第八十四話 彰人、調査される 後編その2
活動報告には書いたのですが、今回の話は7月18日にありました凄惨な事件である京アニ放火事件と内容的に被っている部分があります。
もし不快に感じらえる方は、特にストーリーに影響をしてくるお話ではないので、飛ばしていただければと思います。
鋭い目線で燃え盛るアパートを見る豊島くんの後ろで、先間くんは泣き崩れている女性の元にしゃがみこむと声をかけた。
「大丈夫です。絶対に。」
そう言いながら地面に散乱する食材などを一つ一つビニール袋に入れていく。
そして最後に赤ちゃん用のおやつを手に取ると、直接女性へと手渡した。
「これは必ず必要になります。だからしっかり持っていてください。...そうだよね?」
「ああ、そうだ。」
先間くんからの問いに短く答えた豊島くんは、アパートを取り巻く人たちが見守る中、そのまま足早にアパートへ向かって歩き始めた。
それを見ていた私はもちろん息をのみ、周りにいる人たちからも注意する言葉が飛んだ。
しかし、それらの声を聞いても一切立ち止まる気配のない豊島くんは、そのままアパートへ向かってどんどんと歩みをすすめると、扉が開かれている正面の玄関から建物の中へと姿を消したのだった。
「おいおい!大丈夫かよ!」
「まだ高校生くらいだったぞ!」
「消防車はまだなの!」
急にその場に現れ、単身燃え盛るアパートの中へ突入していった豊島くんに、周りの人たち間にはプチパニックを起こしかけていた。
その中で私も信じられない思いで豊島くんが入っていった玄関を見ていた。しかし、先ほど颯爽とあの玄関へと歩いていく豊島くんの後姿からは、一切の恐れも迷いも感じられなかった。
それが私の見間違いなのか、それとも豊島くんが無謀なほどの正義感を持ち合わせているのか。
今の混乱した状況で定かなことは言えなかったが、ただ一つ分かることは今もなお女性をフォローしながらアパートを見つめる先間くんの目にも不安はなく、そこからは絶対的な信頼が見て取れるということだけだった。
************
豊島くんがアパートの中に入って5分くらいたった頃。
まだ到着しない消防車に周りの人たちは焦燥感が増していき、誰もが祈るようにアパートを見ていた。
そんな時、アパートの正面にいた1人の男性がぐっと身を乗り出した。
「おい!あれ、さっきの高校生じゃないか!」
その一言をきっかけに、周りの人が一斉に玄関へと注目する。
私も目を凝らして凝視する中、そこには確かに揺られる炎の隙間から一瞬人の影が見えた気がした。
そして次の瞬間、腕に抱いた赤ちゃんをもう片手で炎から守るようにして、豊島くんが玄関から姿を現した。
うおおおお
歓喜の声が辺りに響いた。
私は先間くんを見れば、誰よりも喜びながら隣にいる女性に向かって何やら声をかけている姿が見えた。
そして赤ちゃんの母親である女性は感極まった様子で、顔を手で覆った。その姿を見て、私もホッと胸をなでおろした。
その瞬間だった。
私が目を反らしていたアパートの方から、バキッという音が響いた。
(何、今の音...!)
その不穏な音に私が再度アパートの方を見た時、さっきまでまっすぐ立っていたアパートが玄関側に斜めになっているのが見えた。
つまり、火で損傷が激しくなったアパートは自重を支えきれなくなり、今出てきたばかりの豊島くんと赤ちゃんがいる方向に向かって崩れてきているのだった。
さっきまで笑顔の多かった人たちの間に、一瞬にして戦慄が走った。
そして女性の悲鳴が多数響き渡った。その中の1つが自分が上げた悲鳴だと気づく。
「彰人!」
悲鳴の中、先間くんの声が聞こえた。
しかし、豊島くんは自分に向かって倒れてくる建物には一瞥もせず、赤ちゃんの上にそっと腕をかぶせるとその場で立ち止まったのだった。
(...え?)
次の瞬間、私は目を疑った。
というのも、建物が落ちてくる寸前、豊島くんの体から赤い光のようなものが一瞬にして辺りを駆け抜けた。
その赤い光はもちろん落下してくる建物の破片にも当たったのだが、その瞬間その破片を包む炎がまるで生き物のように豊島くんを避けるように動くと、破片もその炎の動きに引っ張られるようにして豊島くんを避けたのだ。
しかしそれが確認できたのは一瞬の事で、断続的に振ってくる建物によって瞬時に豊島くんの姿は見えなくなった。
辺りに火の粉が盛大に飛び散り、周りの人も顔を覆いながら思わず後ろへ下がる。
しかし私はその中でも、崩れ落ちてきたアパートの中心に目を凝らしていた。
(なんでだろう...理由は分からないけれど、豊島くんは無事だという確信があるわ。)
そう思った瞬間、火の粉が風に煽られたようにバッと分かれ、その中からコツコツと歩いて豊島くんが出てきた。
その腕にはしっかりと赤ちゃんが抱えられている。
「だ、だいじょ...あ!」
崩れた建物に再度目を向けた周りの人たちも、無事な様子の豊島くんと赤ちゃんに気づき、驚きの声を上げていた。
しかしそんな中でも、豊島くんは一定のペースを保ったまま女性の傍まで歩いていく。
そしてそのまま女性の前に立った豊島くんは、おもむろに女性に声をかけた。
「おやつはあるか?」
「え?...あ...。」
目の前で崩れた建物から出てきた高校生の一言があまりに予想外で、女性は思わず目を瞬く。
しかし少し前先間くんから手渡しされたおやつはまだしっかりと手に握りしめていたようで、それをちらりと見せた。
「うむ。」
おやつを見た豊島くんは一度満足するように頷くと、赤ちゃんを抱いた腕を優しく女性に伸ばしながら言った。
「どうやらお腹が空いてるようだ。そちらを食べさせてやってくれ。」
そう言って差し出された赤ちゃんは、泣いたような跡が残っていたものの、健康そのものだった。
震える手で赤ちゃんを受け取った女性は、その姿をしっかりと確認する。
「ばー。」
そう言って赤ちゃんが鳴き声を上げた瞬間、女性の目からも涙が零れ落ちた。
そしてそのまま胸に抱きかかえると、豊島くんを見た。
「本当に、なんてお礼を言ったらいいか!ありがとうございます!」
「良い。我も助けることができてひと安心だ。」
そう言った豊島くんはにこりとほほ笑んだ。
その隣で「これ、ここに置いておきますね。」と言った先間くんは手に持っていたビニール袋を女性の足元に置くと、そのまま豊島くんの隣に並んだ。
そんな2人に向かって女性は再度大きく頭を下げると何度もお礼を言った。
「そう言えば、あなたたちのお名前は...。」
女性がそう言って顔を上げた瞬間、遠くから消防車のサイレンの音が聞こえてきた。
周りの人たちはそのサイレンが聞こえた方向に顔を向け、「これで炎が消火されればひと安心だ。」と口々に呟いた。
そんな中、私もサイレンが聞こえた方向に顔を向けていたのだが、その瞬間背後から黒色の光が空を走り抜けていった。
ビックリして思わず振り向いた私は「あ、あれ?」という声が口をついて出る。
そこには先まで豊島くんたちに向かって一生懸命お礼を言っていた女性が、1人で立っていた。
そう、その近くに豊島くんと先間くんの姿がなかったのだ。
私はどこに行ったんだと周りをキョロキョロと確認するが、2人はどこにも見当たらない。
(人ごみに紛れて見つけられないのかしら...いえ、でもあんな短時間で...?)
私は首をかしげていると、周りから聞こえてくる会話にも違和感を覚えた。
それは先ほどまでほとんどの人が「あの高校生たちすごい!」と豊島くんと先間くんを称える会話をしていたのだが、いまは一転「火事は悲惨だけど奇跡的に誰も怪我をしなくてよかった。」と、なぜかはなから危険だった赤ちゃんの存在がなかったかのような口ぶりで話しているのだ。
(さっきまであんなに豊島くんたちの功績を褒めてたのに、なんで急にそんな口ぶりに...。)
しかし私のそんな考えは、後ろから聞こえてきた会話によって吹っ飛んだ。
「良かったですね。赤ちゃんに何もなくて。」
「ええ、近所で買い物を済ませる予定だったんですが、なぜか今日はこの子も連れて行った方がいい気がして...虫の知らせですね。」
(な...なんで...。)
そう、私が見つめる先でその会話をしていたのは、先ほど豊島くんが赤ちゃんをアパートの中から救い出したその母親本人だった。
今は近所の知り合いなのだろうか、ある1人のおばさんと話をしているのだが、その内容が完全に最初から赤ちゃんを買い物に行く際に連れて出た、という風になっている。
私はその場に呆然と立ち尽くした。
「なにが、どうなって...?」
そう呟いた私の声と疑問は、到着した消防車から降りくる消防隊員の大きな声と周りの騒音に、かき消されていった。
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「今日は疲れたわ...。」
お風呂から出た私は、そう言いながら椅子に腰かける。
ドライヤーで乾かした髪を後ろで束ねながら、今日一日を思い返した。
朝霧さんたちとカフェで話して、豊島くんたちに本屋で弁明して、それからあの火事だ。まさに怒涛の休日と言っていいだろう。
「あ、そう言えば...。」
私は鞄の中から1冊のノートを取り出した。
それは豊島くんに関するメモを書き連ねているノートだ。今日はカフェで七瀬さんから話を聞いたところで止まっている。
私はその中の1ページを開き、今日の火事現場で起きた出来事を記録しようとペンを手に取った。
しかし、何度かペンでトントンとノートを叩いたのち、私は大きく息を吐きノートを閉じた。
(別に豊島くんがどういう人であろうと関係ないじゃない。たとえ周りが忘れようと、どれだけ彼の周りで不可思議な出来事が起ころうと、彼は火事になったアパートから迷いなく赤ちゃんを救える人。...私がそれだけが分かっていれば、十分ね。)
そこまで考えた私は、ノートを両手で持つと、一気に真っ二つに割いた。
更に中の文字が判別できないよう何度から破くと、テーブル横のゴミ箱にバサッと捨てたのだった。
先生は、魔法の余波を感じられるようになってしまいました。




