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第六十話 パン屋での出会い 後編

今まさに入り口の扉を開けたばかりなのだろう。

彰人は片手で扉を開き、半身を覗かせこちらを見ていた。


「あんた!なにやってんのよ!」


それを見た香織は思わず大声で叫ぶ。

彰人は「いや、それはこっちが先に尋ねたのだが...。」と呟いた。


「さすがにそれは駄目よ!早く出てきなさい!」


香織は手をブンブンと振り、彰人を手招きした。

彰人は顔をキョトンとさせながらも、しぶしぶ店内から出てくると丁寧に入り口の扉を閉め、香織たちの方へと歩いてきた。

そして目の前で立ち止まると、なぜか仁王立ちをしている香織に向かって言った。


「それで?何が駄目なのだ?」


それを聞いた香織は目を見開くと、身体をワナワナと震わせた。


「あんたね...変わった奴だとは思ってたけど...悪い奴だとは思ってなかったのに...!」


「朝霧よ...お主は何を言って...」


「だから!」


香織は困惑した顔をする彰人に、指をビシッと突き付けた。


「いくらお気に入りのパン屋が休みだからって、勝手にお店の中に侵入したら駄目でしょ!!!」


その言葉を受けた彰人は...ゆっくりと腕を組んだ。


「お主たちもパンを食べに来たのか?」


「そうよ!」


「このお店のパンは好きか?」


「大好きよ!だからってあんたみたいに勝手に...」


「感謝する。」


「侵入...え?」


彰人からの突然の感謝に香織は目をぱちくりとさせた。

更に彰人は深くその場で頭を下げた。香織はさらに驚き、思わず口を開けた。

そしてその頭がたっぷりと時間をかけ上がった時、彰人の顔には笑みが浮かんでいた。


「このパン屋は...我の実家だ。」


シーンと音が聞こえそうなほど、空気が止まった。

しばらく誰一人として動く気配がなかったが、その静寂を破ったのは香織だった。

香織は彰人を指していた指を、震わせながら後ろに立つパン屋に向けた。


「このお店...あんたの家なの?」


「そうだ。」


彰人は頷いた。


「じゃあ...あのいつもレジを打ってる元気な女性の方は...」


「我の母親だ。」


「...いつも美味しいパンを作ってる職人...」


「我の父親だ。」


そこまで聞いた香織はフラっとたたらを踏んだ。

横にいた葵が「香織!?」と言いながら、その体を支える。

香織はゆるゆると頭を振りながら「え...あんなに人の好さそうな夫婦が豊島の両親なの?どういうことなの?性格って親に似るんじゃないの?何?性格にも突然変異ってあるの?」とブツブツ呟いていた。


「何を言っているのだお主は...。」


彰人はそんな香織を見て呆れたように言った。

葵は香織の体から手を離すと、少しどぎまぎしながら彰人に話しかける。


「豊島君...私もここのお店のパン好きだよ。」


「おぉそうか。」


彰人は嬉しそうに顔をほころばせると「感謝する。」と言った。

葵は顔から火が出そうになった。しかしそんな気持ちの高揚を抑えるため静かに深呼吸を繰り返していたところ、彰人から声がかかった。


「それで話は戻るが...お主たちはここで何をしていたのだ?」


「えっとパンを食べに来たんだけど...お店の明かりが消えてたから今日お店休みなのか悩んでて...」


「む?張り紙は見てないのか?」


彰人が片方の眉を上げながら言う。

葵はキョトンとした顔をした。


「え?張り紙?」


「ああそうだ。この扉の前に...」


そう言いながら振り返って扉を見た彰人は、途中で声が止まった。

入り口の扉はまっさらな状態で、何も張り紙らしきものはついていなかった。

葵が見ている前で彰人はゆっくりと扉に顔を近づけると、ガラスにうっすらついている何かの跡を見つけ、ため息をつきながら首を振った。


「あれほど...糊では駄目だと言ったのだが...。なぜテープで止めんのだ。」


「豊島君?」


ブツブツ呟いている彰人に葵は声をかけた。

彰人は肩をピクッと跳ねさせると振り返り、困ったような顔で言った。


「どうやら...張り紙は風で飛ばされてしまったようだ。申し訳なかったな。」


「ううん、全然!」


頭を下げる彰人に、葵は慌てて手を振って答える。


「じゃあやっぱり今日は...?」


「ああ、今日はお店は閉めている。少し親に予定があり、不在にしているのだ。」


「そうなんだ...残念。」


思いがけない場所で彰人に会い舞い上がっていた葵も、楽しみにしていたパンが食べれないことがわかり少し肩を落とした。


「まあ、そういうことなら仕方ないわね!」


不意に横から聞こえた声に彰人と葵が顔をむけると、香織が腰に手を当てていた。


「あ、香織復活した?」


「ええ、ショックから立ち直ったわ。」


「なんのショックなのだ。」


そう言う彰人に香織は首をかしげると言った。


「しいて言うなら...遺伝の謎かしら?」


「さっぱり意味が分からん。」


彰人は呆れたように肩をすくめた。

香織はハッとすると「そんなことより!」と言って彰人に向き直った。


「お店はいつまで休みなの?」


「今週の金曜までだ。土曜日からは空いておる。」


「良かった!そんなに長期間閉まっているわけじゃないのね!」


そう言って喜ぶ香織を見て、葵も言った。


「さっきまで三人で悩んでたけど、一気に解決したね。」


「そうね。でも今日やっぱりお休みで残念だったわね。なかなか来れないのに...」


「少し待て。お主たちは何を言っておる。三人?なかなか来れないとはなんだ?」


彰人が香織たちに尋ねる。香織と葵は顔を見合わせ言った。


「誰って隣にいる方が...」


「そう言えばさっきから黙ったままね...ちょっと...」


そう言いながら二人はさっきまで不審な格好をした女性がいた方向を向いた。

しかし...そこには誰も立っていなかった。


「え?」

「あれ?」


香織は葵は驚き、キョロキョロと辺りを見回す。


「確かに今お主たちが向いた方向は、最初のお店の入り口からは死角になっており我からは見えてなかったが...誰かいたのか?」


彰人は香織たちに尋ねた。

葵は彰人の方を向き言った。


「うん。豊島君がお店の中から出てくるまで、私と香織とで喋っていた女性の人がいたんだ。」


「ふむ。」


彰人は少し辺りを見渡し言った。


「確かに...今はそれらしき人影は見えんな。」


「そうなのよねーどこに行ったのかしら。なかなかお店に来れない人らしいのよね...。今日閉まっているのにショックを受けてて、いつ開くのか気にしていたのに...。」


香織はまだキョロキョロと辺りを見回しながら言った。

彰人は「それは申し訳ないことをしたな...。」と言い、すこし落ち込んだ。


「でも私最初その人を見た時は驚いたわよ。いつもお店にはあの格好で来てるのかしら?」


「あの格好とはなんだ?」


「マスクとかサングラスとか...その女性の人、顔を完全に隠した格好をしてたのよ。」


香織のその言葉を聞いた彰人は「...ふむ」と言うと、片手を顎に当てて考え始めた。

そして一つ一つ確認するように言った。


「朝霧よ...その女性は他人に素性がばれないような恰好をしておったのだな?」


「そうね。最初は不審な人がいるって思ったわよ。」


「身長は...160㎝くらいで、髪は黒髪ロング、小顔でスタイルが良い女性だったか?」


「...は?」


香織はドン引きしたような顔で彰人を見た。


「あんた何言って...」


「朝霧、答えてくれ。」


しかし彰人の大真面目な様子に、香織は軽くため息をつくと「まあ...そうだったかもしれないわね。」と答えた。

それを聞いた彰人は「そうか。」と一言呟くと、香織の方を見た。


「他には何か話したか?」


「何かって...」


「お店のパンの事だ。何でもいい。」


「そうね...カレーパンが好きって言ってたわ。」


香織がそう言った瞬間、彰人はクックッと笑い始めた。香織は今度こそドン引きした。

葵は恐る恐る彰人に尋ねた。


「何か...心当たりのある人なの?」


「まあ...そうだな。」


彰人は葵の質問に肯定で返すと、顎に手を当てたまま遠い目で「あれ以来...店に来ておったのか。我にその事を教えてくれんとは、まったく母も意地が悪い。」と呟いていた。

その様子を見ながらドン引きし続けている香織は、葵の手を取り言った。


「ま、まあ私たちには関係ないわ。豊島の様子も変だし、今日はもう帰りましょ。」


葵は「いや、私は別に...」と言いながらも、彰人に向かって手を振った。


「じゃあ、今日は帰るね。豊島君、また明日学校でね。」


「ああ。」


そして帰っていく香織たちを見送りながら彰人は呟いた。


「その女性の事は...お主たちもよく知っておるぞ。」


************


(あっぶないところだったー!)


電車に飛び乗った女性は椅子に座りながら、心を落ち着かせていた。

さっきまで走っていたため、マスクが息苦しい。しかしまだ外すわけにはいかなかった。

こんなところで正体がばれてしまえば、たちまち騒ぎになってしまう。


(まさかあのタイミングで息子が出てくるなんて...なぜかあの息子にはどれだけ変装しても私って見抜かれそうな予感がするのよね...。)


女性はやはり学校の終わっている時間は危険だと再度認識し直した。

そして改めて肩を落とす。


(それに今日はお店自体開いてなかったし...。さらに結局お店がいつから開いてるのかも分からなかったし...はあー。)


女性は大きなため息をついた。

顔の見えない不審な女性が急についたため息に、隣に座る老女が怪訝な顔をした

女性は小声で「すみません。」と謝り、頭を下げた。

その瞬間、お腹がぐーと鳴った。女性はマスクの下で顔を赤らめながら思った。


(駄目だ...諦めきれない...。本当に食べたかったなーあのカレーパン。)


そんな風に電車に揺られる不審な格好の女性...小倉澪は、前回の取材以降すっかりファンになってしまった【パン工房 YUTAKA】のカレーパンに思いを馳せるのだった。

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