボコスカ殴り合ってる素人とは違うんだよ。」
偽清掃員は心底不良Bを見下した様子でそう言うと、ふっと短い息を吐きながらモップを突き出してきた。
不良Bは反射的に手で顔を覆ってしまったが、モップはその腕の下を通り抜け、お腹に突き刺さった。
「うげぇ!」
胃が半分に潰されたような衝撃に、不良Bはたまらず体をクの字に折り曲げる。
それと同時に上から「はい、おわり。」という声が聞こえた。
「くそがぁっ。」
不良Bは全神経を足へと集中させると、思いっきり後ろへ飛んだ。
その瞬間、風を切る音と共にモップが頭を掠め、偽清掃員の舌打ちが響いた。
「面倒だから、無駄にあがくなよ。お前も痛い思いはしたくないだろ?」
「...うるせぇ...。」
怠そうに偽清掃員が言った言葉に、不良Bは何とか悪態で返す。
しかしまだ先ほどやられたお腹のダメージは回復しきっておらず、気を抜いたらもどしてしまいそうな吐き気も感じていた。
ただ、不良の意地で眼光だけは鋭く偽清掃員を睨みつけていた。
「はあ~、生意気な顔しやがって。決めた。そこまで反抗的な態度取るなら、少しいたぶってやるよ。」
偽清掃員はそう言うと、再度モップをクルクルと回転させた後、横からの凪払いを打ってきた。
そのモップは鋭く不良Bの左腕を打ち据えた。「ぐあっ」と不良Bが声を上げる。
「ははっ。降参したかったら手を上げろよ。まあ、上げれたらの話だけど。」
偽清掃員はそう言うとモップを構え、今度は不良Bの右肩を狙って突き出してきた。
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(ふむ。まずいな。)
彰人は心の中で静かに呟いた。
それは右目で見ている香織の様子と、左目で見ている不良Bの様子、その2つを指している。
不良Bが対峙した2人目の窃盗グループのメンバーがまさかの武術経験者で、手助けをしなければ勝てそうにない。
それに香織の方は、やはり体格的に腕力を使ったギミックは不利だったのか、最初のボール避けでせっかく築いていたリードがそろそろ失われようとしていた。
(どちらも負けるわけにはいかぬ...だが、朝霧は大丈夫か。)
そう、周りに比べると不利な条件の中でも、戦っている香織の目からはこれぽっちも諦める気配が感じられない。
香織の周りでは、一回の往復で香織よりも多くの水を香織よりも早く水槽へと運んでいる人だらけだったが、そんな連中の事は眼中にないとばかりに、今も2往復目のバケツを必死の形相で水槽へと運んでいる最中だった。
(そうだ、こればかりは実際に競技に参加している朝霧の気合いにかけるしかない。だからこそ、こちら側も“気合い”で頑張ってもらおうか。)
その直後、彰人は左目で繋がっている不良Bへと意識を集中させた。
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(やべぇ...来る...ん?)
目にも止まらぬ速さで繰り出されたモップによる突きが右肩へと刺さる直前、衝撃に備えてぐっと全身に力を入れた不良Bだったが、モップが当たった直後、違和感を感じた。
(なんだ今...少し衝撃が...。)
「おいおい、さっきまでの威勢はどうした。次行くぞ。」
偽清掃員はそう言うと、次は不良Bの左太ももを思いっきりモップで打ち据えた。
廊下に打撃音が響き、不良Bは思わず顔をしかめる。そのリアクションを見て、偽清掃員はニヤッと笑った。しかし不良Bはまた違和感を感じていた。
(やっぱりだ...最初に食らった衝撃より、随分と和らいでやがる。それほど痛くねぇ。)
思わずチラリと偽清掃員を盗み見るが、もちろん手加減している様子はない。
それどころかどこか楽しくなったようにモップをクルクルとまわすと、「そら、次は右足だ!」と言いながら、右のふくらはぎ付近を思いっきり叩いてきた。
(これも!)
不良Bは全身に気合いを入れると、そのモップを右足で受けた。
(いける...これぐらいの痛みなら我慢できる!なんで急に...いや、そうだ。これが不良の気合いの力だ!)
直後、不良Bは顔を上げ偽清掃員を睨みつけた。その目は爛々と輝き、降参する気配は微塵も感じられない光を放っていた。
その顔を見た偽清掃員は、不意を突かれたように驚いた顔をした。
「なんだお前...。まだそんな...。」
「おら、ごちゃごちゃ喋ってねぇで打って来いよ。」
偽清掃員の言葉を遮るようにして不良Bはそう挑発すると、一歩踏み出した。
その言葉に偽清掃員はプライドが傷ついたのか、今までニヤニヤとしていた顔を真っ赤に染めると、「このガキ!」と言いながら、モップを連続で振り下ろしてきた。
「ぐっ!がっ!」
モップは不良Bの体中を連続で打ち据え、突き刺した。
しかし、その猛攻の中でも不良Bはゆっくりとだが、一歩ずつ前へと進んでいく。
「なんだこいつ!なんでこんだけ俺の棒術を食らって...!」
偽清掃員は焦ったようにそう言うと、思わず手を止めて不良Bをまじまじと見た。
そこには一見満身創痍のように見えるが、それでも偽清掃員を力強く睨みつける不良Bの姿があった。
「馬鹿が。なんでもこうしてもねぇよ。」
「じゃあなんなんだよ!これだけ体中を叩かれて、なんで進んでこれんだ!」
「気合いに決まってんだろうがぁ!」
不良Bが吠えたその言葉に、偽清掃員はポカンと口を開けた。
しかし、その言葉の後やはりこちらに向かってまた一歩踏み出した不良Bを見て、不気味な物を見た顔と共に偽清掃員はモップを思いっきり突き出した。
「気合いで俺の棒術が防げるわけ...なっ!」
偽清掃員が放った渾身の突きは、最初の一撃と同じく不良Bのお腹に突き刺さった。最初不良Bの体が折れ曲がった突きよりも、数段鋭く力強い一撃だった。
しかし今回違ったのは、不良Bが自分のお腹に突き刺さったモップをそのまま両手で掴んだのだ。
「へ、捕まえたぜぇ。」
不良Bはそう呟くと、偽清掃員を見てニヤリと笑った。
それを見た偽清掃員はやばいと思い、全力でモップを引いた。しかしその瞬間、不良Bの頭の中に声が響いた。
“またこれか。まあ、さっきは綱で今回は棒だが。”
(なんだ!?)
急に聞こえた声に不良Bは目を丸くした。
しかしその瞬間驚いていたのは、不良Bだけではなかった。
(...は?)
全力でモップを引いた偽清掃員はその直後、思わず固まってしまった。
なぜなら、モップがビクともしなかったからだ。まるで、崖に生えた巨木を引っ張ったかのごとく、これっぽっちも動く気配すら見せなかった。
(馬鹿な。相手はただの高校生の不良で、俺は大学の頃棒術で全国まで進んだ男だぞっ!)
しかし、そう思った偽清掃員が前を向いたとき、不良Bと目があった。
(やばい。)
そう思った偽清掃員は慌ててモップから手を離そうとしたが、すでに遅かった。
不意に聞こえた声の謎はあったものの、なぜか呆けた顔をしている偽清掃員を見た不良Bは、今がチャンスだと察した。
その直後、全身に気合いを込めると、不良Bは大声で叫びながらモップを偽清掃員ごと持ち上げた。
「うぉぉぉおおお!」
「うわぁぁあああ!」
2人の声が重なり、不良Bはそのままモップを半回転させると、自分の背後に偽清掃員ごと叩き付けた。
「ぐげぁあ!!」
大きな衝撃音とともに偽清掃員の体は地面にバウンドし、動かなくなった。
「はぁはぁ...やったか?」
不良Bはモップを掴んだまま偽清掃員に近寄り、モップの端で体をツンツンとつついた。
しかし偽清掃員は完全に意識を失っており、びくともしなかった。
それを確認した不良Bはモップを突き上げ、叫んだ。
「不良の気合いをなめんなぁオラァ!」
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(残念だが気合いでは怪我は治らん。明日は思う存分全身の打撲に苦しんでくれ。)
彰人はそう思いながら、戦いの終えた不良Bの視界から、目の前の障害物競争に意識を向けた。
そこではやっと既定の量まで水槽に水を移し終えた香織が、次のギミックへと向けて走り始めるところだった。しかし、健闘虚しくその順位は3位まで落としていた。
「くそぉ!惜しい!あんな力を使うギミック、女性と男性で難易度が違い過ぎるよ!彰人もそう思うよね?」
隣で地団駄を踏みながら、先間はそう彰人に向かって問いかけた。
彰人は(先間だと朝霧よりも時間かかりそうではあるが...。)と思いながらも、一応「そうだな。」と頷いておいた。
「ところで、次のギミックはなんだ?どうやら紙の乗ったテーブルが並べてあるだけのようだが...。」
「あれは、借り物競争だよ。一つの種目として行うこともあるけど、ここじゃあ障害物競争の中の一ギミックになってるみたいだね。」
「借り物競争...?なんだそれは。」
「まあまあ、見てれば分かるよ。」
先間がそう言いながらグランドに目を向けたため、彰人も同じく目を向ける。
そこでは先にテーブルにたどり着いた人から紙を手に取り、開くと中を確認していた。そして、一瞬立ち止まった後、それぞれトラックを無視して周りに立ててある観客のいるテントに走っていく様子が見て取れた。
(...全くわからん。)
それを見ていた彰人はそれがどういったギミックなのか、謎のまま見ていると、香織がテーブルにたどり着いた。
そして紙を引ったくり中を確認すると、一瞬立ち止まった後、彰人たちのいるテントの方へとバッを顔を向けた。
「おい、先間。朝霧がこっちを見ておる。」
「だね。何が書かれてたんだろう?」
そんなやり取りを交わす最中、香織は彰人たちのいるテントに向かって猛然と走り始めていた。
(なんだ?いまだに何が行われるのか分からんが...む?)
最後のギミックの内容が未知のため首を傾げる彰人だったが、そんな中左目に映る不良...ゆうき君の視界でも、窃盗グループの最後の一人と接触するときが訪れようとしていた。




