第六十六話 白と黒の決闘 後編
(またか...。)
俺は半ば呆れるような気持ちでパソコンの画面を見ていた。
そこには今まで打っていた場所から遠く離れた場所に、ぽつんと置かれた碁石があった。それこそが一手前に相手が置いた碁石だ。
俺はその石を無視しながら自分の手を打つ。
(なんか度々よくわからないところに打つよな、この”SEN”ってやつ。まあ、素人だし気にするだけ無駄無駄。)
そう思いながら碁盤を眺める。
勝負も中盤が終わりかかっており、俺の立てた読み通りに試合は進んでいた。
また俺の募金金額も【1,000円】から変動していない。
(よしよし、このままだと想像以上に低い募金金額で勝負には勝てそうだな...あとは多分相手は次あそこに置くだろうから、その後に俺はここに置いて...お?)
俺が画面を睨みながら手順を確認していた時、相手がまさに今立てていた計画を崩すような場所に碁石を置いてきた。
俺は思わず舌打ちをしかけるが、今は配信中だと言うことを思い出し、ぐっとこらえる。
(ちっ最短ルートは消えたか...じゃあ...こっちだな。)
頭をガシガシと掻くと、俺はマウスを操作し自分の碁石を置いた。
(どうせここから相手はまた長考...あれ?)
今までの経緯から相手は次の手を打つまでにまた考え込むだろうと予想をしたが、まさかの早打ちをしてきた。
俺は若干困惑をしながらも、まあいいかと考え自分の手を打つ。
だが、次も相手は速攻で打ってきた。
「なんで急に打つの早くなってんだ?」
(あ、つい独り言が...)
俺ははっと口をつぐむと、コメントを見た。
マイクが拾っていないことを期待したが、そこには俺の独り言に対して反応するコメントが並んでいた。
「囲碁神様がぼやいたぞ。」
「珍しー」
「まあでも確かに急に相手打つの早くなってね?」
(まあネガティブな印象でとらえてるリスナーはいないな...でも念のため一発盛り上げとくか。)
俺はわざと明るい声を出し、リスナーを煽る。
「どうやら相手もさっさと負けたくなったらしいぜ!お望み通り軽く捻りますか!」
「いいぞーいけいけー!」
「捻っちゃってください囲碁神様!」
「負けるのを急ぐって、かわいそ!」
(よしコメントは盛り上がってるな。じゃあ本当にさっさと終わらせるか。)
配信を盛り上げた俺は再度気合を入れ直すと、盤面を眺める。
相変わらずがぜん有利な状態だ。ほぼ勝ちは確定してると言ってもいいとは思うが、それでも俺は油断はしない。なぜならリアルマネーがかかっているからだ。
最近ではこの配信からお金を稼げるようになったとはいえ、まだ微々たる額だ。さすがに何万ものお金を寄付するほどの余裕はない。
だからこそさっさと終わらせる必要があった。
(俺がここに打った場合、相手がこうきてそれをこう返して...うん、大丈夫だな。)
俺は自分の計算に狂いがないことを確認すると、「いくぜ!」と言いながら碁石を置いた。
しかし次の瞬間、また相手が早打ちをしてきた。だがその場所が問題だった。
(おいおい...そこに置かれると俺の計画が狂ってしまうじゃねぇか!)
そう、今相手が置いた場所はこれから試合を終わらせにいくにあたって核となる場所だった。
俺はイライラを発散させるように貧乏ゆすりをしながら考える。
(落ち着け...たまたまだ。こんなこともある。アンラッキーって奴だ。)
そこまで考えて若干頭を冷やし、再度次に打つ場所を模索し始めた。
(まさか俺の計画がばれてるわけはないんだし、次の最短ルートを探せばいいだけだ。)
そして新たな計画を立てた俺は碁石を置いた。だが、その瞬間に若干の違和感を覚えた。
何か自分自身の碁石を操られているような感覚に(ん?)と思いながら盤面を眺めるが、特にその原因が見当たらない。相変わらず相手が次に打った手がまた早かったことくらいだ。
(まあ...気のせいか...。)
俺は軽く頭を振った。
************
(なんだよ...なんだよこれ!)
俺はマウスを放り投げたい衝動を咄嗟に抑えた。
しかし握る手に力が入ったせいで、マウスからパキッという音が鳴った。
だが今の俺はそれどころではなかった。
画面を穴が空くほど見ながら、必死で頭を回転させる。
(くそっ!このままじゃあ...なんでこんな...。)
画面上ではいまだに俺に有利な盤面に見える。
現に放送を見ているリスナーはなにも気づいておらず、俺を称えるコメントと相手に同情するようなコメントが流れていた。
しかし実際はかなりまずい状況だった。
(最初はあの違和感を感じた瞬間からだ...俺が早くゲームを終えられる手を打つたびにそれを邪魔する場所に次の手を打たれて...それを避けながら打っていくごとになぜかそれ以前に打たれていたあの不自然な碁石たちが丁度ピンポイントでいい場所に打たれていて...最初はただの偶然かと思っていたが、気づけばこれだ。)
俺は頭を抱えながら画面を見た。
そして何度かシミュレーションを繰り返してみるが...結末は同じだった。
(このままだと...かなりの碁石を取られる!)
そう、未だに【1,000円】に抑えている募金金額だったが、このまま俺の想像通りに相手に打たれてしまうと数手先でかなりの碁石を取られる計算だった。
(相手は...そのことに気づいてんのか?)
俺は”SEN”の文字を睨みつける。
もちろんそんなことをしても相手の考えが読めるわけではない。しかし、試合当初はただの素人に見えていた相手だったが、今では何か得体のしれないものに変わっていた。
(くそ!だがいつまでも考えていても仕方ない。幸いリスナーの奴らはまだこのピンチに気づいていないみたいだし、何とか切り抜けるしかない。)
俺はそう考えると悩みぬいた末、碁石を置いた。
そして祈る様な気持ちで画面を見る俺の前で、相手の手が打たれる。
その瞬間、俺は思わず小声で歓声を上げた。
「おっしゃ!」
しかしさっきまでの状況が理解できていないリスナーたちは、呑気なコメントを打ち続けている。
「お?なんか囲碁神様喜んだぞ?」
「なんだろ?特に展開が動いたようには見えないけど」
「また囲碁神様だけに見えている景色があるんだろ。ホントすげー」
(まったく相変わらずレベルの低いリスナーたちだな。)
俺はそんなことを思いながらも、にやにやが止められなかった。
その原因は先ほど相手が置いた碁石の場所にある。そこは唯一といっていいほど現状が打開できる場所であり、先ほどまで追い込まれていた俺がギリギリ首の一枚つながるために打ってほしかった場所でもあった。
しかし、それまでの相手の打つ手からまさかそんな凡ミスは犯さないだろうと考えていたのだったが...見事に相手はその場所に碁石を置いていたのだった。
(よしよし!あっぶねーぎりぎり助かったー。もう少しでなけなしの財産がすっ飛ぶところだった。だが、これはお前のミスだ。恨むなよ”SEN”。)
俺はマウスを掴むと軽やかな操作で、自分の碁石を打つ。
すかさず相手も打ってくるが、もう大丈夫だ。危機はすでに去っており、後は相手を追い込むだけの展開だった。
(一時はどうなることかと思ったけど、結局終われば俺の圧倒的な勝利だった...は?)
その瞬間、俺は確かに気が緩んでいた。すでにこの勝負勝ったと思い込んでいたからだ。
だからこそ最初は気づけなかった。相手が何気なく置いた碁石を避けようと次の手を探した時、まず最初に思いついた場所は(ここは駄目だな。)と思った。
その後、他の場所に目を向け軽く考え(おっとここも駄目か。)と思った。
そしてそれが数回続いた。途中から顔色は変わり、全てのパターンを想定し終えた時になって俺はやっと気づいた。
(嘘...だろ?打つ場所が...ない。)
まさに絶望的な盤面だった。
どこに打ったとしても数手先には絡め取られる。さらに、その後に待っているのはこちらの碁石が根こそぎ奪われる未来だった。
そして現時点で計算できる碁石の数×1,000円で考えてみても...とてもじゃないが俺の財布事情で募金できる金額を優に超えていた。
(こんなことって...おかしいだろ!さっき危機を脱出したじゃねぇか!ほんとについさっき相手のミスで...っ!)
盤面を見ながら悪態をついていた俺は、更に恐ろしい考えにたどり着く。
そして記憶を辿り、さっきの相手のミスだと思った一手から順に考えていった。
(だって、あの時”SEN”はここに打って、その後俺はここに打ったから、相手がここに打って...ま、まてよ。嘘だろ...そんな...。)
そして気づく、今の状況を作り上げている最大の原因。
それは序盤で相手が打っていた、あの碁石だった。
(あの時、急に突拍子のない場所に突如置かれた碁石。あれこそが全てのキーだったのか...。そうだ、その碁石を軸に考えればわかる。さっき相手がミスしたと考えた手は、俺をこの展開に誘う為の一手だったんだ。)
そして改めて冷静な視点から今の盤面を見た。
そこには芸術とも呼べるほどの完璧な包囲網が引かれている。
これほどまでにギリギリまで相手に意図を読ませない試合運びは、圧巻としか言いようがなかった。
(俺はまんまとこの状況に誘い込まれたわけね。つまりさっきまでのあの危機的な状況こそが囮だったってわけだ...。ははっ。)
「はははっ...あはははは!」
俺は笑いが止まらなくなった。
コメント欄ではリスナーたちの混乱するコメントが次々と流れる。
「ど、どうした!?」
「急に笑い始めたぞ。何があった。」
「囲碁神様が壊れちゃった...。」
俺はそんなコメントを視界の隅でとらえながらも、笑うことを止めることができなかった。
そして酸欠状態になりながらも目じりに浮かんだ涙を拭い、俺は思った。
(これが本物ってやつか...。)
************
「む?」
スマホに夢中だった彰人が突如声を上げた。
先間は気になり本から顔を上げる。
そんな中、彰人が先間を見て言った。
「勝負が終わったぞ。」
「おっホント?まあ、でも落ち込まないでよ...最初はそんなもん。みんな敗北を知って強くなるんだ。」
「いや、勝ったのだが。」
「でも大丈夫、彰人は恵まれてるよ。なぜならこの僕が直々に囲碁のイロハを...今なんて?」
意気揚々と語りながら彰人に近づいて来ていた先間は、目を丸くした。
そんな先間に彰人は軽く肩をすくめながら、スマホの画面を見せると言った。
「我の勝ちだ。」
そのスマホ画面には確かに【YOU WIN】の文字が燦然と輝いていた。
先間は仰天した様子で叫ぶ。
「えー!始めの囲碁の試合で勝ったの?」
「そうだな。」
「マジか...すごい...。」
先間はスマホを受け取りながら、つい感嘆の言葉を口から漏らす。
そして「少し疲れたな。」と言って腕を回す彰人を見ていた時、チャイムが鳴った。
「む?そろそろ午後の授業が始まるぞ。教室へ戻るとするか。」
「あっ待って!」
先間は読んでいた本を慌てて棚に戻してくると、彰人の隣に並びながら言った。
「相手も素人だったの?」
「どうだろうな...そこそこ強いように思えたが。」
彰人は相手の実力を思い返すように顎に手で触れながら、言った。
「えーでもフリー戦だよ?強い人はランク戦に潜ってると思うけどなー。」
「そうなのか?」
「うんうん、そうだよ。...あ!じゃあ今度僕のランク戦を見せてあげるよ!多分レベルの高さに彰人びっくりすると思うよ。」
「おお、それは楽しみだ。」
「僕も楽しみだなー!もしそれで僕のレベルに追いつきたいと思ったらいつでも言ってね。囲碁教えてあげるから!」
「そうだな。その時はぜひとも頼む。」
そう言って楽しそうに笑う先間だった。
が、この時すでにネットでは負けなしの囲碁神様に黒星をつけたキャラクターとして、”SEN”という名前が取りざたされていることなど知る由もないのだった。




