第六十一話 漫画の恨みは漫画で晴らす 前編
先間は漫画が好きだ。今までに読んできた作品数は三桁にものぼる。
少年漫画、青年漫画、少女漫画まで多岐にわたるジャンルの漫画を読破してきた先間だったが、現在久しぶりに漫画のページをめくる手を止めることができなくなっていた。
(お、面白すぎる...!)
それは、ここ最近で一番の当たりだと思う漫画だった。
タイトルは【ネジれても、巻き返す】。通称【ネジ巻き】と呼ばれている漫画で、内容はガラクタとして捨てられたロボットが努力で成り上がっていくと言った、笑いあり涙ありのSFアクションだ。
連載当初は一部の熱狂的なファンがいることで有名だったが、様々な賞を取ったことで人気に火が付き、最近では今一番熱い漫画として名を馳せていた。
先間ももちろん早くからその存在は認知していたが、最近までファンタジー系の漫画に嵌っており、ついつい手を付けるのが遅れてしまっていたのだった。
しかし現在進行形でそのことを後悔していた。一週間前に1巻を読み始めてからその面白さにド嵌りし、今日に至るまでの間にどんどん読み進め、ついに今日、今朝発売されたばかりの最新刊を読んでいたのだった。
(うわ!すごくいいところで終わった!)
先間は興奮冷めやらぬまま最後のページを閉じると、満足しきったように目を閉じふーっと息を吐いた。
(最新刊も相変わらずクオリティ...すごく面白かった。)
そして目を開くと前方を向く。そこでは一心不乱に何かの化学式を黒板へ記入する先生の姿があった。
そう、今は科学の授業中だった。
(...さっぱりわかんない。)
さっきまでネジ巻きワールドに没頭していた先間は、もちろん今黒板に書かれている式が何を表し、何を計算するなのか見当もつかなかった。
一応先生が喋っている言葉に耳を傾けてはみるが...結局分からなかった。
(あーあ、化学って難しいな...ていうか今黒板に書かれている計算式って今後の人生で何回使うんだろう?)
そしてその状況だともちろん先間の意識も授業ではなく、手元にある漫画へと導かれていく。
先間は先ほど読み終えた最新刊の話を、頭の中で反芻していた。
(まさか今まで至るところで助けてくれていたあの人が、実は敵グループの幹部だったなんて...。それも今はお互いがその事実に気づいてない...めちゃくちゃに僕好みな展開...!)
先間は口元から零れかけた涎を袖で拭った。
そうしている内に先生の喋る言葉はさらに耳に入ってこなくなり、徐々に漫画を読み返したい気持ちが強くなっていく。
そして...先間は自分の思いに従うことにした。
(まあ勉強はテスト前にすればいいし...今はネジ巻きの方が重要...!)
絶対といっていいほどテスト時に泣きをみるであろうそんな覚悟を決めた先間は、漫画を開くとそのページに目を落とす。
ついさっき一通り読んだばかりだったが、再びネジ巻きワールドに埋没するのにそう時間はかからなかった。
(やっぱり面白い!それに絵も綺麗!いたるところに伏線が隠れているから、何度読んでも新しい発見がある!...これだからネジ巻きはやめられない...ん?)
興奮しながら漫画を読み進めていた先間は、突如自分を襲った悪寒に身体を震わせた。
そして漫画から目線を外すと、先生に気づかれないようにキョロキョロと辺りを見回す。
(うーん、気のせいかな...あ。)
左斜め前。先間はそこに鬼の姿を見た。
先間は血の気がサッと引くのを感じた。
鬼は鋭い眼光のまま、口を開くとゆっくりと開閉した。
まんが、ぼっしゅう
(はわわわわ...)
そうメッセージを送ってきたのち前を向いて授業を受け始めた鬼=香織に、
先間はその場でカタカタと体を震わせることしかできなかった。
************
「じゃあ今日はここまで。」
そう言って科学の先生は教室から出ていった。
その瞬間、左斜め前で香織がさっと椅子から立ち上がった。
(今が勝負の時!)
先間はお尻が摩擦で燃え上がるほどの勢いで隣を向いた。
「彰人!」
「む?」
科学のノートをバッグの中に仕舞おうとしている彰人を、小声で呼び止める。
彰人は手にノートを持った状態のまま先間の方を向いた。
先間は机の下で漫画をチラッと彰人に見せると小声のまま言った。
「これ消して!魔法で!」
「急に何を...」
「わけは後で話すから!今手に持っている本、消して!」
彰人は何が何やらといった様子ではあったが、先間のあまりの必死具合に「分かった」と頷くと、小声で詠唱を呟いた。
(ま、間に合っ...)
「先間!」
ホッとした瞬間、背後から鋭い声が飛んだ。
先間は座ったまま、数センチ飛び上がった。
「あんた...さっきの授業中、漫画読んでたでしょ。」
「な、なんのこと?」
先間は背中に汗を一筋流しながら後ろに振り向いた。
そこには腰に両手を当て、顔を憤怒に染めた香織が仁王立ちしていた。
「とぼけても無駄よ!」
香織が吠えた。
そして片手を開いたまま、先間の前に突き出した。
「今手に持っている漫画、こっちに寄越しなさい。没収よ。」
(ほんとに間一髪...彰人に消してもらった後で良かった。)
先間はそう思いながら両手を顔の横に広げるように掲げ、
「だ、だから誤解だって...ノートを机の下に広げて見ていただけで...」
そう無罪を主張した。
香織はそんな先間を少しの間見つめていたが、ゆっくりと口を開いた。
「ノートを見ていたのね?」
「そうだよ。」
「嘘ついたら...わかってるわよね?」
「う、嘘じゃないよ!」
先間は冷や冷やとしながらも、香織に言い切る。
香織は大きなため息をつくと先間の目の前で広げていた手を下した。
先間は心の中でガッツポーズをした。
(この勝負、勝った!)
しかしその瞬間、再び香織の手が持ち上がると、先間が掲げている片手をすっと指さした。
そして静かに告げた。
「えらく変わったノートね。」
「え?」
先間は呆けた顔で香織の指さした先、つまりは自分の右手を見た。
そこには先ほど彰人に消してくれと頼んだはずの【ネジ巻き】の最新刊が、しっかりと握られていた。
「...あれ?」
「あんたね...」
香織は下を向き体をプルプル震わせた後、大声で叫んだ。
「嘘つくなら、少しは努力しなさいよ!没収!!!」
そう言いながら手からひったくられるネジ巻きの最新刊を見ながら先間の頭の中には(なぜ?)が飛び交った。
(だって僕、彰人に消してって頼んで...)
しかし、そんな時先間の後ろからこんなやり取りが聞こえてきた。
「あれ、豊島君...今日科学のノートは?」
「ああ...実は今日、家に忘れてしまってな。」
「そうなんだ...良かったら私ノート取ったから後で貸そうか?」
「それは助かる。七瀬、ありがとう。」
「えへへ...。」
彰人の感謝の言葉と葵の照れた笑いを聞きながら、先間は心の中で慟哭した。
(確かに手に持ってる本を消してって言ったけど...なんで僕が持ってた漫画の方じゃなくて、自分が持ってた科学のノートを消してるのさ!)




