第五十一話 担任の危険な休日 前編
私、三澄華は教師だ。
しかし、それはあくまで平日の話。
今日みたいな休日は教員内にある派閥や、禿の校長から言われる嫌味や、現在担任をしているクラスにいる少し実態の掴めない生徒の事はいったん忘れ、28歳のいち女性としてプライベートを謳歌することに決めている。
だからこそ生徒や知り合いと出会わないように、今日は少し足を延ばし隣町まで遊びに来ていた。
(映画館で映画を見るのも久しぶりね。)
チケットを係員に渡しながら、そんなことを思った。
たしか最後に映画館に来たのは、それこそ教師になる前だったかもしれない。最近はもっぱらレンタルショップで借りてきたDVDを家でだらだらと見ることが多かった。
しかし先週家でテレビを見ていた時、不意に流れたCMに目が釘付けになった。それは三澄が昔好きだった小説の映画化を知らせるCMだった。
(懐かしい...いつから映画やるのかしら...あれ!来週じゃない!)
学生の時に愛読していた小説の映画化。そのCMをたまたま見ることのできた偶然。
(これは...運命かも。)
このようにして三澄は今日、久しぶりに映画館へと足を運んだのだった。
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(えーと、Fの13だから...ここね。)
チケットと椅子に書かれた番号を見比べながら、席に座った。
事前に予約していたこともあり、公開して間もないにしてはなかなかいいポジションの席だった。
しかし予約するときすでに隣の席も埋まっていたはずだったが、どうやらまだ隣の人は来ていないようだった。
(できるだけマナーを守ってくれる人がいいわね...。)
映画中周りの雑音が気になってしまうタイプの三澄は、そんなことを考えながら先ほど購入した飲み物が入ったカップを席に取りつけられているホルダーに差し込んだ。
それからいくつかのCMが流れ、そろそろCMも見飽きてきたわねと思い始めたころだった。
「すみません...」
隣から小声の謝罪が聞こえそちらを向くと、一人の男性がすまなそうに身をかがめていた。
おそらくまだ空いている三澄の隣の席に座る人だろう。
「あ、ごめんなさいっ!」
三澄は慌てて足をひっこめる。
「ありがとうございます。」
そう言ってほほ笑んだ男性の顔を見て、三澄は心臓が跳ねるのを感じた。
三澄より少し年上に見えるが、短髪でさわやかな笑顔の男性だった。
その男性は三澄の前を横切り、隣の席に腰を下ろした。そしてまたこちらに向くとペコリと頭を下げた。
その仕草を見て、それまでずっと男性の方を見ていた自分に気づいた三澄も、少しテンパりながらペコリと頭を下げる。
(何やってるのよ私...28歳にもなって映画館で一目ぼれなんて...。)
そんなことを悶々と考える三澄だったが、スクリーンでは映画館のマナーについての注意喚起の映像が流れ始めていた。そろそろ待ちに待った上映スタートが近づいている証拠だ。
しかし三澄の心の中ではワクワクと同時に不安が渦を巻いていた。
(私...ちゃんと映画に集中できるかしら...。)
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三澄はポケットから取り出したハンカチで目元を拭った。
しかし涙は次から次に溢れだしてきて、視界をぼやけさせる。
(そうだった...最後このヒロイン亡くなってしまうのよね...。)
映画はすでに終盤だ。長いこと闘病生活を続けていたヒロインが、最後に自分の夢を果たし病室で人生を追憶しているシーンだった。
三澄は学生時代、小説も同じシーンで号泣しながら読み進めていたことを思い出していた。
(このシーンを見れただけでも、今日映画館に来たかいがあったわ...。)
そんなことを思いながら、椅子に取り付けられたホルダーからカップを手に取り、口へと運んだ。
しかしそこですでに飲み物を飲み終わっていたことに気づく。
そのまま再度ホルダーにカップを戻そうとした三澄だったが、少しでもスクリーンから目を離したくない一心で手元を見なかったことが悪かった。
ホルダーにカップが入ったと思い手を離したが、どうやら勘違いだったらしく、カップが隣の席へと倒れるのを感じた。
(あ!)
三澄は慌ててそちらを向くが、すでにカップは完全に三澄の手を離れ、隣の席へと転がり落ちていった。
しかし膝に転がり込んできたカップに隣の男性は気づくと、そのカップを手に取りこちらに手渡してきた。
「すみません...」
三澄はカップを受け取りながらお礼を言うが、申し訳なさと号泣していることの恥ずかしさで声が小さくなる。
「大丈夫でず...」
しかし隣の男性が発した声も思いっきり涙声だった。
三澄はつい顔を上げて、男性の顔を見てしまう。そこには自分と同じくらい涙で顔を濡らした男性がいた。
二人はそのまま少しの間見つめ合い、男性がまた柔らかく微笑んだ。
三澄はビクッと体を動かし、スクリーンの方を向いた。そこにはいまだに感動的なシーンが流れている。
三澄の目から再び涙が溢れてくるが、先ほどまでは暖かかった涙も、今は少し冷たく感じていた。それは三澄の頬が紅潮し熱を持っていたからだった。
映画終わり、三澄は足早に部屋から出るとトイレへと向かっていた。
もちろんトイレが我慢できなかったわけではない。隣の席の男性が気になり、涙でメイクが崩れた状態のままいることが耐えられなかったからだった。
トイレの鏡で一通りメイク直しをした三澄は、トイレから出るとエレベーターの前へと向かいながら無意識に周りを見回していた。
(はあ...やっぱりいないわよね...。)
しかし先ほど隣に座っていた男性は見当たらなかった。
三澄は少し落胆しながらも、もしいたとしても声なんてかけられるはずもないことを自覚しているため、逆に割り切ろうと考えながらエレベーターへと乗り込んだ。
1階に到着し映画館の外に向かって歩きながら、腕時計で時間を確認する。
(丁度、お腹が空いてきたわね...夜ご飯どうしようかしら。)
そんなことを考えながら歩いていた三澄だったが、
「すみません!」
後ろから声をかけられていることに気づいた。
そちらを振り返ると、エレベーターの前にある柱のそばから、一人の男性がこちらに向かって歩いてくるのが目に入った。
(あ...)
三澄は思わず目を見開いてしまう。
その男性は、先ほど三澄の隣に座っていた男性だった。
「あの...急に声をかけてしまってすみません。さっきの映画の際に隣で見ていた者なんですが...。」
男性は三澄の前まで来ると、少し目を反らしながらあたふたと話しかけてくる。
三澄は驚いて声が出せなかったが、少しだけ頷くように顎を引いた。
しかし男性にその仕草は見えなかったのだろう。男性は少し弁解をするように手を振る。
「えっと、あの特にナンパとかそういうのではなくてですね...何というか...」
しかしそこまで話した時、男性は「いや」と言うと気合を入れ直したように三澄と目を合わせた。
三澄はまた自分の頬が紅潮するのを感じた。
「これナンパ...ですよね。すみません。ただどうしても一度あなたとお話がしたくて...もしよければこの後ご飯に行きませんか?」
そう言って少し照れたように男性はほほ笑んだ。
三澄は肩から下げた鞄の紐をギュッと握ると、勇気を振り絞って頷いた。
「...はい。いいですよ。」
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「む?あれは我らの担任ではないか...?」
彰人はゲーセンの中から窓ガラスの向こう側で歩く女性を見て、それが担任だと気づいた。
そしてその隣で担任と喋りながら歩いている男がいることに気づく。
一瞬だけ担任の恋人かと思った彰人だったが、すぐに異変に眉を潜める。
「え!なに!?てか、彰人よそ見しないでよ!敵来てる来てる!」
隣では先間がゲーム画面に向かって一心不乱に銃を撃ちまくっていた。
前回の事があってからゲーセンに行くのを渋っていた先間だったが、やはり根っからのゲーマーである先間はどうしても耐え切れなくなったらしい。
「明日隣町にあるゲーセンに行こう!」と彰人を誘った先間は、土曜日である今日二人で遊びに来ていたのだった。
彰人はゲーム画面に向き直り、敵に照準を合わせると恐ろしい速度で頭を撃ち抜いた。
するとゲーム画面に【GAME CLEAR】の文字が現れる。どうやら今の敵がボスキャラだったらしい。
「また極小なボスの弱点部分をいとも簡単に...でもまあいいや。これでやっと今まで越せなかったステージがクリアできたからね。次はついに初めてのステージ...」
「先間。今日は終わりだ。」
彰人はそう言って手に持っていた銃をゲーム機に取り付けてあるホルダーに差し込んだ。
先間はグルンとこちらを振り向いた。
「なんで!?やっとこのゲームで前人未到の...」
興奮したように喋る先間を尻目に彰人は振り返り、担任の姿を目で追う。
少し離れてしまい人ごみに紛れてはいたが、まだどうにか見つけることができた。
そしてその隣にいる男の姿も。
「全く...あの担任はいつも厄介ごとを持ち込むな...。まあ前回は我のミスだが...。」
彰人はそう呟くと、まだ銃を握りしめている先間に向かって言った。
「敵は画面の向こうだけにいるとは限らんということだ。」
意味不明なその言葉に先間はポカンと口を開けたが、こうなった彰人は意思を曲げないことも知っていた。
大きなため息をつきながら「次回は絶対に最後まで付き合ってもらうからね。」と言うと、銃をホルダーに戻した。
(さて。)
それを見た彰人はゲーセンの出口へと向かって歩く。後ろから先間もついてきた。
(あれだけ悪のオーラを纏った者にフラフラついていくとは...世話の焼ける担任だ。)
久しぶりに登場した『三澄』ですが、第二十六話「その数式、危険につき」に登場している彰人たちの担任の先生です。
ちなみに第四話「先間との出会い」で先間を叱っていたのも、この先生です。




