第六話 新たな両親
彰人は薄暗い部屋で目を覚ました。少し顔を動かし、部屋の壁にかかっている時計を見る。
針は5時半を指していた。
まだ太陽は上がりきっておらず、カーテンの隙間からは仄かな明かりが漏れてきている。
彰人は、体を起こすと、大きく伸びをした。
元の世界にいたころから彰人は早起きだ。その習慣はこちらの日本に転移してきた後も変わっていない。
その理由は目覚めてから朝食を食べるまでに行う日課にある。
彰人はまずベットから出ると、一通りのストレッチを行った。
その後、手のひらを上にした状態で、軽く両手を前に突き出す。詠唱を小さく呟いた。
すると、彰人の目の前に七色の光が現れた。
赤、青、緑、茶色、黄色、白色、黒色に輝く光は、それぞれが『火属性』『水属性』『風属性』『土属性』『雷属性』『光属性』『闇属性』の魔法元素を指している。
元の世界でも、同時に七つの魔法を操れるのは、国王、宮廷魔術師を除けば一握りしかいない。その中でも、10代で操ることができたのは歴史上でも彰人だけであった。
最初は淡く光っているだけの魔法元素だったが、少し明るく輝くとゆっくりと動き始めた。
最初は時計周りに一周、その後はそれぞれがばらばらの動きで彰人の周りをふわふわと漂い続ける。
ある程度、それらの準備運動をつづけた後、光が元の位置に戻ってきた。
一度彰人がゆっくりと息を吐く。
それから、互いの元素がゆっくりと近づき、光が合わさった。合わさった部分では光の色が変わるのではなく、お互いの色は保ったまま、ぐるぐると渦を巻いている。
彰人は次々と互い違いの魔法元素を組み合わせていく。額からはゆっくりと汗が流れるが、それを拭うこともなく鍛錬を続ける。
全ての元素の組み合わせが終わり、もう一度彰人がゆっくりと息を吐くと、光は徐々に薄れていき消えた。
これが彰人の日々続けている日課であり、魔法の鍛錬だった。
特に日本に移転してきてからは魔法を使う機会がなく、元の世界よりも念入りに鍛錬を行っていた。
全ての日課が終わりもう一度時計を見ると、針は7時前を指していた。
彰人は自室から出ると、1階のリビングへと向かった。
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「おはよう。」
「あら、おはよう。」
リビングに入る扉をあけながら挨拶をすると、奥にあるキッチンから同じく挨拶が返ってきた。
豊島佳乃、彰人の母だ。
彰人はそのままテーブルに着くと、目の前に座っている男性にも声をかけた。
「父さんもおはよう。」
「うむ。」
新聞に目を通しながら、返事をしたのが豊島明。もちろん彰人の父である。
彰人の目の前にコーヒーが置かれた。
「もう、何回言ってもちゃんと返事をしないんだから。」
佳乃が明のほうを見ながら、ぼやいた。
まるでその言及から逃れるように、明は手に持った新聞を少し上に持ち上げた。
佳乃ははーっとため息をつくと、彰人のほうに向き直り、ほほ笑みながら言った。
「今日はカレーパンなの。チーズ入り!」
後ろ手に隠していたパンを「じゃん」と言いながら、彰人の前に置いた。
カレーのいい匂いがする。彰人は「ありがとう」と言いながら、パンを一口食べた。
もぐもぐと口を動かす彰人を佳乃が固唾を呑んだ様子で見守る。
彰人はそのままコーヒーも口に運んだあと言った。
「うむ。よい味だ。」
佳乃が目をぱっと輝かせた。
「しかし、」
佳乃の目がさっと曇った。
「チーズの風味が強すぎて、カレーのスパイスが活きていない。これだと、チーズはパンの上にまぶしたほうがいい。それと...」
彰人がアドバイスする。佳乃はうんうんと頷きながら、メモを取る。
一通りメモを取り終えた後、佳乃はそのメモ帳を明のほうに突き出した。
「てことよ、お父さん。頑張って。」
パン職人である明は新聞紙をテーブルに置くと、メモを受け取った。
大柄な明はそのままゆっくりとテーブルを立ち上がると、口元に蓄えた髭を一度手で撫でると「うむー」と呟きながら、工房に入っていった。
「ほんと自分で意見を聞けばいいのに。新聞読むふりなんかせず。」
佳乃が『まったくもうっ』といった様子でその後姿を見送った。
彰人は残りのカレーパンをもぐもぐと食べながら、明がテーブルに置いた新聞紙に目を落とす。
先ほどまで明が広げていたページには、【今主婦に話題の赤ちゃんグッズ!】の文字が躍っていた。
****************
「忘れ物はない?」
朝食後、一度自室に戻り学生服に着替え、学校に行く準備を整えた彰人に佳乃が声をかけた。
「大丈夫だ。では行ってくる。」
彰人は学校指定のバックを片手に持つと、裏口の扉を開け外に出た。
ポカポカとした陽気が、彰人を包んだ。今まではまだ寒い日もあったが、5月にもなり暖かい日も増えてきた。
そのまま家の前に回ると、木でできた看板を見上げる。
【パン工房 YUTAKA】
(自分の苗字の一文字だけを取って、ユタカとは...おそらくほとんどの客はオーナーの名前だと勘違いしているだろうな。)
彰人は両親の顔を思い浮かべながら思ったのち、何度目かになる転移初日の回想を始めた。
この世界の両親は、不器用だけど頑張り屋のパン職人である明と、店舗のレジなどを手伝っている優しく明るい性格の佳乃だ。
転移初日、元の世界で「この場所にあるパン屋と呼ばれる店舗が、転移先のお前の家になる」と聞いていた通りの場所に行くと、この【パン工房 YUTAKA】の看板があった。
彰人は(ユタカ...?確か両親の名はアキラとヨシノのはずだが...)と少し不安になりながらも、パン屋の扉を開けた。
すると家の中から小柄な女性が出迎えてくれた。
「おかえり。ずいぶん、長いこと散歩してたのね。」
なぜかその女性の声を聴いた瞬間、直感的にこの女性が母親だとわかった。
黙っている彰人を不思議に思ったのか、佳乃が少し首を傾げた。
すると佳乃の奥の部屋から、他の男性の声が聞こえた。
「どうした。彰人も帰ってきたなら、早くご飯を食べよう。」
こちらもその声を聞いて瞬間に、父親の声だと感じた。
佳乃はクスッとほほ笑むと、彰人を手招いた。
「ほら、お父さんもお腹が減ってるみたいだから、そんなところに突っ立てないで早く入って入って。」
その母親の姿を見て、そして父親の声を聞いて、彰人は心の中にあった不安が溶けていくのを感じた。
不安の尽きない今回の試験だが、彰人がその中でも転移後一番最初の不安事項だったのが、転移後の両親の存在だった。
事前に日本の夫婦の間にいる子供として転移する、とは聞いていたが、元の世界でも親を持つ彰人にとってその夫婦をきちんと両親として認識できるのか、その不安はとても大きなしこりとして胸の中に詰まっていた。
しかし、目の前で笑顔で出迎えてくれている女性は、彰人の母親以外の何物でもない。
それに、こちらを気にしてか佳乃の奥にある半分空いた扉からひょこっと顔をのぞかせた男性も、彰人の父親だ。
彰人は強くそう感じていた。
だからこそ、この言葉も一切の外連なく自然と口をついて出ていた。
「ただいま。」
その日、改めて武術と魔法の天才アンガス=ドローレンスではなく、パン屋の息子である豊島彰人の日本での生活が幕を開けたのだった。
あけましておめでとうございます。
年末年始にかけ、更新ができておりませんでしたが、今日からまた頑張ります。
よろしくお願いいたします。