第五十三話 担任の危険な休日 後編
「おい!なんだ!」
「停電か?」
少し遠くから騒ぐ声が聞こえる。カウンター前にいたバーテンダーと男性客だろう。
急に暗闇になったため目が慣れておらず、アタフタしている気配が伝わってくる。
「ちっ。」
三澄の隣にいた男性も小さな舌打ちともに立ち上がったようだった。
その際に指が体から離れ、三澄はほっとした。しかし相変わらず闇は晴れない。
一時的には難を逃れたようだったが、身体が動かせない中で視界まで奪われるのは三澄の中にある不安を助長させた。
「おい。まだつかないのか。」
先ほど三澄に触れていた男性の声がした。
「ちょっと待て。まだ目が見えねぇ。」
「...よし、俺は少し目が慣れてきた。ブレーカーを確認しに行く。」
男性客の声が聞こえ、人が歩く気配がした。
「たすか...」
おそらくバーテンダーはお礼を言おうとしたのだろう。
しかしその言葉は突如、店内の明かりがついたことで途絶えてしまう。
「うお!びっくりした!」
「なんだ、また急に...」
消えた時と同様急についた明かりにバーテンダーと男性は動揺した。
しかし、少しの間店内を見回していた2人は、あることに気づきぎょっとした顔で同時に飛びのいた。
その2人が見る先ではカウンターの中央の席に、高校生くらいの男が1人ぽつんと座っていた。
「なんだお前!どっから入ってきた!」
バーテンダーがその男に怒鳴る。警戒心はマックスだ。
なにせ入ってきた音が全く聞こえなかったのはもちろん、その男が妙な仮面をつけていたからだった。
その仮面は白く特に凹凸もないデザインで、目の部分にだけ小さな穴がぽっかりと空いている。シンプルな仮面だったが、その分顔が全く確認できないデザインだった。
バーテンダーの問いに無言の仮面の男に、店内の緊張はさらに高まる。しかし再びバーテンダーが声を上げようとした瞬間、男性がさっと手を上げそれを制した。
「待て...おい、もう一人はどこだ。」
男性は恐る恐る仮面の男に尋ねた。それを聞いてバーテンダーもハッとする。
確かに先ほどまでいたもう一人の仲間である男性客の姿が消えていた。
キョロキョロと辺りを見回すバーテンダーを尻目に、仮面の男はすっと手を上げると天井を指さした。
「「...は?」」
仮面の男につられて天井を見上げた男性とバーテンダーの声が見事にリンクする。
またソファーに崩れ落ちた角度から、店内の明かりが灯った瞬間にそれが視界の隅に入っていた三澄もいまだに夢を見ている気分だった。
なぜなら、そこには男性客がまるでそれに向かって落下したように、白目をむいて天井に貼り付いている姿があった。
「なにっ...なにしやがった!」
いち早く気を取り直したバーテンダーは傍にあった酒の瓶を掴むと、テーブルに叩き付けて割り、切っ先を仮面の男に向けた。
しかし仮面の男はゆっくりとそちらを見ると、特に慌てた様子もなくそのまま椅子に座り続けていた。
「くそ...てめぇ、どうやって...なっ!」
しびれを切らしたバーテンダーは、仮面の男に近づこうとしたのだろう。一歩踏み出した瞬間、顔を驚愕に染めた。そして瓶から手を離す。
しかし瓶はその場から微動だにしていない。つまりまるでその場に貼り付けられたように、ビンは空中で止まっているのだった。
「何だ...何が起こってる。」
その様子を見て動揺のあまり独り言を口走る男性だったが、三澄も同じ気持ちだった。
目の前の光景はあまりにも現実離れし過ぎている。三澄は幼いころ親に連れて行ってもらったサーカスを思い出していた。
しかし、いやだからこそ神経が限界だったのかバーテンダーはキッと仮面の男を見ると、大股で近付いていった。
「変な手品ばっかり使いやがって、おい!」
そう叫びながら仮面の男の肩を荒々しく掴んだバーテンダーだったが、仮面の男はまたしてもその場から動かなかった。
大きく舌打ちをすると、仮面の男を殴りつけようとバーテンダーは右手を引いた。
しかしその手が振られるよりも早く、仮面の男はバーテンダーに向かって直線的に腕を動かすと、ピンッと胸の辺りを指ではじいた。
その瞬間、バーテンダーの体は後ろに吹っ飛んでいき、まるで磁石に吸い寄せられたかの如く壁に貼りついていた。
「ちくしょう!」
壁にぴったりと貼りつき白目を向いたバーテンダーの姿を確認した男性は、あわてたようにズボンのポケットからスマホを取り出し、画面をタップした。
しかし「ひっ!」と喉を引き攣らせ、後ろに飛びのいた。そこでは案の定、スマホが空中で静止していた。
コツコツ
そんな男性に向かって仮面の男が歩いてくる音が聞こえる。
三澄は自分の隣で男性が慌てふためく様子が見えた。
「ちょ、ちょっと待て!」
男性は両手を上げて叫んだ。
コツコツ
しかし仮面の男は止まらない。
男性はさらに慌てる。そして慌てながらも、三澄を指さした。
「この女をやる!まだ俺らは何もしてない!」
(ちょっと!)
三澄は飛び上がるほど驚いた。しかしまだ体は動かなかったが。
だが、その言葉を聞いた仮面の男はその場で立ち止まった。すでに手を伸ばせば男性に触れられるくらいの距離ではあったが、そのまま男性ではなく三澄の方に顔を向ける。
(え...そんな。嘘よね?)
三澄は仮面の男をじっと見するが、もちろん表情は読めず、何を考えているのかは分からなかった。
しかし男性は仮面の男が乗り気だと感じたのか、つらつらと言葉を並べ始めた。
「今、この女は体が動かない。俺らが特別な薬を盛ったからな。それは絶対だ。でも意識はしっかりあるから反応は楽しめる。最高だろ?だからさ、この女を好きにしていいから、俺らは出ていくよ。あいつらも助けてやってくれないかな?二人きりの方が何かと楽しめるだろ?」
喜々として喋り続ける男性とこちらを見たまま静止している仮面の男に、三澄の心には再度絶望が覆い始めていた。
(一時は助かったと思いきや、結局こうなるの...。)
しかしその時、仮面の男がすっと男性の方に顔を向けた。
男性はにやけた顔のまま言った。
「な?悪い話じゃないだろ?」
「外道が。」
ぼそっと仮面の男の声が聞こえた次の瞬間、大きな音を立て男性は後ろの壁に叩き付けられていた。
仮面の男はその男性に開いた手のひらを突き出している。そしてゆっくりとその腕が上に上がると同時に、男性の体も壁を擦るようにして徐々に上に上がっていく。
「がっぐがっ」
おそらくかなり強い力で壁に突き付けられているのか、男性からは苦悶の声が上がる。
その光景を見ながら三澄は恐ろしさで体が震えていた。しかし同時に、不思議と安心した気持ちが心の中に広がっていくのを感じていた。
(あれ、なんで私安心して...そういえばさっき仮面の男が発した声にどこかで聞き覚えが...。)
そんなことを考える三澄だったが、未だに壁にへばりついたままの男性が妙なことを言い始めた。
「なんだこれっ、頭の中に声が...ぐっ!」
顔をしかめながらそんなことを言っている。その間も仮面の男は手を掲げたまま、男性をじっと見ていた。
男性は再度大きく呻くと「大丈夫だ!」と叫んだ。
「問題ない!後2時間もすれば効果は切れてくる。別に毒ってわけじゃない!」
男性がそう言った瞬間、仮面の男は手を下した。同時に壁に張り付いていた男性も地面に落下した。
地面に激突した瞬間「ぐえ!」と言ったものの、特に気絶などはしていないようだった。しかし仮面の男はそんな男性を一瞥すると、三澄を見て軽く頷いた。
(あれ...もしかして今男性が言った言葉って...私が盛られた薬の話?)
三澄はそう思いながら、仮面の男を見ていた。
今度ももちろん表情は読めなかったが、何を考えているのかは少しわかったような気がした。
そんな時、突如バーの入り口が開く音が聞こえた。
「静かになったみたいだけど、もう終わった?」
三澄からはその姿は見えなかったが、店内に高校生っぽい若い男の声が響く。
その声を聞いた仮面の男は初めて慌てたように、扉の方を振り向いた。それと同時に三澄は思った。
(あれ!今の声もどこかで聞いたことがある様な...まさか...)
しかしさらに物事は連続して起こる。
次は建物の外から、というより先ほど高校生っぽい声をした男が開けたであろうバーの入り口の扉の向こう側から、荒げた声が聞こえてきたのだった。
「おい!何してんだコラァ!」
その声を聞いた男性は、倒れていた体を地面から起こすと手を叩いて喜び始めた。
「馬鹿が!もうお前ら終わりだ!俺らのケツ持ちをしてくれている方が来てくれた!そこにある動かなくなったスマホだったけど、ギリギリメールは送れてたんだよ!お前は手遅れだったんだ!」
「え?ちょっ...まずくない?」
男性の言葉を聞いたのか高校生っぽい男の動揺した声が聞こえた。
その声にさらに笑顔になった男性は、言葉を続ける。
「まずいどころかお前らはもう終わりだよ!絶対に助からない!なぜなら俺らのケツ持ちはただのヤクザやない。」
そこで男性は一度言葉を切ると、胸を張り勝ち誇ったような声で言い放った。
「あの鬼頭組だからな!」
男性がそう言った瞬間、小さな声で「え」と言う声が聞こえた。
また!後編で!終わりませんでした!!!




