第七十八話 強さの間違い探し 後編
ゴシャァ
「え?」
後ろから聞こえた凶悪な打撃音に、思わず男は振り向く。
そこで見たのは、先ほど儚げな女性に片手を伸ばしていたもう一人の仲間が、宙を舞う姿だった。
一瞬何が起こったのかわからず頭が真っ白になる。
しかし次の瞬間、一瞬空中で男の姿が止まったかと思うと、その体の向こう側からヒールを履いたかかとが見えた。
(...かかと?)
そう男が思った時には、すでに恐ろしい勢いでそのかかとは振り下ろされており、空中にいた男の体は地面へと叩き付けられた。
「ぐえぇっ!」
地面へと激突した男は、喉の奥から絞り出されたようなうめき声を上げた。
しかし地面へと叩き付けられた勢いが凄まじかったせいか、男の体はそのままバウンドするように再度空中へと浮き上がる。
「ふふっ。」
そんな男の向こう側に立っている女性の顔は、幸せでたまらないといったような恍惚な表情をしていた。
だがその表情を確認できたのも一瞬で、すぐに髪の毛で見えなくなってしまう。なぜなら、女性はその場でヒールを履いた右足を軸に、体を横回転させたからだった。
ドゴッ
そんな打撃音を響かせ、女性の回し蹴りが地面からバウンドし、その頂点に差し掛かっていた男のお腹の辺りへ突き刺さった。
男の体は弾丸のような速度で吹き飛ぶと、壁へと激突した。
女性はそのままふわりと体を回転させると、優雅な動作で元通りの姿勢へと戻った。
「な...え...」
そんな仲間の惨劇を目の前で見せられた最後の男は、呆然とその場に立ちつくす。
この女性は何なんだ、人の体ってあんなに浮くものなのか、そもそもあいつは生きてるのか、そんな疑問が頭の中を無数に飛び交い、その場から一歩も動けないでいた。
しかし現実はさらに無慈悲だった。
男を蹴り飛ばした女性は、ゆらゆらと地面に転がる男の方へと近付いていくのだ。
どう見ても男はすでに気絶しているのにも関わらず、髪の隙間から見える口元に笑みをたたえながら、少しづつ近付いていく女性に男は制止の声をかけようとする。
しかし金縛りにでもあったように、体が動かない。そして男は気づいた。
自分は今、目の前の女性に恐怖しているのだった。
「おい、待て!」
しかしその時そんな声と共に、男の横を誰かが通り過ぎていく。
それは島だった。
「妹よぉ、それまでにしとけよぉ。」
そう、先ほど裏路地に現れ、今しがた男を蹴り飛ばした女性は、島の妹だった。
島はそう言いながら、妹の肩に手を置く。
しかし次の瞬間、島妹の体が再度回転した。
パシッ
そんな乾いた音を響かせ、島妹の放った裏拳は彰人の手によって止められた。
島は目を白黒させながらも、彰人に向かって軽く頭を下げた。
「あ、兄貴、すまねぇ。」
「別に良い。」
彰人はそう答えると、目の前の島妹に向けて言った。
「落ち着け。力の抑え方は前に教えただろう。」
「...豊島君?」
彰人がそう話しかけた瞬間、島妹の体からふっと力が抜け、髪の毛で隠れてた顔が見えるようになる。
そして少し驚いたように目を大きくした女性はそう呟いたのだった。
島妹の雰囲気が変わったことを確認した彰人は、掴んでいた腕を離す。
そして少し呆れたようなため息をつくと、腰に手を当てて言った。
「全く...教えを守らないのであれば、教えた意味すらなくなるではないか。」
「ごめんなさい。私また...。」
彰人の説教を受け、島妹はしょぼんと肩を落とす。
「え?え?兄貴ぃ...俺の妹と知り合いなのかぁ?」
その光景を見ていた島は、目を見開きながらそう質問した。
「前に少しな。」
「私が以前殿方たちと揉めていた際、助けに入っていただいたのです。」
「えーとぉ、それはもちろん男を助けにだよなぁ?」
「そうに決まっておるだろう。その時もすでに何人かはこの状態だったのだ。」
彰人はそう言いながら地面を指さした
そこには先ほど島妹の回し蹴りで壁に叩き付けられ、ノックアウトされた男が転がっていた。
だよなぁ、と島は呟き、女性は恥ずかしげに目を伏せた。
「一度妹があのモードに入ると止めるのに苦労するんだぁ、兄貴には感謝だぜぇ。」
「お互い似たようなものだがな。...ところで、お主はなぜこんなところにいるのだ?」
彰人はそう島妹に尋ねる。
島妹は「そうです。」と言いながらパッと顔を上げると、むっと頬を膨らましながら、島を睨んだ。
「兄様が待ち合わせ場所にいなかったから、探していたのです。」
「待ち合わせ?」
「そうだぁ。最初にいたカフェで俺は妹を待ってんだよぉ。」
島はそう言いながら「すまん」と手を合わせて島妹に謝る。
「謝っても駄目です。私を置いてこんなところで楽しい遊戯...」
おほん、と彰人は咳をし、島妹をチラリとみる。
「...ではなく、喧嘩をしているなんてひどいです。」
「別にこれはぁ、俺が誘ったんじゃなく...」
「言い訳は聞きません。」
そう言ってぷいっと顔をそむける島妹に、彰人は言った。
「まあ、そう言うな。島はカフェの中で朝霧を助けてくれたのだ。」
「え?香織さんをですか?」
このタイミングで香織の名前が出ることは想定外だったのか、島妹は目を丸くして驚いた。
彰人は「そうだ。」と言いながら頷く。
「我らもそのカフェで待ち合わせをしていたのだが、カフェの中で朝霧がナンパをされてな。まあ、その男どもが先ほどお主が蹴とばした奴らになるのだが。」
「そういうことなら、きちんと殺しますね。」
彰人の言葉を聞いた瞬間、目が狂気に染まった島妹を「やめんか。」と言って止める。
「先ほどので十分だ。もう良い。...それよりお主たちはなぜあのカフェで待ち合わせをしていたのだ?」
「私たちですか?映画を見に来ていたのです。」
「ほう、我らと同じではないか。」
「あら、それは奇遇ですね。ちなみに私が見たのは【ネジれても、巻き返す】という、ある漫画が原作となっている映画でして...。」
「なんと!我もそれだ。では、同じ劇場内にいたということか。」
「あら!全然気づきませんでした。」
彰人と偶然に驚く。
何と島妹も同じ映画を同じ時間帯に見に来ていたらしい。
そういうことならと、彰人は島妹を誘う。
「ちなみに我が一緒に映画を見に来たのは朝霧だけではない。七瀬と倉持、それに先間も一緒だ。」
彰人がそう言うと、島妹は目を輝かせ「まあ、皆さんお揃いなんですね!ぜひ、映画の感想を一緒にお話ししたいです。」と言った。
完全に男たちへの敵対心がなくなった島妹の姿に、彰人は少しホッとしながら島を見て言った。
「ということなので、カフェに戻るとしようか。」
もちろん香織たちの事は知らず、先間との間には苦い思い出しかない島は、少し迷ったような素振りを見せるが、妹からの「いいじゃないですか。行きましょう。」という言葉に最終的には頷いた。
「じゃあ、決定ですね!ほら、兄様早く!」
島妹は嬉しそうにそう言うと、島の腕を掴みずんずんと歩き始めた。
彰人は先に歩き始めた2人の後ろで軽く辺りを見回す。
(まあ、これくらいならば特に我が手を出すまでもないか。見る限り島妹にやられた方の男も、大きな怪我はなさそうだ。...まあ、一応我の教えを無意識のうちに守ってくれているということなのだろうか?)
彰人はそう思いながら、先を歩く島妹をちらっと見る。
その瞬間だった。後ろから声が響いた。
「オラァァアア!」
************
最後の一人になった男は考えていた。
最初に喧嘩を挑んだ『島』と呼ばれている男は、圧倒的な強さを誇っていた。
確かに最初からガタイの良い男だとは思っていたものの、あの強さは常軌を逸している。
しかし、だからこそ次はその『島』の知り合いだと思った女性を狙った。
あのタイミングでひょっこりとその女性が現れた時は、神が俺らのために遣わせた天使だと思った。
でも、実際は違った。あれは悪魔が遣わした悪鬼だった。
そもそも女性という目線を抜きにしても、あの強さはおかしい。
人はあんなに簡単に宙に浮かないし、あんなスピードで蹴り飛ばせない。
それに最後、ゆらゆらと歩くあの姿といったら...今思い出しても小便をちびりそうな思いだ。
2人目の仲間もやられ、俺が1人になった後、3人は「カフェ」だ「映画」だとまるで俺がその場にいないかのように和やかな会話を続けていた。その中で女性は、『島』と呼ばれる男の妹だったことも判明した。
それを聞きながら「あの強さはそういうことか...」と思った俺は、それでも悔しさに拳を握りしめていた。
ここまで一方的に喧嘩には負け、俺に至っては眼中にすらない様子。
どうにかして一矢報いたいものの、無策で挑んでも返り討ちに合うのは目に見えている。
流石に2回連続であんな惨劇を見せられて、それでも挑むような馬鹿ではない。
でも、悔しい...。それに、さっき呼んだはずの先輩からもメッセージが返ってこなくなった。
なんでだ!正直、島と呼ばれる男だけではなく、その妹が加わったことによって、先輩が来たからと言って勝てる見込みは薄くなった。
でも、それでも挑むとあれば先輩しかいないのに!
...いや、待てよ。
なぜ、気づかなかったんだ。もう1人いるじゃないか。
最初からやたら偉そうな態度を取り、一歩離れた位置から喧嘩を眺めているだけだったから意識が向かなかったが、もう1人『兄貴』と呼ばれてる男がいる!
しかし、何度も言うが俺は馬鹿じゃない。
あの連中、特にあの島という男から『兄貴』と呼ばれるような男だ。絶対に普通じゃない。
だからこそ、俺も確実に一矢報える方法を選択しないと駄目だ。
そのためには、まずは武器だ。
あいつらが話に夢中になっている隙に探すしかない...あった!
さっき『島』という男に蹴とばされた鉄パイプだ。これでいい。
後はあの『兄貴』と呼ばれている男が、他の2人から少しでも離れるタイミングがあれば...。
...!来た!
他の2人が先に歩き始めたおかげで、なぜかその場でキョロキョロしている男が1人になった。
今しかない!いくらこの男が普通じゃないと言っても、あの2人みたいに規格外じゃないはずだ!
ここでやるしかねぇ!
「オラァァアア!」
俺は鉄パイプを振りかざし、男へ迫った。
その時、男はこちらをゆっくりと振り返り、俺の事を見た。
そして驚くでも、恐れるでもなく、顎に手を持っていくと退屈そうにこう呟いたのだった。
「ふむ。」
その日、俺は星になった。




