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第三十一話 パンと女子アナ 中編

彰人は目の前で頭を下げる大人二人を見ていた。


「どうしてもか?」


「どうしてもなの。本当にごめんなさい。」


そのうちの一人、母である佳乃が必死さを滲ませた声で言った。


「たかだか数十分程度なのであろう?特に問題ないのではないか。」


「そう思ってたわ。昨日までは。本当に彰人の手を借りずに乗り切るつもりだったの。でも、ダメなの。事態は深刻なの。ほら、お父さんも言って。」


佳乃は隣で険しい顔をしている明の腕をパシッと叩いた。


「......む。」


「ちゃんと言って!」


怒られながら腕をパシパシと叩かれた明は口をもごもごと動かした。


「たの...たの...たのむぅぅ」


お願いをしながら明は机に突っ伏した。これは緊張のあまり記憶が飛びかけているときの様子だ。

極度の人見知りである明は、この後起こる事を想像してすでにグロッキー状態であった。

その姿を隣で見ていた佳乃は、先ほどよりも真剣な顔をして彰人の方を向いた。


「自体は()()()深刻なの。お願い。」


とても、を強調しながら、佳乃は再度頭を下げた。

彰人は長くゆっくりとため息をついた。そして口を開く。


「分かった。我も店頭に立とう。」


その言葉を聞いた佳乃はパッと顔を綻ばせた。

そして大きく手を広げると、抱き着いてくる。


「彰人ありがとう!本当に助かるわ!」


そんな喜ぶ母の声を耳元で聞きながら彰人は思った。


(今日は小倉アナがこの街に来る日であったが...両親の頼みとなれば断れん。非常に悔しいが、小倉アナとの出会いはまたの機会に取っておくとして、今日このお店で行われる取材というものに協力するとしよう。)


****************


「さて、お次はこのあたりに最近話題のパン屋があると聞いてやってきました。」


そう言いながら澪はキョロキョロと辺りを見回すような素振りをする。

数時間前から始まった小波町のロケも終盤に差し掛かっていた。先ほどまでいた商店街を抜け、住宅地を歩きながら、今日一番楽しみにしていたパン屋へと近づいていた。


「なんでも夫婦で営んでいるパン屋とのことで...あ、ありました!それがこちらの【パン工房 YUTAKA】さんです!」


木でできた看板をピシッと指で指さす。その指先を追い、カメラマンがお店の外観を撮影した。

まだお店の扉は開けていないが、パン独特の甘い匂いが澪の鼻腔をくすぐった。


(きゃーパンのいい匂い!)


昂る感情に身を任せるように、体を震わした。

こういった人間味溢れる仕草が、『手の届かないような美貌なのに庶民的』という小倉アナの人気の秘密につながっていた。

しかしそんな仕草が自身の人気を支えているといまいち気づいていない澪は、元気よく言葉をつなぐ。


「ここからでもすごくいい匂いがしてきます!では早速今話題のYUTAKAさんにお邪魔してみましょう!」


しつれいしまーす、と言いながらお店の扉を開けて中に入った。

目の前ではパンの棚の前に立ち、こちらを向いている女性がいた。


「あ、奥さんですか?」


「そうです。」


そう言ってオーナーの奥さんである佳乃が頭を下げた。

澪も合わせてお辞儀をする。


「初めまして小倉と申します!今日はいきなりお邪魔してしまい、申し訳ございません。」


「いえいえ、お待ちしておりました。」


「それにしても奥さんすごくお綺麗で、私びっくりしました!」


「そんな...照れますね。」


そう言って佳乃は顔を隠して笑う。


(喋りやすくて暖かい雰囲気を持った女性だー。)


澪はそんな佳乃の仕草を見て、特に問題なく取材が終われそうだとホッとしていた。

そして台本通り進行していく。


「実は今日私がこのYUTAKAさんにお邪魔させていただいたのは、ある話題のパンを頂くためです。そのパンは最近YUTAKAさんが新商品として販売したばかりなのですが、あまりのおいしさに口コミが口コミを呼び、今では毎朝そのパンを買うためのお客さんでお店の前には行列ができているほどです!」


そこまでカメラに向かってしゃべると、今度は佳乃の方を向いた。


「では奥さん。その今話題のパンをパン職人であるご主人に持ってきていただいてもよろしいでしょうか?」


しかし、それまで順調に進んでいた取材が、次の佳乃一言で大きく動いた。もちろん悪い方に。


「あ、すみません。実は、主人がやはり顔を出したくないとのことで...。」


(え!)


佳乃がすまなそうな顔をしつつ言った言葉に、澪は仰天する。

台本ではここでご主人がパンを持って登場し、私が食べた後そのパンを作るうえでのこだわりを伺う。

そして最後に、実はYUTAKAという店名から主人の名前を『ユタカ』だと勘違いする人が多いけど、実は苗字の一文字目が『豊』なんです!という小ネタを言って取材を終えるといった流れのはずだった。

だからこそ、そのメインであるご主人が出てきてくれないと取材を進めようがない。


「あっえっと、そうなんですね。急に恥ずかしくなってしまわれたんでしょうか?」


「ええ、そうなんです。主人は極度の恥ずかしがり屋なものでして。急に今朝、出たくないと言い出しまして...本当にすみません。」


「そうなんですねー。話題のパンを作ったパン職人さんに会えなくて、残念です。」


(どうしようどうしよう。昨日まで出演する気でいたのなら、もう一日だけ気合で頑張ってよ!)


無難な受け答えをしながらも澪はプチパニックだった。

ただ最悪ご主人が出てこれなかったとしても、パンには登場してもらわないと困る。でないとパン屋に来た意味がない。本当の放送事故だ。


(これ実はパンも用意できてないんですって言われたらどうなるの...私クビ?)


一瞬絶望が胸中を過った澪だったが、そんな不安を払しょくするような明るい声が響いた。


「でも大丈夫です!だから今日は主人の代役で、息子にパンを持ってきてもらいます。」


(え!)


自信満々と言った様子で胸を張る佳乃の言葉を聞き、澪は本日2度目の仰天をした。


(息子さん!?大丈夫なの?ていうか、急展開すぎ!)


しかし、澪はそんな動揺を押し殺し、心の中で決意を固めた。


(それでもパンが登場してくれるのならこの流れに乗るしかない!)


「あ、そうなんですね!では息子さんに話題のパンを持ってきてもらいましょう!お願いします!」


そう言った瞬間、レジの奥にある扉が開いて若い男性が現れた。息子さんだ。

きとんとお店の制服に身を包み、パンもお盆に乗せている様だった。

その姿を見た澪は、ひと安心する。


(良かった。一時はどうなることかと思ったけど、何とか取材は滞ることなく進みそう。)


しかし澪は知らなかった。先ほどのトラブルなどなんてことはない。

更に取材が困難を極める事となる、本当の地獄はこの後に待っていた。

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