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第三十二話 パンと女子アナ 後編

息子さんはおそらく高校生くらいだろう。しかし年齢のわりにどこか大人びた所作で、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる。

そして澪の隣まで来ると、手に持ったパンをお盆ごと差し出した。


「ありがとうございます!」


そう言いながらパンを受け取ろうとした澪だったが、目の前で息子さんがパッとこちらを向く気配を感じた。

そして思わずつられるようにしてその息子さん顔を見た澪は、今日一番の仰天をした。


(なにこの子!びっくりするくらい美形!)


だがそんな澪の目の前で、その息子さんも目を見開いたような仕草を見せた。

しかしそんな驚きも一瞬で消え去ると、柔らかく微笑んだ。そして次の瞬間には澪の目の前で片足の膝を床に着け、かしづいていた。


「どうぞお召し上がりください。我が君。」


その瞬間、世界から音が消えた。

もちろん実際には消えていない。だが、澪の意識ではそう感じてしまうほど、目の前の光景、すなわち急に現れた息子さんが、急に目の前でかしづき、急に自分の事を『我が君』と呼ぶ。

そんな光景は澪の理解の範疇を大きく超えていた。


しかし完全に思考が停止していた澪の視界の片隅に、何か動いているものが映った。

何の気なしにそちらを向くと、焦燥感に駆られた顔で手のひらをバタバタを振っている男性の姿が目に入った。


(なんだあれ?なんであの人あんなに焦ってるんだろう...。)


ぼーっとその光景を見ていた澪だったが、徐々に頭が回転しだす。


(...あれ!違う!あの人番組のディレクターさんだ!)


やっと思考が正常に回り始めた澪は、さっと血の気が引いた。


(今私何秒止まってた?とにかく進行しなきゃ!)


未だに混乱からは完全に抜け出せていない澪だったが、目の前で膝をつきながらこちらに向かって手を差し出している息子さんから慌ててパンを受け取ると、カメラに向かって紹介をした。


「その話題沸騰中のパンがこちら!チーズカレーパンです!」


そんな澪の隣では、息子さんが立ち上がる気配がしていた。

しかし、なぜかそこから動かない。


(なんで!パンを渡し終えたのになんで帰っていかないの!)


だがこのままスルーするわけにもいかない澪は笑顔で振り向きながら、佳乃に声をかけた。


「それにしても非常にユニークな息子さんですね!私一瞬自分がお姫様になったような気分になってしまって、びっくりしてしまいました。...あれ、奥さん?」


リアクションが返ってこないことを不審に思った澪は、佳乃の顔を見た。

そこには口をあんぐりと開けて、自分の息子を見ている佳乃の姿があった。


(ちょっと!母親であるあなたがびっくりしてたら、私もどうしようもないじゃない!)


思わず心の中で悲鳴を上げた澪は、気づいてもらえるよう念を込めて佳乃の顔をじっと見た。

そしてそんな澪の想いが通じたのか、佳乃がハッと意識を取っ戻した仕草を見せた。すかさず声をかける。


「毎日、こんなにイケメンの息子さんにあんな熱烈な接客をされてしまうと、女性客の中にファンが増えてしまいそうですね!」


「あ、え、彰人は、そのパンに詳しくてパンがパンで、あのパンなんです。」


(奥さんが壊れちゃった。)


澪は全ての主語が「パン」になってしまった佳乃を見て思った。

しかし、そんな澪に追い打ちをかけるかの如く、横から息子さん、いや先ほど佳乃が口走った名前からして名前は彰人なのだろう。その、彰人の声が聞こえた。


「我は誰にでもあのような態度をとるわけではない。お主だからこそだ。」


(駄目だこれ。)


もちろん今までアナウンサーとしてのキャリアを積んできた澪だ。多少のアクシデントに対応できるスキルは備わっている。

しかし、急に現れた息子さんからお姫様のような扱いを受け、頼みの綱であった佳乃は「パン」としか喋れなくなるこの事態は、すでに手に余る状況だった。


「む。我としたことが、これは失敬した。」


しかしそんな最中、また彰人がそう言ってすまなそうな顔をした。


「はい?」


頭がパンクしそうだった澪は、つい雑な返事をしてしまう。


「飲み物がいるではないか。取ってこよう。」


そう言うと彰人は体ごとくるりと振り返りスタスタと歩いていくと、入ってきた扉を抜けて姿を消した。


(えーと、どうしよう...)


澪は困惑してディレクターに視線を送った。

ディレクターも困惑した顔をしていたが、ジェスチャーで『パン食べちゃおう』とサインを送ってきた。

澪は目だけで頷くと、「息子さんが飲み物を用意してくれている間に、早速このチーズカレーパンを食べたいと思います!」と言って、口を開けた。

だが、その瞬間また彰人が出ていった扉が開く音が聞こえた。


(え!早!)


そう思った澪は口を開いたまま、思わず扉の方に視線を向けた。

そこには彰人が帰ってくる気配があったために、もう取材が終わったと勘違いをした明が顔を出していた。

澪も初めて見る顔に驚いたが、着ている服装などからパン職人であるご主人だと察しがついた。


「あ、ご主人さん!どうも!今から丁度カレーパンをいただくところでした!」


澪は落ち着いた雰囲気の明を見て、この状況を打開してくれるのではないかと思い、声をかけた。

しかし、取材が終わったと思っていた明からしたら、扉を開けた瞬間大勢の人がいて、更に美人のアナウンサーから声をかけられるという状況だ。

もちろん、明の人見知りメーターは一瞬で振り切った。


「むぅぅぅ」


そんな呟きを残し、明は扉の奥にゆっくりと倒れながら消えていった。

再度、店内に静寂が流れる。そして澪もその瞬間、全てを諦めることにした。


「では早速いただきまーす!...うーん美味しい!外のパンはサクッと軽い口当たり。でも中に入っているカレーとチーズの味がしっかりと混ざり合ってて~~~」


そう、周りの全てから目を背け、とにかく台本通り進行させることに注力したのだ。


(もう何が起こっても私は動じない。私は今からこのチーズカレーパンを食べる機械になるんだ。そしてしっかりとグルメレポートを終えたのち、このお店から速やかに退散するんだ。そして夜ぐっすり寝て今日の事は忘れるんだ。...でも...)


カメラに向かって笑顔のままパンを頬張りながら、澪は思った。


(それにしても...このチーズカレーパン!今まで私が食べたパンの中でも、頭一つ抜けてるレベルで美味しいんですけどー!)


****************


「お父さん、次放送されるわよ!」


佳乃はウキウキとした様子でテレビの前から明を呼んだ。

明は黙ったままテレビの前に行くと、佳乃の隣に腰を下ろす。一見落ち着いている様子だが、かなり緊張をしているのはその顔を見ればわかった。


そう、今日は前回小倉アナがこのお店を取材しに来た番組の放送日だった。

まだ時刻はお昼だが、両親ともに番組を見たいがためにお店は臨時休業としていた。

丁度番組の放送が休日であったため、彰人も外出せず一緒にテレビを見ていた。


(佳乃は取材途中からの記憶がなく、明は小倉アナに話しかけられてからの記憶がない、ときてる。まったく我の両親はどうなってるのだ。)


彰人はテレビの前に座る両親を後ろから見ながら、軽いため息をついた。そして取材日の事を思い返す。


(あの日、持って行った水を小倉アナは一気に飲み干すと、バタバタと取材を終え帰っていったな。何か予定が押していたのだろうか?おかげで奇跡的な出会いは果たせたものの、小倉アナと仲を深めることができなかったな。)


そんな中、ついに番組が流れ始めた。佳乃がキャーキャーと声を上げた。

どうやら様々な町のグルメを紹介していく番組らしく、今回の特集先が小波町だったようだ。小倉アナが小波町の事を紹介しながら、商店街の中を様々なお店を取材していく。


(うむ。やはり小倉アナは綺麗だ。素晴らしい。)


彰人はテレビに映った小倉アナを見ながら、うんうんと頷いた。

そして番組が進むにつれて、佳乃のテンションと明の緊張も増していくようだった。

そろそろ番組の時間的に、YUTAKAが出てきてもおかしくはない。「次かしら?」「このお店の次かしら?」待ちきれない様子で佳乃は騒ぎ、そして【パン工房 YUTAKA】は登場しないまま小波町の特集が終わった。


「え?」


呆然とした様子で呟く佳乃の声が響く。

しかしどうやら本当にロケの映像が流れる時間は終わったらしい。番組はスタジオを映しており、そこでタレントたちが小波町の取材映像についての感想をしゃべっていた。

明もがっくりと肩を落とし、ゆっくりと立ち上がると工房に入っていった。


(これは取材したパンの味が、放送するに値しなかったということか。)


取材内容としてはなにも問題はなかったと思い込んでいる彰人は、そう結論立てた。

そして、悔しい思いを胸にすでに次の構想に取り掛かっていた。


(ではもっと美味なパンを開発しよう。そうすればまた小倉アナが取材に来るであろう。)


彰人がそんな決意を固めながら、自室へ戻っていく最中、お店の電話が鳴った。

佳乃はショックで目がうつろな状態だったが、日ごろの癖でしっかりと受話器を手に取った。


「はい。こちらパン工房YUTAKAです。」


「あのー、ちょっとお伺いしたいことがあるのですが...」


「はい、なんでしょう?」


「YUTAKAさんのパンってネットで注文とかってできるのでしょうか?宅配とか...。」


「大変申し訳ございません。当店は店頭販売のみとなっております。」


佳乃がそう言った瞬間、電話先の相手は落ち込んだような声で「そうですか...。」と呟いた。


「わかりました。ありがとうございます。では()()お店まで伺います。」


そう言って電話は切れた。

だが佳乃は受話器を置きながら、思った。


(この人の声、どこか聞き覚えがあるような...?それに『また』ってことは一度来てくれたお客様なのかしら?)


考えを巡らす佳乃の耳に、テレビの音声が入ってくる。


「それでは小倉アナ!最後に小波町の魅力をまとめるとしたらどんなところだったの?」


「そうですね!やはり港町なだけあって、ご飯が美味しいです!それに人がとても...そうですね。()()()()()()()()()()()()()()


その声を聞いていた佳乃は、思わず固まった。


(あれ?もしかしてさっきの電話の相手って...まさか、ね。)


そんなことを思う佳乃の視線の先には、さっき佳乃が電話で喋った相手ととてもよく似た声で喋る小倉アナが映っていた。

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