第八十九話 私のヒーロー 後編その3
「それからは香織と友達になってよく喋るようになったおかげか、元々遊んでいた子たちとも徐々によりを戻すことができたの。それにいざ友達になって色々と話してみると家が近所だってこともわかって、本当に香織とは中学生になってからも毎日のように遊んだなー...。」
「ふむ。」
「それでも、自分の家の環境の事はなかなか打ち明けられなくて...でも、やっぱり新しくできた友達を家には呼びたいじゃない?だから、ある日勇気を振り絞ってお手伝いさんに『家にお友達を呼びたい。』って相談してみたの。ただ、もちろん最初は親から反対されて...でも『そんなに呼びたいなら、これができれば許す。』と言って与えられた課題をこなせたのが中学1年の時だったかな。それで、やっと香織を家に呼べたの。」
「なるほど。」
「それこそ最初に香織が家にきた時なんて、家の大きさに委縮しちゃって一言も喋らなかったんだから。それもあって、さっき豊島君が全然動揺してないのを見て、面白くなかったんだと思うよ。」
「そうか。」
「それで、予想はしてたけど家に来るってことは、私と親の関係がうまくいってないっていうのもすぐにばれちゃって。なんか、お金持ちなせいでみんなと生活環境が違うってことも、親との関係がこじれていることも、そのどちらもが私を苛ませていた原因だったから、全てがばれた時“これでやっぱり香織も私から離れていくかも”って思ったわ。」
「そうだな。」
「...でも香織はそんな時にも言ってくれたの。『私は葵の家がお金持ちだろうが貧乏だろうが友達になってるわ。だから、葵も自分の家がお金持ちっていう現実が辛い内は、それを秘密にしてればいいのよ。それでも、葵自身を見て好きになってくれる人は、本当の友達になれるはずよ。』って。だから、今でも私は家がお金持ちだってことを隠してるの。」
「...つまりは、まだなのだな。」
「うん、まだなの...。結局あれ以来、会社は成長を続けているらしいんだけど、今では両親とも家には全く帰ってこなくなったわ。両親が頑張って家がお金持ちになればなるほど、私と親との距離は離れていく。だから、私にとってお金持ちっていう現実は、まだ辛いままなの。」
そこまで喋った葵は「これで全部...かな。」というと、机の上に乗っていた飲み物を一口飲んだ。
葵が自分の家庭のことを隠していた理由が分かった彰人は、そんな葵を見ながら「ふむ。」と呟いた。
「...今では両親との交流は一切ないのか?」
「ううん、そうでもないよ。まれにメールではやり取りしてるの。といっても“生活で不便なことがあればお手伝いさんに言うように”っていう内容が定期的に送られてくるだけだけどね...。あとは、私からテストの点数を報告するメールも送ってるかな。...たぶん、彼らにとってはそれをやっていれば親としての義務は果たしてると思ってるんじゃない?」
「...それは。」
「あ、暗くなってごめん!」
彰人が言葉に詰まっているように見えた葵は、慌てたように手を振った。
「でも、私自身今の生活に別にそんなに不満があるわけじゃないの。これは本当。学校は楽しいし、休みの日は島ちゃんや倉持ちゃんと自由に遊べるし、先間くんは見てて面白いし、それに...。」
豊島君とも出会えたし、という言葉は葵の口の中でボソッと呟かれて消えた。
彰人は今の生活に不満はないという葵の目に誤魔化すような光はないことを確認し、「そうなのか。」と言った。
「うん、そう。...でも今の私の生活があるのも、全てあの時香織が手を差し伸べてくれたからだと思うんだ。」
葵はそう言って外の庭に目を向けた。
彰人もその視線の先を追えば、そこでは丁度香織のスマッシュが顔に当たり、後ろにはじけ飛ぶ先間の姿が見えた。
それを見た葵はくすくすと笑うと、一度深く息を吸い言った。
「今日だってそう。私が豊島君と先間君に、家がお金持ちなことを明かしたいけど怖がって明かせないでいることに気づいた香織が、言う機会を設けてくれたんだと思う。そのきっかけ作りがドッキリってのは香織らしいけどね。」
「確かに朝霧らしい。」
「でも、そうやって香織はいつも私を助けてくれる...だからこそあの時、ホウキを持って私の前に現れてから今この瞬間まで...ううん、これからもずっと。」
そこで葵はすっと彰人の方を見て、力強い声で言った。
「香織は私のヒーローなの。」
その目には強い信頼と敬愛の光が浮かんでいた。
彰人は「そうか。」と言いながら、再度ちらっと庭に目を向ける。そこでは、今度は先間が香織にスマッシュを打つものの、簡単に返されその場にズッコケる姿が見えた。
彰人は「そうであれば、あの状況はまるで悪者である先間が退治されているみたいだな。」と言い、葵がまたくすくすと笑った。
「でも、今の話は香織には内緒だよ。ヒーローなんて言ったら、『ヒーローは男でしょ!』って怒られちゃうから。」
「そうだな、分かった。ここだけの秘密だ。」
そう言って彰人は優しく微笑んだ。
その顔を見た葵は、はたとこんなに長時間彰人と2人きりで喋ったのは始めてだということに気づき、赤面する。
しかしそんな葵の様子には気づかないまま、彰人は「さて。」と言いながら立ち上がった。
「では、悪者である先間がこのまま退治されないうちに、我が助けてやらねば。」
そう言ってスタスタと障子の向こう側へ歩いていった。
少し経ち庭に姿を現した彰人を見て、先間が叫ぶ。
「彰人、助けて!朝霧さん悪魔だよ!このままじゃあ、打撲で入院する羽目になる!」
そう言って先間は彰人に駆け寄ってきた。
葵目線では正義の味方だった香織が、先間からは悪魔に見えていたらしい。
そんな様子を面白く思った彰人は、軽く笑いながら先間からラケットを受け取ると「後は我に任せろ。」と言い、香織の真正面に立った。
すでにフラフラでおぼつかない足取りで家の中に帰っていく先間と違い、香織は息を切らした様子はない。そんな香織は彰人の顔を見て、さっきまで葵と何を喋っていたのかの想像がついた。
「...この庭すごいでしょ。広くて綺麗でバドミントンまでできて。葵がお金持ちで良かった?」
まるで鎌をかけるかのようなその言葉に対し、彰人は肩を竦めながら返す。
「別にバドミントンはどこでもできるであろう。だが、その人とのバドミントンはその人とでなければ出来ない。つまりは、今日この時間に朝霧とバトミントンができるのは、七瀬が金持ちだったからではない。そうだろう?」
その言葉の意味を察した香織は、少しホッとした顔をした後、ニヤリと笑った。
「言うじゃない。でも、今日こそは私とバドミントンができたことを後悔することになるわよ!ボコボコにしてやるわ!」
一方、そのやり取りを部屋の中から見ていた葵の元に、フラフラになりながら先間が歩いてきた。
「もう駄目...朝霧さん容赦なさすぎ...。」
「ごめんね。香織、バドミントンの事となると手加減できないから。」
先間は「あついー。」と言いながら、机の上に置いてあった飲み物に手を伸ばすと一気飲みをした。
そんな先間を見ながら、葵は喋りかける。
「...それと、今まで私の家の事黙っていてごめんね。」
「いや、もうほんとびっくりしたよ!こんなに立派な家に住んでるなら、もっと早く言ってくれれば良かったのに。」
先間のそこ言葉に、葵はドキッとした。
そして少しだけ感じる悲しみの感情を顔に出さないよう気を付けながら、恐る恐る先間に尋ねた。
「やっぱり、こんな大きな家に住むようなお金持ちっていうことは...もっと早く知りたかったよね。」
「まあ、そうだね!だってこの家の作り、僕が今ゲーム内で作ろうとしている自宅にぴったりなんだもん!」
「そうだよね...お金持ちは...え?ゲーム?」
先間の言葉に葵は思わず目を瞬かせる。
しかし、先間は今日一番の笑顔で「うん!」と頷くと、興奮したように言った。
「今創作系のゲームに嵌っててさー。その中で自宅の改造もできるんだけど、やっぱり日本人ならカッコいい木造の家に住みたいじゃん?でも、なかなか実物を見る機会なんてないし、困ってたんだけど...七瀬さんの家は僕が想像していた家にぴったりだよ!」
「そ、そう...ありがとう...?」
思わぬ答えに動揺する葵だったが、それからも「ちょっと屋根の形とかじっくり見ていい?」という先間の姿を見ていると、思わずぷっと吹き出してしまった。
「あははっ!ほんと先間くんってゲーム好きだよね。」
「そ、そんなに笑わなくても...。」
「ごめんごめん。でもなんだか一人で考えて予防線を張ってた私が馬鹿みたいで...。」
「えー?どういうこと?毎回小テストで彰人と順位を争ってる七瀬さんが馬鹿なはずないでしょ。」
よく分からず首をかしげる先間だったが、一気に心の軽くなった葵は、そんな先間の腕を掴むと言った。
「屋根はまた今度見せてあげる。だから今日はみんなでバトミントンしようよ!」
「えっまた!?もう疲れたよ!嫌だぁぁああ!」
そう言って抵抗する先間を引っ張り、窓の外で熾烈な戦いを繰り広げているヒーローの元へ、葵は軽やかな足取りで駆け出していった。




