第八十六話 私のヒーロー 中編
約束の日曜日、彰人と先間は集合場所だと指定された住所に向かっていた。
ただ、その場所が近づくにつれて徐々に先間の口数が減っていく。さらに顔色も悪くなっていく先間を見て、彰人は尋ねた。
「どうした、体調でも崩しているのか?」
「いや、全然そういうわけじゃないんだけど...。」
彰人の問いをブンブンと手を振って否定した後、先間は小声で尋ねる。
「...彰人って女の子の家に行ったこととかってある?」
「女性の家?ふむ...ないな。」
「だよね!」
彰人の返答に、先間は体を乗り出しながら、嬉しそうに言った。
そして一人でうんうんと頷きながら「良かった彰人も仲間で...意外と言えば意外だけど、僕らまだ高1だしね。」と呟く。
「だから、今から七瀬さんの家に行くのも緊張するっていうか...別に変な意味はないよ!?」
「そうか。」
必至な様子でフォローを入れる先間に、よくわからないがとりあえず頷いておくかと彰人は思った。
しかしそんなやり取りをしているうちに、指定された場所はすぐそこになっていた。
「あ、多分ここを右に曲がったら見えて...へ?」
先に右折した先間はポカンと口を開けて立ち止まった。
何を驚いておるのだ、と思いながらその後に続いた彰人も、目の前に立っている光景を見て、「ほう。」と呟く。
そこには、大きな門があった。
そう、今まで一軒家が並んでいる住宅地を歩いていた2人の目の前に、突如日本家屋特有の大きな門扉が現れたのだ。
「え?ば、場所を間違って...。」
「いや、先間よ。場所は合っておるぞ。」
彰人は先間が手に持っているスマホを見ながらそう告げる。
その画面には指定された住所を打ち込んだマップが表示されており、目的地のマークは今まさに彰人たちが立っている場所を示していた。
「じゃあ、この豪邸が...七瀬さんの家?」
「どうやらそのようだな。」
呆然と呟く先間だったが、その時手に持ったスマホからメロディーが流れた。
画面には【朝霧さん】と表示されている。どうやら香織からの着信のようだ。
先間はいまだに動揺しながらも、画面をタップし電話に出る。
「もしもし?」
「まだ着かないの?」
「いや...たぶん着いてるんだけど...門が...。」
そう言いながら先間は困ったよう顔で目の前の門を見た。
しかしその言葉から先間の言わんとしていることを察したのか、少しの間が空いた後、笑いをこらえたような声で香織が言った。
「ねえ?びっくりした?」
「こういうことは先に言っておいてよ!」
大きな声で叫ぶ先間だったが、スマホからは香織のドッキリ大成功と言いたげな笑い声が響いていた。
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「こちらのお部屋です。」
「あ、ありがとうございます。」
丁寧に頭を下げる初老の女性に、先間もテンパりながら頭を下げ返す。
そして女性が去っていく背中を尻目に、目の前のふすまを開ければそこには大きなテーブルの前で、くつろいだ様子の香織と葵の姿があった。
「あ、来た。」
香織がこちらを見て、ニヤリと笑いながら言った。
「来た...じゃないよ!」
先間は怒りながら言い返す。
そんな先間に葵が申し訳なさそうな顔で言った。
「ごめんね。急にあんな大きな門が現れたらびっくりするよね。」
「そうだよ!最初にあの門を見た時の僕の驚きだよ!七瀬さんも家がお金持ちなこと教えてくれれば良かった「まあ、いいじゃない。」
どれだけ自分が驚いたかを伝えようとする先間に、香織が声を被せるようにして言った。
「びっくりして、女の子の家にお邪魔するっている緊張も吹き飛んだでしょ?」
「そうそう、そんな緊張は一気に...え?」
目を丸くする先間に、再度ニヤリと笑った香織は言った。
「どうせ先間女の子の家初めてでしょ?ガチガチに緊張してる状態じゃ夏休みの計画も碌に立てられないわよね?だから今緊張してないなら、結果良かったじゃない。」
胸を張りながら「私に感謝しなさい。」と言う香織に、先間は二度三度と悔しそうに口をパクパクさせた後、「お気遣いありがとうでした!」と叫んだ。
「ところで...。」
先間の感謝の言葉に満足そうに頷いた香織は、次に彰人を見た。
「なんで豊島はそんなに通常運転なのよ。」
「なぜとは?」
「だから、葵の家を見て驚くとか、慄くとかないわけ?」
「まあ、比較的大きな家に住んでいるのだな。七瀬は。」
先間と対照的に冷静な顔でそう言った彰人は、葵をちらっと見た。
葵は少し顔を赤らめる。その光景を見て、香織は大きなため息をついた。
「面白くないわ。あんたもちょっとは驚きなさいよ。なによ、涼しい顔しちゃって。」
「そう言われてもだな...。」
つーんと顔をそむける香織に、彰人は困った顔をしながら心の中で呟いた。
(元の世界で我が暮らしていた城と比べるとどうにも...。おそらくこの日本ではこのサイズの家は豪邸に入るのであろうが、元の世界ではそれほど接点のなかった下級貴族の家よりも、もう一回り小さなサイズだからな。驚くには無理がある。)
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それから4人はテーブルを囲み、夏休みの予定を立て始めた。
途中「失礼いたします。」とお茶を運んできてくれたお手伝いさんの姿に先間が恐縮したり、香織から「そう言えば島ちゃん来れなくなったわ。」とテヘペロしながら告げられた先間がこの世の終わりな顔をしながらも、ある程度話し合いはまとまりつつあった。
「で、肝心の行先はどうするのさ?」
ひと段落したタイミングでお茶を飲みながら、先間が言った。
そう話し合いの最初で行先を決めようとしたのだが、香織から「まあまあそれは後で大丈夫だから。」と言われ、どこに行くかを知らないまま予定を立てていたのだ。
「バーベキューとかスイカ割とか花火とか...色々と予定は立てたけど、結局どこの海に行くの?」
いくつか近隣の海水浴場の名前を言う先間だったが、香織は首を振ってそれらを否定する。
どういうこと?と困惑する先間だったが、香織は「家がヒントって言ったのに。」と言いながら葵の方を見ると言った。
「行先は...2人とも葵にお願いしなさい。」
「え?」
香織の言った言葉の意味が分からず、先間はポカーンとした。
実際にこのあたりの海水浴場の名前も知らなかった彰人ではあったが、それでも葵にお願いの意味は分からず首をかしげる。
そんな2人に「もう香織は...。」と苦笑しながらも、葵は言った。
「実は...私の別荘に行こうと思ってるの。」
「べ、別荘!?」
葵の口をついて出た馴染みのない“別荘”というキーワードに、先間はぎょっとする。
「そうなの。ちょっと船で移動したとこにある島の中に、私の家が所有する別荘があって...いつも私と香織は夏休みにそこに遊びに行ってるの。」
「し、島...。」
さらっと出るお金持ちキーワードに、そろそろ先間の脳みそは限界を迎えつつあった。
そんな先間の目の前で香織は葵に抱き着く。
「ほんとにいつも最高の思い出をありがとう!」
「そんな大げさだよ。どうせ私たちが行かないとあの別荘も放置されたままになりそうだし、逆に有効活用してくれてありがとうって感じだよ。」
頬にほおずりする香織に、葵はそう返している。
そんな2人をぼーと見ながら、「同級生の女の子と別荘で海水浴...え?僕の人生始まってない?」と呟いていた先間だったが、ふと思いついたように言った。
「でも急に男の同級生が別荘に行くってなったら、七瀬さんの親怒らないかな?」
そう言った瞬間、香織がぴくっと体を震わせ、動きが止まる。
葵は柔らかく微笑んだまま先間を見ると、一言だけ言った。
「大丈夫。」
「え?でも、さすがに挨拶くらいはしといた方がいい気が...あ、丁度家にもお邪魔させてもらってるし今日お母さんとかお父さんって帰ってく「ねぇ!」
流石に高校生の男女が泊まりで遊びに行くなら、親の許可はもらっておいた方がいいんじゃないかと考えた先間が、もし今日親に会えるなら挨拶でもしようと思い、葵にその話をしている途中、葵から離れこちらを見た香織の声が響いた。
「...2人ともまだ別荘を使わせてくださいって葵に言ってないわよ。」
急に話をもとに戻した葵に先間は目を白黒させる。
しかし先間が口を開く前に、隣にいた彰人がずいっと体を前に出して言った。
「七瀬よ。別荘を使わせてくれ。」
「そ、そんな、こちらこそ使ってください。ありがとうございます。」
頭を下げながらお願いを口にした彰人に、葵は慌てながら何度もペコペコし、「別にお願いしなくていいから!」と言いながら。横目で香織を睨んだ。
香織は軽く笑いながら「ごめんごめん。」と葵に謝ると、「じゃあ、これで今日話そうと思ってたことは一通り話せたし、いつも通り外で少しバトミントンしていい?」と言った。
そう言いながら香織が指さした先は、先ほど彰人たちが入ってきたふすまとは逆側だ。
そこには障子が並んでいるが、香織の口ぶりから察するにその先にはバトミントンができるスペースがあるようだった。
家の中でバトミントン?と首をかしげる先間だったが、葵は頷きながら言う。
「いいよ。」
「ありがとう!じゃあ...先間やりましょう!」
「え!僕!?」
香織からの突然の指名に、先間は飛び上がって驚いた。
てっきり香織がバトミントンをするなら相手は彰人だろうと考えていたので、本当に予想外の指名だ。
そのため「彰人じゃなくて?」という先間に、「夏休みまでに少しでも体力を付けてもらわないと、海で楽しめなさそうじゃない。」と言いながら香織は立ち上がって、障子をバッと開く。
そこには大きな中庭が広がっていた。
数本立っている松の木や、遠くには優雅に鯉の泳ぐ池もある。
それを見た先間は頬をひくっと動かしながら、「家の中に...お庭。」と呟いた。
香織は「ほら、行くわよ!」と言いながらいまだに呆然としている先間の腕を掴むと、半ば引きづられるようにして庭へと歩いていく。
「て、手加減してよ~。」
と先間は情けない声を出しながら、障子の向こう側へと消えた。おそらくその先にラケットなどバトミントンのセットが置いてあるのだろう。
そんな2人を見送りながら葵はくすくすと笑っていた。しかしその顔をじっと見ていた彰人は、おもむろにに葵の隣まで移動する。
急に隣に移動してきた彰人に葵は驚き、顔を真っ赤にした。
そして「どうしたの?」と言いかけたが、こちらを見る彰人の顔があまりに真面目で、思わず口をつぐんでしまう。
若干の緊迫感が流れる空気の中、彰人が口を開いた。
「七瀬。親の事で何か悩みでもあるのか?」
その言葉を聞いた葵は、さっと表情を変えたのだった。




