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第六十七話 動き始める不穏 前編

(はあ...今日もうまく喋れなかったな...)


葵は家の机に突っ伏しながら、今日の学校での出来事を思い返していた。

朝は「おはよう」と挨拶をしただけ、昼休みはお昼ご飯を食べに行く前に喋るタイミングがあったけど2~3言話しただけ。

更に放課後にいたっては、なにやら予定があったみたいで先に帰っていったため何も話せていない。

そう、今日を通して彰人と喋れたのがそれだけなのだ。葵は大きなため息をついた。


(なんで豊島君と喋るときあんなに緊張しちゃうんだろう...まあ...理由は分かってるけど...。)


葵は高校生になるまで異性に恋をしたことがなかった。

控えめに言っても葵の容姿はかわいい方だ。ふんわりとしたボブカットに柔和で少したれ気味な目。さらに左側の涙ぼくろがチャームポイントだった。

しかし元々奥手で引っ込み思案な性格なこともあり、あまり男子と仲良く遊んだりした記憶もない。

(ちなみに香織はというと、小学生の時から男子がいたずらをするごとに怒って追い回していた。葵はそれを後ろの方で困ったように笑いながらじっと眺める係だった。)


何なら中学生の時に一度自分を好きだという男子に告白をされたことがあるが、無言のまま首を振り逃げてしまったこともある。

別にその子を嫌いだったわけではない。確かにそれほど喋ったことのある関係性でもなかったが、それでも優しくていい子だなくらいの認識は持っていた。

しかし当時の葵はどうしても”恋をする”という感覚が分からず、相手が自分に対してぶつけてくるその気持ちを怖いと思ってしまったのだ。


しかしそんな葵も高校へ進学し、少し肌寒い体育館で校長の長い話を聞いた入学式の後だ。

初めて顔を合わせた同級生たちと教室で行った自己紹介タイムの時、ある一人の生徒を見た瞬間に電撃が走った。

まず今まで見た男子、いや大人も含めていい。男性という枠組みの中で一番の美形に見えた。

それにどことなく大人びた清廉な雰囲気を纏っていた。

確かに自己紹介の一声が『我の名は~』から始まったのにはびっくりした。それに大抵は近くの中学校から入学してくる生徒が大半な中で、すでに名前も忘れたが一人遠くの聞いたこともない土地からこちらに引っ越してきたというのも珍しかった。


しかし葵の胸のドキドキは、その生徒を見てから自己紹介が終わるまで鳴りやむことはなかった。そしてさらに自己紹介が終わった後も、気づけばその生徒を見ている自分がいた。

初めての感覚に最初は戸惑っていたが、それでも理解した。

私は先ほど自己紹介をした生徒、『豊島彰人』に恋をしたのだと。


しかしだ、そのような経緯で唐突に恋に落ちたのが入学式の日。つまりは4月だ。

それからいくつもの日にちが流れ、今ではすっかり季節も夏に突入しかけている。

それなのにだ、私の恋は少しも進んではいなかった。

原因は自分にあると思う。やはり初めてした恋ということもあって、その感情との向き合い方が分からない。

自分の中に芽生えている感情のはずなのに、いつも恋に振り回されてばかりだ。

彰人の目の前に立つだけで顔は上気し、手足は思ったように動かず、声は上擦る。

そして今日のように家に帰ってから一人で反省会をするのだ。


(挙句の果てにはこんなものまで大事に取ってるなんて...)


葵はそう思いながら机の上に置いてあるスマホを手に取り、ギャラリーから一枚の写真を表示させる。

そこには一枚の解答用紙が映っていた。

しかしただの解答用紙ではない。いつかのテストの時、ついつい盗み見てしまった彰人の解答用紙に書かれていた謎の数式を撮った写真だった。

それを眺めながら思わず卑屈な笑いが零れる。


(あの時は咄嗟に写メで撮っちゃったけど、今思えばただの落書きだよね...それを今でも保存してる私って。)


しかし毎回その写真を見るたびに、なぜだか胸が少しざわめくのだ。

最初は(豊島君の物だから)と思っていたが、最近になってどこか違和感を感じ始めていた。

いくら彰人が書いたものとはいえ、流石にただの数式に何日もときめいたりはしない。

それにこの数式を見ているときの感覚は、ときめきというより...


(恐れ...いや、どちらかというと畏れに近いのかな。数年前に行ったエジプトでピラミッドを見た時に感じた感覚に近い気がする。)


葵はスマホの画面を傾けながらいろんな角度から数式を観察する。

見たこともない言語のような線のうねり、更に幾何学的な模様に加え、これまた見たことのない記号が並んでいる。

相変わらず意味は分からない。しかしやはりどこか惹かれる。

しばらくその状態だったが(そうだ!)と思い立った葵は、机の引き出しを開け白い用紙とペンを取り出した。


(どうせなら模写してみようかな。)


そう考えた葵はスマホを机の上に画面が見えるように置くと、右手に持ったペンでカリカリと用紙に数式を書き始めた。


************


(うん!こんな感じかな。)


葵は出来上がったばかりの模写した数式を見て、満足げにうんうんと頷いた。

元々絵などは得意な方だったが、余りにも見覚えのない記号などが並んでいたこともあり、何度か書き直した。

しかし今回の模写は相当正確に書けた気がしていた。

スマホと見比べても間違えている場所などはない。葵は小さな声で「疲れたー」と呟くと、うーんと体を伸ばした。

そしてふと時計を見れば、結構な時間が経っていた。


(なんか喉が渇いたな...でもせっかく数式もかけたし、ちょっとこの用紙も持って外に出かけようかな。)


葵は数式が書かれた用紙を手に持ち立ち上がると、バッグの中に入れた。

そして(明日は休みだし...どうせ今日も夕飯は一人で食べることになるなら、ちょっと公園でも行ってゆっくりしようかな。)と思い、バッグを肩にかけると部屋から出たのだった。

初めての葵メイン回。

数式ってなんだったっけ?って方は、第二十六話「その数式、危険につき」をご覧ください。

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